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チェチェンニュース Vol.04 No.29 2004.09.06 発行部数:1358部
■ベスラン学校人質事件に感じる疑問
何を書けばいいのかわからない。ベスラン学校人質事件は、チェチェン以外の場所で起こった事件としては、ここ10年間で最悪の結果になってしまった。私はここ数日、ぐったりしながら報道を見ていた。今日の報道では、死者数は700人にのぼる。こんな事に慣れたくないと、心から思う。
●武装勢力とは誰か?
犯人が何者かがまだわからない。メディアによって作られたイメージでは、犯人グループは間違いなく「チェチェン独立派」だ。しかしその根拠は、事件がおこった地域がチェチェンの近隣であることと、要求に「ロシア軍のチェチェンからの撤退」が含まれていることしかない。
いくつかの新聞が伝えた、「ゲリラの首謀者は独立派の野戦司令官ドク・ウマロフ」という報道も、2日にイズベスチア紙に掲載された「ウマロフに似た男がいる」という記事を和訳しているにすぎない。犯行声明もないまま、とにかくすべての記事に「チェチェン」という言葉が挟まり、何も根拠を示さず「チェチェンのバサーエフ司令官が組織したとみられており」(2日、東京)などと書かれている。
占拠グループにチェチェン人はいなかった!
http://groups.msn.com/ChechenWatch/general.msnw?action=get_message&mview=0&ID_Message=1427
●ゲリラの顔が見えない
ゲリラたちの顔が見えないのが気になる。BBCによると、現地で交渉したイングーシ前大統領アウシェフ氏は、犯人グループの中には一人のチェチェン人もいなかったと明かした。どういうことだろうか。犯人グループの要求は「チェチェンからのロシア軍の撤退」と、6月にイングーシで発生した蜂起事件(イングーシの若いゲリラたちが多数参加した)の時に逮捕された「仲間の釈放」だという。(2日、朝日)
この事件を、チェチェン独立派と直接結び付けてはいけなかったのではないか。独立派のマスハドフ大統領は、この事件への関与を否定し、犯人グループとの交渉への参加を声明した。事実、ロンドンにいる独立派スポークスマンのザカーエフは、北オセチアのザソホフ大統領らと電話で連絡を取り合い、事態を打開しようとした。マスハドフは事件のあと、北オセチア国民に対して哀悼の意を表すメッセージを発表した。
マスハードフ 北オセチア大統領と国民へのメッセージ:
http://groups.msn.com/ChechenWatch/general.msnw?action=get_message&mview=0&ID_Message=1426
02年の劇場占拠事件の時は、内部にNTVのカメラが入り、リーダーのバラ―エフの映像がテレビで流された。もっとも、音声はカットされた。要求が、「ロシア軍のチェチェンからの撤退」という、ごくまともなものだったので、なおさら広めたくなかったのだ。国民が政府に疑問を持つようなきっかけは、何としても潰さなくてはならない・・・
ロシア側は前回以上の規制をかけて、ゲリラたちの姿や、要求のくわしい報道をさせなかった。今回の事件では、はじめ人質の人数を300人と公表していたが、実は1270人だったことが判明していて、死者数も5日朝の時点では323人だったが、その後増えつづけている。モスクワ劇場占拠事件でも、死者数は130人と公表されているが、実はその倍以上に上るという声は後を絶たない。
ロシア当局は犯人グループにチェチェン人、イングーシ人の他にアラブ人10人、黒人1人が含まれていると主張している(4日、朝日)。そんなことがありうるだろうか?地の利がなければできない、ゲリラ部隊による奇襲に、肌の色も違う遠い外国からの兵士が参加するのは不可能だ。だがロシア側にとっては、この明らかに「国内テロ」でしかない事件を「国際テロ」と主張するために、どうしても外国人が必要だ。
これをよく覚えておいて、これから「外国人」について、何が発表されるか、あるいはされないかを観察しよう。実際、ぜひ説明してほしいと思う。この「外国人」についても、あるいはチェチェンと「アルカイダ」の関係があるという説についても、それが誰を通してどこでつながっているかを。それは誰も言おうとしない。ただ「関係がある」と言う人ばかりが、あちらこちらにいる。
●過去に仕掛けた地雷を、今日踏む
この事件の背景は、チェチェンだけではないような気がする。犯人グループがイングーシ人を中心にしていたとすると、別の説明ができる。伝統的に親ロシアのオセチアのオセット人と、イングーシ人は、もともと深刻な対立を抱えている。1944年に、イングーシ人とチェチェン人はスターリンによってカザフスタンに強制移住をさせられた。チェチェン・イングーシ民族自治共和国は廃止されて空っぽになったのだが、ロシア人の入植と同時に、イングーシの一部にオセット人の入植が進み、そこは北オセチア領になった。
1956年に強制移住させられた人々が名誉回復され、もとの土地に戻ることになったが、ロシアの入植者が立ち退いたわけではなく、オセット人に与えられた土地も、イングーシ人には返還されなかった。その地域をめぐって、1992年に北オセチアとイングーシの間で武力紛争が起こった。そこにロシア軍が「平和維持軍」として介入し、なんと北オセチアに住んでいたイングーシ系住民の排斥に手を貸した。そして3万人から6万人がイングーシに追い返されて、難民化した。イングーシ人がオセット人をどう見ているか、あるていどは想像できる。
分析:誰が北オセチアの人質事件の背後にいるのか?
http://groups.msn.com/ChechenWatch/general.msnw?action=get_message&mview=0&ID_Message=1416
北オセチアの首都の名前はウラジカフカース(コーカサスを征服せよの意)という。そこにはチェチェン戦争を指揮するロシアの北コーカサス統合軍司令部がある。つまり、北コーカサスへの抑圧装置となっているこの土地で、事件は発生した。ロシアがチェチェンに対して侵略と抑圧を加えているために、戦火は北コーカサス全体に広がろうとしている。まるでロシアは自分で埋めた地雷を踏みつづけているようだ。危険な戦争をやめさせなければならない。その鍵になるのは、やはりチェチェンだ。
●アンナ・ポリトコフスカヤ、毒殺未遂?
9月2日、ベスランに向かったロシアのジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤが、南ロシアのロストフの空港に降り立ったとたんに倒れた。医師たちは中毒症状だと診断している。前日から何も食べておらず、機内で出されたお茶しか飲んでいなかったという。彼女の所属するノーヴァヤ・ガゼータ紙の編集部は単に「中毒」という言葉を使って判断を保留しているが、何者かが薬物を使って彼女の行動をとめようとした可能性がある。他にも、ラジオ・リバティーの記者アンドレイ・バビツキーも、彼に責任のないささいな事件で警察の介入を受け、行動を止められた。(後半の記事を参照)
ジャーナリストが行動を制限されるとき、かならずよくないことが起こる。翌日の3日に、「武力行使はしない」という方針を反故にして、当局は学校への突入に踏み切った。9月3日午後1時(日本時間午後6時)に、体育館から死亡者の遺体が運び出されようとしたとき、ロシア側の治安部隊が学校に突入し、激しい銃撃戦と建物の崩壊により、人質の半数以上が死傷した。建物の崩壊は強力な爆発物によるものだと思うが、これが犯人グループの仕掛けたものか、それとも外部から投入されたものかは、わからない。
●チェチェンで何が起こっているのか
犯人グループは交渉を求め、2日にはアウシェフ元大統領の介入で26人の人質解放が実現していた。しかしロシア当局は交渉よりも市民の犠牲を選んだ。「対テロの戦い」をいいつつ、人命は徹底的に軽視されている。これは今回の事件だけではなく、モスクワ劇場占拠事件もそうだった。「対テロの戦い」とプーチンが呼ぶチェチェン戦争自体、すでに20万人のチェチェン人の人命を奪っている。そもそも市民を守るための戦争とは考えられない。
どうしても、繰り返して書かなければならないことがある。チェチェン戦争が「対テロ戦争」だというのは、ロシア当局のプロパガンダに過ぎない。その内実は、たった100万人弱のチェチェン共和国に対して、人口2億の大国ロシアが、常時10万人の軍隊を送り込んでおこなっている侵略戦争だ。そのために、この地域は今までにないほど不安定になっていて、どんな事件が起こるか見当もつかない。
チェチェン戦争は、「対テロ戦争」ではなく、91年に宣言されたチェチェンの独立を挫折させようとする戦争だ。だからこそ、住民の虐殺が放置され、石油資源は略奪され、親ロシア派の傀儡政権によってチェチェンの人々の政治的権利も剥奪されている。8月29日に、さまざまな事件に紛れて行われた傀儡政権の大統領選挙では、こっけいなほどの不正が横行した。結果はもちろんロシア政府の推すアルハノフ候補が当選。85%の有権者が投票したと発表され、予定通りの結果が出た。まるで戦争などないように、周辺諸国も平和を謳歌しているかのように。
読売新聞/チェチェン大統領選、水増ししすぎて調整…露紙報道:
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20040831id34.htm
何にでも犯行声明を出すチェチェンの野戦司令官、バサーエフはこの事件にも声明を出すかもしれない。彼の声明の特徴は「犯行の責任をとる」という言い回しで、本当に関与したかどうかを検証できた人は今までいない。
●「暴力の連鎖を断て」?
私たちが新聞やテレビを見ていて、状況がさっぱりわからないのも無理はない。けれど、チェチェン戦争を理解することができれば、ロシアで起こることのかなりの部分が理解できる。私が思うには、この不条理な戦争を放置し、進行させることは、その不条理を拡大すること以外の何でもない。だから、今回の事件がチェチェンに関係するものだとすれば、次にはもっと大きな惨事が待っている。傀儡政権のようなとりつくろいには何も意味がない。戦争を進行するのはロシア政府であり、放置しているのは、わたしたちだ。
「テロに屈するな」という声が聞こえる。「暴力の連鎖を断て」と語る人もいる。私はどちらにも賛成したくない。不屈の人々には、チェチェンでロシア軍が繰り返している国家規模のテロと、今回のような事件を同じ重さで語ってほしい。何の罪もない子どもたちを盾にした犯人たちの責任と、「治安」をたてに交渉を打ち切って殺戮を果たした当局の責任も、同じように量るべきだ。絶対の正義などないのだから。「連鎖」を口にする人々には、その考え方を、よく見つめなおしてほしい。
91年以来のチェチェンへの侵攻がなければ、今、チェチェン戦争はない。暴力は循環するのではなく、起点がある。それを見ずに「連鎖」を口にしてしまえば、被害者にも責任の半分か、それ以上を負担させる偽善に陥ってしまう。起点の状況を変更しないかぎり、何も終わらない。
まず、想像上の円弧の一部を切断して線にしてみよう。その線は、苦しみの色に染まっている。91年のロシア内務省軍のチェチェン進駐に始まった一方の点は見える。けれどその線の終点は、今のところ、遠い地平線の向こうに消えて、見えない。
■アンナ・ポリトコフスカヤに何が起こったのか?
ノーヴァヤ・ガゼータ編集部
当紙評論員の健康状態と、ロストフ・ナ・ドヌーにおける9月1・2日の出来事
この悲劇の日々、数百人に上るわが同僚のジャーナリスト、国の役人たち、そして読者が、当紙評論員の運命について深い関心を寄せてきました。誰もが、もし彼女がベスランにいてくれたら有益だと考えていたのです。しかし、ポリトコフスカヤはベスランに行きつけませんでした。 ・・・9月1日夕刻。ポリトコフスカヤは編集部の車でブヌーコボ空港に向かいました。それまでに彼女は、ロシアの政治家たち、そしてロンドンにいるマスハードフの代表、アフメド・ザカーエフと連絡を取り合いました。テロリストたちと接触するには、事は迅速に運ばなくてはなららず、逡巡は許されない。子どもたちを救わねば。彼女はそう考えていました。ザカーエフは、「マスハドフ(チェチェン大統領)が行って、彼らと交渉する。マスハドフ自身の安全保証がなくとも」と言っていると伝えていました。
ブヌーコボ空港では、ウラジカフカス行きの便が運休していました。最寄りの町への便も取り消されて、3回彼女は搭乗手続きを取って、3回出発できませんでした。編集部は、まずロストフに飛ばして、そこから車で送ると決め、カラト航空機に乗り込みました。
ここが重要な詳細ですが、ポリトコフスカヤは、(忙しさのあまり)丸一日食事を取っていませんでした。経験豊富な彼女は、機上での食事を断わりました。彼女は非常食にオートミールを持っていました。彼女は健康で、スチュワーデスには紅茶だけを頼みました。それから10分後、出された紅茶を飲んだ直後、ようやくスチュワーデスを呼ぶと彼女は気を失ってしまいました。
この後のことを、彼女は断片的にしか覚えていません。ロストフ空港診療室の医師たちは信じがたい努力をし、瀕死の状態から彼女を蘇生させてくれました。そして、ロストフ市立第一病院感染症部門の医師たちも、几帳面に治療を続けた。例えばペットボトルを湯たんぽ代わりに使うような、ひどい条件下ではありましたが、全力を挙げて、健康回復への努力を続けました。点滴や注射を続けて、翌朝には正常な意識を取り戻しました。
われわれの同僚である「イズベスチア」紙のグリゴリー・ヤブリンスキー、ソロドヴニコフ将軍は、当初医師が「ほぼ絶望」という状況から、彼女を救い出すことに全力を傾けました。
9月3日の夕刻、ある銀行家の好意により、アンナを自家用機でモスクワの病院に運ぶことができました。ロストフの医師たちも移送に付き添ってくれています。ロストフの試験室でのの分析はまだ出ていません。空港で採られた最初のサンプルは、よくわからない理由で消えてしまいました。モスクワの医師によると、毒物の種類はまだ不明ですが、毒物が彼女の内臓に入ったのは機内でのことに間違いないそうです。
すべてが明らかとなるまで、陰謀説を大げさに言い立てたくはありません。しかし、「ラジオ・リバティー」のバビツキー記者の身に起こった、ありもしない爆発物所持の嫌疑による北コーカサスへの便への搭乗妨害と、ポリトコフスカヤの身に起こった事を見れば、チェチェン問題で権威あるジャーナリストをベスランでの悲劇の解明から遠ざけようという動きがあったことは明らかです。
現在、ポリトコフスカヤは自宅で医師の治療を受けています。医師たちによると正体不明の毒物により腎臓・肝臓・内分泌系に深刻な障害をきたしており、完全な回復にどのくらいの日数が要るのかは、わかりません。
ポリトコフスカヤにとって地位は重要ではありません。ただ、自分しかできないジャーナリズムの仕事をすすめるのみです。テロ行為も、それを止めることはできないでしょう。
ノーヴァヤ・ガゼータ編集部
セルゲイ・ソコロフ、ドミトリー・ムラートフ ロストフ・ナ・ドヌー/モスクワ
http://www.novayagazeta.ru/sob/politkovskaya.shtml
訳:岡田一男
■奮闘する林克明氏
事件に関する報道はかなり偏向していますが、チェチェンに詳しいジャーナリストの林さんが次々とテレビに出演し、チェチェン情勢を解説しています。ぜひご覧ください。よかったら、番組についての感想を、放送局に伝えてください。そうすることで変わっていくものは確実にあります。
出演予定:
テレビ朝日・ワイドスクランブル(9月6日午前11時25分〜)
投書ページ: http://www.tv-asahi.co.jp/scramble/
日本テレビ・ザ・ワイド(9月6日午後1時55分〜)
投書ページ: https://www.ntv.co.jp/staff/form.html
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http://chechennews.org/chn/0429.htm