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●理想的な民主主義を説明するため、ポリアーキー(Polyarchy)という概念を提示した
ことで有名なアメリカの政治学者ロバート・A・ダールが「それなりの市民」(Adequate-Citizen)の存在が重要だというようなことを言っています。これは、普段は政治問題などへは殆ど無関心でも、国家の危機など何か深刻な事態が予期される場合には積極的に政治に参加する能力が身についている、いわば“普通の人間としての強い感受性”を持続することが可能な市民というような意味だと思われます。これは、民主的な市民社会における新しいノーブリス・オブリージェと考えてよいのかもしれません。
(注)ポリアーキー(Polyarchy)
・・・ダールは、「競争」と「参加」の二つの要素が強く作用する理想の民主主義社会をポ
リアーキーと定義した。具体的にいえば、政治権力に対する批判が強力に機能し、積極
的に政治参加する行動的で「多元的」な市民層が大きな割合を占める社会である。「多
元的」の意味は、ミニ・ポピュラスと呼ぶ「討議デモクラシー」のための小グループが、国レベル、州レベル、自治体レベル、地域レベル、職場レベルなどに広汎に存在して、それらが活発に重畳的に活動するということである。
(注)ロバート・A・ダール
・・・1915〜 米国イェール大学名誉教授。翻訳された著書:『現代政治分析』『デモクラシーとは何か』『民主主義理論の基礎』『統治するのはだれか』『ポリアーキー』など多数。
●ダールは、第二次大戦に従軍した経験を持っていますが、その時の軍隊経験の中で
「それなりの、ふつうの人々が最も戦場では役に立った」という経験をしたそうです。平凡な市民生活とはいえ、調和の取れた社会生活を送りながら、その平凡な生活を自覚的に享受するのは案外に難しいことなのかも知れません。この経験から、ダールは「それなりの市民」(Adequate-Citizen)こそが、民主的な社会では最も重要な役割を担っているのだという確信を得たようです。先制攻撃、侵略戦争などは論外としても、最小限度の精鋭な闘争能力を持続するということの意味がこの辺りにあるような気がします。この観点からしても、平和主義と専守防衛はなんら矛盾することはないように思われます。
●内実は臆病で小心なくせに、得意のワンフレーズ・ポリティクスの“アジ演説で大言壮語する”どこかの国の偉い大統領や自称アイドル首相など、いわゆる権力を傘に着るだけの上滑り(嘘つき?)の政治家たちは、戦場に出たらクソの役にも立たないどころか、真っ先にシッポを巻いて逃げ出すかもしれません。国民や市民の立場になって物事を深く考えず、お気軽に、安易に国民や兵士の大切な命を戦場へ差し出しながら! いい気なものです。
●また、デーヴ・グロスマン著『戦争における“殺し”の心理学』(筑摩学芸文庫)は、戦争という暴力を実行させる、つまり殺人を実行させる責任の殆どが軍人ではなく「政治家」、「官僚」(文官)など国の指導的な立場の者(エリートたち)であることを実証的に明らかにしています。グロスマンの検証によれば、何も手立てを施さなければ、一般の人間の本性の7〜8割は「平和」的なものであるそうです。一方、軍隊では心理学的な訓練によって、「暴力」的な心性が95%の割合に高まるまで兵士たちの心を改造することができるそうです。しかし、そうであっても個々の軍隊内部における帰属集団を仕切るトップの命令がなければ、その「暴力」(人を殺すこと)は実行されないとのことです。ただし、2%の割合で存在する異常な気質を持った人間は、訓練の有無に関係なく殺人を実行するそうですが・・・。
●また、グロスマンは、次のように述べています。・・・兵士たち(その証言が本書の根幹をなしている)は、戦争の本質を見抜いている。彼らは「イーリアス」に登場するどんな人物にも劣らぬ偉大な英雄だが、にもかかわらず、本書で語られる彼ら自身の言葉は、戦士と戦争が英雄的なものだという神話を打ち砕く。他のあらゆる手段が失敗し、こちらにその「つけがまわって」くる時があること、「政治家の誤り」を正すため、そして「人民の意志」を遂行するために、自分たちが戦い、苦しみ、死なねばならぬ時があることを、兵士たちは理解しているのだ。・・・
(注)『戦争における“殺し”の心理学』の著者デーヴ・グロスマン氏は、一兵卒からスタートして下士官、将校へと昇進し、現在は中佐の階級にあり、同時に米国のアーカンソー州立大学の軍事教授も務める最精鋭の実践部隊経験者である。
(注)グロスマンの見解を参照しつつ「戦争と平和」について論じた下記Blog記事が参考になる。
『人間の心における戦争と平和の葛藤』
http://takaya.blogtribe.org/entry-e48aa67ad31ad9269a7eb12cd9e83895.html
●このような、現役の米国軍人の実証的な研究の結果から見ても、軍人が全て好戦的だなどという考えは明らかに間違いだと思います。必要最小限度の戦闘を避けることはできないのが現実です。しかし、だからといって、平和主義を捨てても良いということにはならいと思います。理想とする主義は主義、現実はあくまでも現実です。辞めてしまいましたが、アメリカのパウエル元国務長官は、このような意味での「人間の強さ」についての理解に確信を持った人物だと思われます。
●ついでながら、武器輸出3原則の緩和をめぐる議論についても似たようなことが考えられます。ミサイルや軍用航空機などの共同生産が米欧を中心に国際潮流になっているのに、日本は、3原則があるから、このような世界の平和維持のための本流に参加できない。それでは政治的にも技術面にも世界の中で日本は孤立してしまい、経済的にみても武器調達コストが高くついて国益に反することになる、というのが武器輸出3原則の「解禁論者のロジック」です。
●しかし、それは真実といえるのでしょうか? このようなロジックの裏には、例えばイラク戦争における石油利権のように、怪しげな胡散臭さ、おぞましい悪臭・腐敗臭が立ち込めています。また、11.22付の毎日新聞・記事によると、国連で小型武器軍縮に取り組んだ猪口邦子上智大教授(前軍縮会議日本代表部大使)が次のように話していたそうです、「3原則は海外でも有名で日本はモラル・ハイグラウンド(道義的な高み)に立つと評価されている。武器禁輸の日本の発言なら聞くという感じがある」。
●結局、「平和主義の原則」は日本の恒久的な原則であることを国民の合意のもとに再確認した上て、世界はどこへ向かうべきかを真剣に問いつつ、日本はどこへ向かうべきかを「自ら考えることができる強さ」を日本自身が身につけることが重要なのです。そして、このような観点から、国民の責務などについても問いかけ、説明するのが政治家たちの本当の仕事であるはずです。それどころか、利権がらみの疑念・疑惑だけがまとわり付き、また対米隷属の発想しかできないのは真に情けないかぎりです。
(参考URL)
http://takaya.blogtribe.org/archive-200412.html
http://www1.odn.ne.jp/rembrandt200306/