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記者の目:
露学校占拠事件 町田幸彦(モスクワ支局)
まだ陽光が降り注ぐ季節だというのに、ロシア南部・北オセチア共和国は灰色の雲に覆われ、冷たい雨が降っている。「カフカスの涙」なのかと思いたくなる。北オセチアを含むこの地域は、多くの命を踏みにじるテロと展望に欠けた政治に翻弄(ほんろう)されている。同共和国ベスランの学校占拠事件の悲惨な結末に、住民たちは無力感に打ちひしがれている。
「見つかりました」。受話器の向こうですすり泣く声が聞こえる。学校占拠事件の犠牲者を運んだ遺体安置所にいる付き添いの女性からの電話だった。人質になった女子生徒マディナさん(12)の無残な遺体が家族によって確認された直後の5日昼。ベスランの自宅で姉マリーナさん(17)と共に私はいた。その電話を偶然最初にとって、やつれきった彼女には伝えられなかった。
時間が止まってほしいと思った。別の電話に出たマリーナさんは泣き崩れ、「どうして!」と叫んだ。
マディナさんの遺体は黒焦げになり、何も見分けが付かない状態だった。祖父が頭部に指を突っ込み耳輪を取り出して本人のものだと確認した。治安部隊突入前後の爆発と火災のすさまじさを物語る焼死体は無数にあった。3日深夜から4日未明までの銃砲撃で出火した体育館では本格的な消火活動は行われず、燃えるままだった。
学校占拠事件の死者数は共和国当局発表で400人近くだが、現地で得た医療関係者などの情報だと死者は600人に上っていても不思議ではない。ベスランの住民は「700人死亡」と口々に話している。
武装グループが学校を襲撃した1日朝から突入の3日昼まで人質になった子どもや大人たちは、想像を絶する極限状態に置かれた。
のどの渇きをいやすため多くの生徒たちは便所に行った際、靴の中に自分の尿を入れて飲んだ。水や食料の差し入れを犯人たちは拒否し続けた。生還した人質の女子生徒(15)の話によると、校舎の窓際にあった一輪の花を持ってきて花びらを一片ずつ分け合い、食べた女児たちもいた。
非道の犯行に怒りを覚える。北オセチアはこんな所ではなかった。首都ウラジカフカスから車で1時間半ほどで、独立派武装勢力とロシア軍の戦闘が続くチェチェン共和国領に入る。2年前、初めて北オセチアを訪れたとき、紛争が及ぶ恐れはないかと尋ねると、人々は首を振り、「ここは大丈夫」と話していた。確かに静かな町並みと牛の群れが草をはむ田園の穏やかな風景があった。
今、ベスランやウラジカフカスで、住民は将来について口を閉ざしがちになる。プーチン大統領や数々の官製抗議集会が「テロには勝利する」と言い放っても、北カフカスの現地住民にはむなしく響く。
「ロシア中央のモスクワよ、あなたたちはまたすぐに私たち民衆の希望を忘れ、自分たちだけの繁栄を謳歌(おうか)するだろう」
北オセチアの住民の言葉をつなぎ合わせて代弁するとそうなる。心の奥の絶望感はきわめて深い。
学校占拠事件を取材していて、「テロとの戦い」を声高に叫ぶプーチン政権の強硬姿勢とは対照的な現実のお粗末さに驚く。ベスランに出動した現地警察筋はこう明かす。
事件発生後の1日、北オセチア共和国内務省は、現場に出動する警察官の防弾チョッキ200人分が足りないため急きょ購入した。ある警察官は「自分の警察署には、30人の署員がいる。ヘルメットは九つ、防弾チョッキは三つしかない。月給は3500ルーブル(約1万5000円)だが、8月分は未払いのままだ」と語る。
先に紹介した、無事生還した女子生徒の父親も警察官だが、この事件で上層部の場当たり的対応に嫌気がさし、辞職することを決めたという。
こんなもろさを抱えた治安体制なら、テロ集団は容易に間げきをぬって地域社会に入り込めるだろう。正直言って、今のロシア政府にテロ拡大を防ぐだけの十分な力があるのかと疑いたくなる。
プーチン政権はロシアで続発するテロ事件の直接的、間接的な引き金になっているチェチェン紛争を「内政問題」と断じて、国際社会の関与を退けてきた。しかし、そういう「テロ反対」のレトリックでは支えきれない窮状を、学校占拠事件はさらけ出した。国際社会は、テロの根源にあるチェチェン紛争の解決策について直言した上で、ロシアを強く支援していくべきだ。
毎日新聞 2004年9月8日 0時02分
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/afro-ocea/news/20040908k0000m070157000c.html