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反ソムジャヒディンは沢山のグループがあるが、大雑把に大別すれば、イラン・インドが支援するシーア派ハザラ人などの少数民族が主体のグループとサウジアラビア・パキスタンが支援するパシュトゥン人主体のグループとがある。二大グループの決着が一向につかなかったので、パキスタンが入れ込んだのがタリバン。ラディンはアルカイダのトップだが、ラディンがタリバンにかくまわれることで共闘関係になったと考える。
アフガンは元々内戦突入前から複雑な政治状況を持っており、内戦突入の原因も元々はアフガン左翼のパルチャム党とハルク党の内ゲバから始まったのだ。当初は共産主義者とイスラム主義者の争いではなく、スターリン主義者同士の主導権争いから始まったのであって、反ソレジスタンスと言っても、決してムジャヒディンの一言で片付かないほどの多様なグループが活動していたと見るべきです。ただし、スターリン主義者の内ゲバと暴政、ソ連の介入のせいで皮肉なことに左翼勢力は後退し、主導権がイスラム主義者に取って代わっていった訳です。国王を追放したダウド、タラキ、アミンなどのスターリニストの圧制はまがりなりにも脆弱であれ議会制民主主義による政権交代すらあったこの国の未熟な民主主義をも抹殺した。まるで日中戦争の時と同じですね。反共親日的な蒋介石まで共産ゲリラごと抹殺しようとして、結局より反日的な毛沢東が勝つという。