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(回答先: 飛鳥・奈良は渡来人が造った都 (荒 岱介) 投稿者 愚民党 日時 2005 年 2 月 05 日 23:14:06)
南から来たか北から来たか、先に来たか遅れて来たか、それだけのことだ。
ついでに言うと、「アジア」とは朝鮮半島とその周辺地域だけを指すのではない。
北はモンゴル
(東北地方の民謡「追分」と同じメロディがモンゴルにある)、
西はイラン・トルコ国境
(古墳時代の日本人男性がしていた、耳元の前髪を束ねる髪型「ミズラ」と同じものが
2〜3000年前のユダヤ人の習俗として残っているし、古代ペルシアのゾロアスター
教とインドからシルクロードへ北上した仏教が混じり合って日本に伝わり、飛鳥・奈良
時代の仏教建築の基本になったのは有名な話。
当時、百済にいたペルシャ人が日本に来て飛鳥寺を建てた事は、寺の記録に残ってい
る。)、
南はインド洋の沿岸地域
(日本独特の詩文である「五・七・五・七・七」調の原型がインド〜ミャンマーの地域
にある。また古代日本は女系家族が生活の基本だったが、中国南方とインドネシアの少
数民族に同じ生活様式が残っている)、
東はタヒチやフィジー諸島、
(現代世界で、「拍手を打つ」習慣は日本とここだけ)
そして南米やアラスカのエスキモー、オーストラリアのアボリジニには、東北アジアに
は存在しない「あやとり遊び」の文化がある。
アジアはこれだけ広い。しかし極東地域だけ見ていたのでは日本の文化は分からない。
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