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サイバーカスケード-2ちゃんねるショック
http://www.asyura2.com/0411/bd38/msg/311.html
投稿者 へなちょこ 日時 2004 年 12 月 25 日 22:36:37:Ll6.QZOjNOr.w
 

http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20041204
(参考)
転載記事  「2ちゃんねるの時代は終わった」
http://www.asyura2.com/0411/it07/msg/235.html
投稿者 とっぽ 日時 2004 年 12 月 25 日 13:54:09:OhNus5n6NGOT.

なぜ知識人は2ちゃんねるにショックをうけるのか?

■ なぜ知識人は2ちゃんねるにショックを受けるのか? ised@glocomの倫理研第1回の議事録を読んで

2ちゃんねるショック

情報社会の倫理と設計についての学際的研究、ised@glocomの倫理研第1回の議事録http://ised.glocom.jp/ised/が公開されました。目次は以下のようになっており、内容もなかなかおもしろいものになっています。

講演 鈴木謙介 『情報社会の倫理と民主主義の精神』

第1部:「2ちゃんねるの時代」の終焉をめぐって

第2部:啓蒙か、運動か――ポピュリズムの陥穽、サイバー保守主義の可能性

第3部:脱社会的存在とウィニート(Winny+NEET)的社会

議論の中心の一つが、「サイバーカスケードにいかに対応していくのか」ということです。サイバーカスケードとは、ネット上に起こったイラク人質事件への自己責任論のように、「小さな発言」が集まって自己組織的に大きな力として立ち上がってくるものです。それが、良い方向に向かうと新潟地震に対する救済支援活動のネット上での展開のように動きとなり表れ、「創発」と呼ばれます。しかしサイバーカスケードと創発性はネット上に現れる自己組織化現象であり、コントロール不可能な両義的なものです。

ようは、「そのうごめきには不透明さと無根拠さがつきまとうハイパーポピュリズムとでも呼ぶべきもの」である2ちゃんねる的なものにどのように対峙していけばいいのか、ということになるのではないでしょうか。今回の議事録からも、知識人たちに広がるこのようなコントロール不可能性へのショック=「2ちゃんねるショック」とでも言うものがあるように感じました。

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「主体なき言葉」


近代における様々なイデオロギーは、主体とは社会的な人である、自立した理性的な人であり、人々はそのようなイデオロギーを理解して、それぞれに与して社会が良くなるためにはどのようにすべきかと、の議論を闘わせてきたという「近代的な幻想」の上に成り立っています。しかしポストモダンにおいて暴露されたのは、人々は自立した理性な主体などでなく、イデオロギーは形而上学に立脚した信仰的なものであるということです。

ボクはこのポストモダン傾向は、現代における情報化の影響によるものであると考えています。多量で高速で伝達される情報が近代的な言説(=大きな物語)を揺らしているのではないだろうか、ということです。そしてネット社会は、さらにポストモダン的な傾向を強めています。ネット上のただのおしゃべりが、「世界へ発せられる言葉」となり、自己組織的にサーバーカスケードとして現れます。それは、「主体なき言葉」です。

現代の無法地帯化とは、ネットの出現によりおしゃべりが活字化され、記録され、「世界へ発せられる言葉」という形態をもつという事態がおきてしまったということである。(ボクはこれをパロールとエクリチュールの造語として、パロリチュールと読んでいる。)おしゃべりは、誰かが何かをいいたいというよりも、お話することが目的として発せられるという流れの中でのことばであり、なにかを語りたいという形態でなく、コミュニケーションとしての反応として発言されるために、その場のノリを多分に含んでしまう。

2ちゃんねるでは、そのようなコミュニケーションが凝縮されるために、その中の創発的に意味を浮き彫りにされてくるのかもしれない。さらにはそのような創発的意味を、切り取られ、さらに価値化されてしまうのである。このような言葉は、従来のように知識人によって評価批判するときができない。誰かが、目的をもって発したことを特定することができないからだ。

知識人も最初は、単なる「便所の落書き」と笑い飛ばしていたが、こまったことに、ボリュームを持ち得てしまったために、「大衆の本音」的な価値として、社会的影響を持ってしまい、知識人の言葉よりも影響力を持ち得る場合がでてきているのである。知識人はこのような状況にたえずフラストレーションをいだきつつけるわけである。

「知識人はなぜ2ちゃんねるを嫌うのか?」http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20040806


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知識人のジレンマ


議事録の中でもコミュニケーションが連続することが重視される「繋がりの社会性」が指摘されている。

一方、若者におけるケータイの利用構造についてつぎのようなことが指摘できます、北田さんの用語でいうとそれは完全に「繋がりの社会性」というものだと思うんですね。これは調査結果などでもわりとわかりやすく出ていまして、どういった価値観なりメッセージなどをやり取りするかというよりも、端的に他人と「繋がっている」こと自体が価値になっていく。・・・その背後にあるのは、ある種の孤独への恐怖、すなわち「繋がれない=見られていないかもしれない」という不安であって、実際いくつかの調査では、そうした孤独恐怖の高さ、あるいは孤独耐性の低さと、ケータイ――とくにメール――の利用頻度との間には高い相関がみられるという分析結果が見受けられるのです。(辻)

携帯メールは、なにか伝えたいことがあるから行われるのではなく、携帯メールは他者に見られたい故に送られるのです。まなざしを求めるが故に、他者に承認されたいが故に、ネットコミュニケーションは行われるのです。すなわちかまって欲しい故にネットコミュニケーションは行われる。そして、それは特別な人などではなく、ごく普通の主体の一面でしかないのです。

さらに現代的には、「なぜ人々は見られたがるのか?」ということに繋がるかもしれません。たとえば、社会の劇場化などといわれます。人の行為がパフォーマンス化している、目立つことを望まれます。ネットではホームページやブログで日常が積極的に公開されます。また暴走族、成人式などで暴れる若者は、体制に批判があることではなく、単に目立ちたいだけです。これは、現代、静的なリアリティ=「何が正しいのか」という社会的なリアリティが崩れて、「まなざし」を強固に内在化させることが難しくなっているためです。そのために他者の反応を見ることによってしか、リアリティを持ち得ないのかもしれません。「なぜ盗んだバイクで走り出すのか?」http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20041203

そしてそのような発言が、創発的に力として生まれるときに、この「主体なき言葉」に、どのように対峙すればよいのか、ということに、「知識人のジレンマ」があります。すなわち2ちゃんねるに対してどのように対峙すればいいのか、ということです。

なぜなら言葉には、それに反する言葉を必要とするからです。リベラルには、コミュニズムのように、そこに理性的な主体がいなければ、言葉自体の意味をなさないのです。しかしたとえば2ちゃんねるのイラク人質事件の自己責任論に対して、どこで、誰に向かい、どのように対峙すればいいのか。「主体なき言葉」はとらえどころがなく、実体がなく、すり抜けてしまうのです。

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「主体なき言葉」の姿を求めて

だから、今回の議事録では「主体なき言葉」を何とか対峙できるように名付け、現前化させることが議論の中心となっているように感じます。


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「サイバーリバタリア二ズムとサイバーコミュニタリアニズム」


(サイバー)リバタリア二ズムと(サイバー)コミュニタリアニズムは共犯関係にある。それは、価値中立的なアーキテクチャを整えることで、全体的な価値形成をしないという共犯関係です。一方、保守主義のほうは、国家主義と違うとしても、全体的な価値形成をするという選択です。このように、いまここでは、全体的な価値形成をするのか、しないのかというオプションが問われている。(東)

ここでは、サーバーカスケードを近代思想の流れに位置づけところから始まります。ネットという創発性を生むようなアーキテクチャを設計することによって、自由な個人の振る舞いから生まれる創発性を信頼する「サイバーリバタリアニズム」、と情報共有によりコミュニティを生み出すという「サイバーコミュニタリアニズム」の共犯で、全体的な価値形成をしない方向に向かっている、という位置です。


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「2ちゃんねるの時代の終焉」


はい、僕もまったくその通り(「2ちゃんねるの時代」はすでに終わりつつある)だと思います。・・・内的にも2ちゃんねるのなかの情報を鵜呑みにする人は、まずいないと思います。それはアイロニーがあるからとかではなくて、端的にもう情報として信頼できないわけです。信頼できるかできないかは、マスコミ情報との関係次第。結局マスコミにリンクされていないことには、ソースとしてまったく見極められない。――もはやこの事実を前提にした上で、コミュニケーションが積み重なっている。そうすると結局『電車男』的なものを生み出す、独身男性板のようなまったりとした、マスメディア的媒介を必要としない板だけが残っていく。僕が『世界』で書かせてもらったときに念頭においていたのは、ニュース速報板(「ニュー速」)だったのですが、「ニュー速」的なものこそが2ちゃんねるであると思える時代は終わりつつあるのかな、と思います。(北田)

ニュース速報板みたいなものがたしかに2ちゃんねる的だった時代はあって、(中略)「2ちゃんねるにもジャーナリズムの燃えかすみたいなものがあるんじゃないか」という幻想(をマスコミに対してつくってきた)(鈴木)

ここでは、2ちゃんねるそのものが終わったわけではなく、「ニュース速報板」的なものが終わりつつあるということです。そして「ニュース速報板」的なものとは、「ジャーナリズムの燃えかすみたいなもの」=自立した理性的な主体みたいなものがあるのではないか。そしてそれが、「大きな「うねり」のような2ちゃんねるのモブ的な動きの結節点として機能」するのではないか、という「主体なき言葉」の現前化しようとするいらだちを感じてしまいます。

しかし、「サイバーカスケードにいかに対応していくのか」と言うときには、むしろ「「ニュー速」的なものこそが2ちゃんねるであると思える時代」が終わった今、「そのうごめきには不透明さと無根拠さがつきまとうハイパーポピュリズムとでも呼ぶべき」2ちゃんねるといかに対峙するかということではないでしょうか。

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「2ちゃんねるからblogへ」

たとえば、自分が経験して思うのは、結局誰にでもわかる話しか2ちゃんねるでは盛り上がらないんですよ。本当にちょっとでも難しいと、もう全然盛り上がらない。3秒で答えられないとダメだ、という話がありますけれども、そういう状況です。そうしたなか、blogがようやく流行ってきた中に、「やっぱり2ちゃんねるでは無理だ」という思いを溜めてきた人々が、たとえば、著作権に関する色々な活動が出てきているという経緯があるのではないか。(高木)

ドイツの社会学者ウルリッヒ・ベックが「サブ政治」という概念を出しています。これは専門家と市民とのいままでの民主的プロセスにはなかった共振的議論形態というものが描かれているんですが、そういった「サブ政治」が2ちゃんねるではうまく軌道に乗らなかったのが、blogでは可能になってきているということですね。・・・しかし実際、そのような運動のなかで動員される、つまりパブリックコメントを出そうとかイベントに行こうという人々の内実もやはり、「3秒ルール」ではないか、と自分は疑念的ですが、思うんです。・・・2ちゃんねるからblogへという流れのなかでサブ政治が可能になってきたように見えるといえど、単に外見が真面目になった、ということなんじゃないかともいえると思うんです。(鈴木)

イラク人質事件に自己責任論への反論は、誰に向かって行えばいいのでしょうか。2ちゃんねる上で、自己責任論という「主体なき言葉」へ反論することの困難です。ここに人々がブログへ向かう意味があるのかもしれません。しかしブログで行われていることは、少し奇妙なことが起こっています。ブログでは、自己責任ブログVS非自己責任ブログの対立構造が成り立っているわけではなく、一つのブログ内で、まずどこかにいる自己責任論を語る主体が語られ、それへ反論するという構造になっています。これはある意味で「主体なき言葉」へのむなしい独り言になりかねません。

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「脱社会的な人々」

ネットの世界に大量に流れ込んでいるのは、日本では脱社会的な人々だと思うんですね。・・・ハッカーには、その起源からもともと反社会的な価値観がついてまわっていたけど、日本ではそれにあたる集団はおそらく「オタク」と呼ばれてきた人々で、彼らは反社会的というよりむしろ脱社会的志向が強い。

Winnyは、マスコミレベルでは反社会的なソフトだと思われているようですが、実際には脱社会性を強力に推し進めるツールだと思うんですね。ネットワーク上にはさまざまなコンテンツが大量かつ雑然と存在していて、ユーザーとしては、とくに強い目的意識もないまま、ただコンテンツをダウンロードし消費して、どんどん時間が過ぎていく。まさに繋がりのリアリティだけを純粋化したようなソフトウェアで、社会的なコミュニケーションからの離脱をとても容易にしてくれる。そして、そもそも日本というのはそういう環境がとても発達していて、コンビニとかファーストフードとかもそういうもののひとつだと思うんです。ニートの増加は、そういう社会環境の整備と切り離せないわけですが、Winnyはそういう環境の特徴をソフトウェアの形でみごとに可視化してくれた。

いまの僕たちの社会は、とにかくみながフリーライダーになりたい、つまり脱社会的存在でありたいが、しかし社会全体はまわってもらいたい、という都合のいい欲望を抱えているわけです。そのご都合主義が露骨に表面化したのが2ちゃんねるなわけですが、Winnyは、まさにそういう精神でまわる箱庭をつくってしまったわけですね。だとすれば、おそらく、いま多くの人々がひそかに期待しているのは、リアル・ワールドまでもがWinny化していくことだと思うんです。「自分は何もリスクは冒したくない、働きたくもない、でもなんとなくコンビニに行けばメシは手に入る、あとは家で寝ていれば何とかなる」というような(笑)。(東)

「脱社会的な人々」、「オタク」、「ウィニート(Winny+NEET)」、「フリーライダー」・・・「主体なき言葉」の主体は本当にこのような人々だろうか。特別な誰か、社会から疎外された誰かであってほしいという、名付けへの焦りがみられるのではないだろうか。

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「ナンギな時代」


ネット上に著作権、リテラシー、プライバシーなどの社会的な問題が現れています。そして伝統的に自立した理性的な主体であることを求められる知識人が、ニートでもオタクでもないごく普通の主体の一面の自己組織化した「主体なき言葉」と、どのように接するのか、求められいます。いままでのような「近代的な幻想」にそって、主体を名付け、簡潔に反論し、支持を集め、制度化することができれば、まだ楽でしょうが、ポストモダン以降ではなかなかこのような荒技も使うことが難しくなっているのでしょう。知識人にとっては、「ナンギな」時代です。

このような「うごめきには不透明さと無根拠さがつきまとうハイパーポピュリズムとでも呼ぶべきもの」へ対峙することの難しさはネット上だけの問題ではないかもしれません。たとえば小泉政権の不思議さは、政権を支えているのが、定期的に公開される支持率です。これは小泉首相の「言葉」を理解し、支持する理性的な主体による支持なのでしょうか。ただ支持率という「主体なき言葉」として、自己組織的に立ち上がっているだけではないのか。このような中で、反小泉の「言葉」をもつ知識人は、誰に向かって、主張すればいいのか、混乱する中で、小泉政権は、適度な支持を元に、制度化することが行われているのかもしれません。

結局、ある程度の世論を味方につけて、そこそこまでもっていったところで、役所の人の理解を得てですね、そこからルールをつくっていくという発想にとらわれているのかもしれないな、と思いますし、ただそれが現状では効率がよいかな、と思っています。むしろここで一歩間違って、住基ネット騒動の時のように、「何かよくわからないけれども番号がつく。気持ち悪い」という反対運動になってしまった時点で、良識ある人たちはそっぽを向いてしまったと思うんですね。そういう風になってしまってはいけないとは常々思うのですが、今後似たような問題を、どういう風にやっていったらいいのか、本当に難しいな、と思っているところですね。(高木)

ボクですか、まだ1回目なので、これからも楽しみにしたいと思っています・・・


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