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(回答先: 首相が訪中して、南京の慰霊碑にしっかりと花を献じればいいんだ。 投稿者 木田貴常 日時 2004 年 9 月 30 日 19:53:00)
大変興味深いものを読ませていただきました。みなさま。
負けたからには潔く、というのは全称命題として日本人の心に響きます。ですので、そうだな、と人びとは考えなしに頷くことが多い。
しかし負けた当の相手は誰なのかを考えることが求められるでしょうが、負けたから潔く、はこれを押し留める効果まで持ちます。
冷静に考えて、日本があきらかに負けたのは対アメリカ戦です。
蒋介石率いるところの中華民国が日本に勝ったことになっているのは、アメリカ、イギリスに抗する日本に抗した、敵の敵だったからとも言えますし、アメリカ、イギリスが作った枠組み、つまり国連に入っていたからだとも言えましょう。しかし中華民国はともかくなぜ中国共産党率いるところのチャイナ、英語圏の人が言うCommunist Chainaが、この英米によって、英米の力によって日本に対して勝ち組になっているというのは、それほどすっきりした話には見えません。
これがすっきり見える人たちは何を考えているのか。考えてないかもしれませんが、アメリカのロジック、自由と民主主義政府に反する勢力と戦った第二次世界大戦という後付けのスローガンを心から信じているのでしょう。
しかし、であれば私たちは奇妙な現実に向かわねばなりません。1945年当時において、特に代表的なオーソリティを持っていなかった(あるいはそのオーソリティは台湾に逃げてしまったわけですから話はもっとやっかいです)人びとは、なぜ、まだ何も達成していない前から、自由と民主主義政府の側にあることが可能なのか。
また、ではそこにいたソ連というのは何なのか。これも問題です。一体ではなぜ、取って返したようにアメリカはソ連と戦いだしたのでしょう。同盟であった国であるのにもかかわらず(そしてだからこそ今だに彼らは国連での上席を占めているわけだ)。ナチとの戦いのためにソ連の力を借りたと言うのなら、東欧諸国から罵声を浴びることは必定でしょう。そのアホな判断は何事かと。
これらのことを1つ1つ考えてくると、「負けたからには潔く」はこの言葉が持つ高さよりも、実際にはずっと、思考分散的、思考圧殺的であることがわかります。
蛇足ながら、「負けたからには潔く」を叫ぶかたがたは、主観的には気の毒なことをしてしまったチャイナや他のアジア地域の方のために言っているつもりだと拝察します。しかし、実際にはこの文言によって最も救われているのは、他でもないイギリス、アメリカ、あるいはもしかしたらあっしらさんなどでしたら「彼ら」と呼ぶその人びとかもしれませんが、少なくとも、潔くをモットーとする方々が念頭に置いた人びとのために、ではありません。このことにお気づきになった上でおっしゃっっているのなら、もはや何も言うことはないわけですが。