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一連の不祥事(腐敗した職員の度重なる発覚、モラル・ハザード体質批判の内部告発など)に続いて、NHKにまた新たな問題が発覚しました。旧日本軍の慰安婦問題を取り上げた特集番組が放送直前にNHK幹部(国会担当局長と放送総局長の二人?)と安倍晋三自民党幹事長代理の接触があった後に放送内容が変更されたとされる、朝日新聞によるスクープ報道のことです。
朝日新聞による、この報道そのものが捏造だとする批判的な観点などの様々な情報が飛び交っています。このため、情報入手の手段が限られる我われ一般市民(国民)にとって、ますますコトの真相がわかりにくくなっています。
そこで、我われ一般市民(国民)が「NHK問題」(一連の不祥事と繋がる部分もあると思われるので、敢えて“NHK問題”と表現する)を考えるにあたり留意すべきと思われる観点をまとめてみます。なお,当然のことながら大きな政治的な意図(糸?)が何処か奥深いところで蠢いている可能性はありますが、ひとまず、そのような点については触れないことにします。
《前提となること》
『火の無いところに煙は立たぬ』、There is no smoke without fire.
・・・噂が立つのは、それを裏付ける事実や、それなりの理由があるからだ。似たコトバに『人の口には戸が立てられぬ』がある。
《問題点》
(1)なんらかの形で放送内容へ政治的圧力がかけられたことが事実だとすれば、それは明らかに憲法違反である。(表現と報道の自由への侵犯、主権在民と民主主義の無視)
(2)NHK幹部(国会担当局長と放送総局長の二人?)と安倍・自民党幹事長代理の接触があったのは、放送の前なのか? 後なのか?
(3)安倍氏が主張するとおり与党政治家とNHK幹部の接触がNHK側からの自主的なアプローチの結果であったとするなら、NHKが与党政治家に接触を求めた目的は何か?
・・・まさか、多忙な彼らが息抜きの“仲良しゴッコ”でもあるまいし、アポイントの場合にできる限りハッキリと目的を告げるのは“社会人の常識”である。それとも、この当事者たち(彼らは日本のエリートのはず?)は“社会人の常識”など弁えていないというのか? ならば、それはそれで空恐ろしいことだ。
(4)その面談の内容は予算関連の説明であったとの情報が流れているが、もしそうであるなら、当時、NHK関連予算担当の立場になかった安倍・自民党幹事長代理と接触した理由は何か?
・・・また、NHK側で予算担当に直接かかわりがない筈の総局長が同行したのはなぜか?
以上の問題点のうち、特に(3)と(4)について、NHK幹部(国会担当局長と放送総局長の二人?)の証言がない限り、時間が経つうちに、この問題は水掛け論のまま藪の中に放り込まれることになるでしょう。そうなることを最も願っているのは誰か?
ジャーナリストには“圧力源”に接近しないと意味のある情報が取れないというジレンマがつきまとっています。そこで、あくまでも一般論ですが、ジャーナリズムに対する“様々な圧力”(バイアス)のチャネルを整理すると主に次のようなもの(■)となります。
我われ一般市民は、このような形で絶えずマスコミの情報がバイアス(何らかの圧力)を受け、歪んでいるものであることを意識して、必ず批判的に見る必要があります。民主主義にとっては、この視点が「堤防の小さな水漏れ」(蟻の一穴)を防ぐことに役立つのです。
■「ジャーナリズムの特性」がもたらす、負のバイアス・チャネル
●予算・スポンサー・取材情報源などからの圧力
・・・NHKに限らず、新聞社・民間放送・雑誌などについても絶えず大きな圧力がかかっている。 特に、取材情報源の問題では、政権与党と官僚機構によってジャーナリズムが操られるというリスクが付き纏う。結果的に、ジャーナリズムが、政治権力による大衆操作の手段として利用されることになる。
●取材時間の制約
・・・新聞・テレビでは締め切り時間、紙面スペース、放送時間などの制約条件によって取材対象や情報源が少数に限定されるという傾向がある。このため、中立・公正な報道姿勢を貫くことが難しくなることがある。
●ビジュアル・プレゼンテーションの限界
・・・特にテレビは“ビジュアル化による分かりやすい表現”と“視聴者の受けが良い映像”を求める傾向がある。ここでは報道される情報の「質」や「正確さ」が犠牲にされることがある。
●サウンド・バイトの制約
・・・ドキュメンタリーやニュース番組では、20〜30秒程度のサウンド・バイトを挿入するという手法が使われるが、前後の関係を無視して挿入されると視聴者に誤解を与えることがある。
(注)サウンド・バイト(sound-bite):ニュース番組などに挿入される、録音(画)されたスピーチ・インタビューからの簡潔で部分的な抜粋。
●イベント志向、センセーショナリズムの弊害
・・・地味で持続的なキャンペーンなどよりも、一過性のイベント志向やセンセーショナリズム報道になる傾向が強い。キャンペーンや特集報道のピークが終った途端、関連の報道がピタリと姿を消してしまう。これは、ジャーナリズムがコマーシャリズム化して、視聴率と販売部数(売上)重視に傾いているために起こる。
●メディア側における専門知識の不足、情報源の不足など
・・・専門的な知識を持つジャーナリストが少ないので、例えば地球環境問題に関する情報をマスコミは正しく評価できず、公正な真実の報道が行われているとは言えない場合がある。
・・・このため、情報源となる専門家や当局(政策担当者)の発表を鵜呑みにした報道が流される。これは、軍による徹底したメディア・コントロールの下でイラク戦争の報道にあたった従軍記者たちと同じ立場である。
・・・記者クラブ、バン記者、首相のぶら下がり会見などが行われている現在の日本では、特にこのパターンが政治面で積極的に活用されている。しかし、事前検閲などは民主主義国家として、あるまじきことである。
*なお、日本ジャーナリスト連盟は、この問題(ジャーナリズムに対する政治的圧力の煙が立ち昇ったこと)に対する非難声明を出しています。
(下記のURL、参照)
http://www.jcj.gr.jp/statemnt.html#050115
(関連URL)
http://blog.goo.ne.jp/remb/
http://blog.goo.ne.jp/remb/e/fe556e248035913424b01b90fc5f6cd7
http://www1.odn.ne.jp/rembrandt200306/