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(回答先: Re: 権威(テレビや新聞)の主張を盲信するな 投稿者 鷹眼乃見物 日時 2005 年 1 月 01 日 21:00:04)
“権力サイドの意向に沿った作為的な誘導記事”に関して、これはもう記者として卑しむべき態度で話にならないが、そこまで行かなくても、記者として無自覚、無神経、無教養、さらには無思考に由来するほとんど無作為的な“誘導記事”が多々あり、これこそ問題にすべきだろう。たとえば、一流企業の税金のごまかしが時々記事になるが、大抵「○億円の申告漏れがあることが分かった」と書いている。申告漏れとは、常識では、申告するのをうっかり忘れた、あるいは数字をつい間違えた、または条文の解釈を取り違えたというようなことである。億単位もの金額をうっかり忘れたり、間違えたりするわけはない。本当にうっかりしたのなら、会計責任者は懲戒ものだ。脱税の意図があってやったに決まっている。ならば、新聞はなぜ「脱税した」とはっきり書かないのか。国税庁が発表する「申告漏れ」という言葉をそのまま記事にしているのである。国税当局は、「脱税」などと発表すれば、相手の企業がご機嫌斜めになり、居直って税金を払わなくなることを恐れて「申告漏れ」と穏やかな言葉を使っているのである。ところがメディアは立場が違うので、当然、事実として「○億円の脱税」と書くところだ。国税当局が企業を検察庁に告発して初めて、新聞も「脱税」と書く。役所の下請けに甘んじている情けない存在である。
ジャーナリストにとって言葉は武器である。この戦争板でも議論が出たが、テロとは言えない攻撃をテロと呼び、「侵略」を「侵攻」などと言う。これらの多用によって、読者を徐々に真実から遠ざけてしまう。こうした言葉に対する無神経さ、不真面目さが、ほぼメディア全体を覆っているのだ。