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チェチェンとアメリカ
By StrangeLove
ロシア南部北オセチア共和国で、学校がチェチェンの独立を求める武装勢力に占拠された。多数の死傷者が出たようだ。この事件の背景にロシアとアメリカの中央アジアを部隊とした石油利権を巡る戦いがあることは言うまでもない。
日頃、アメリカの武力行使、住民虐殺に寛容なテレビの『コメンテイター』がチェチェンのテロには理由があると擁護していたが、どのテロにも歴史的な背景はあるものだ。アメリカの権力グループにとって都合の良いゲリラは『自由の戦士』、都合の悪いゲリラは『テロリスト』と呼んでいるのと同じで、無意味な発言だった。
さて、チェチェン問題を考える場合、少なくとも1859年、この地域が帝政ロシアの支配下に入った時までさかのぼる必要があるだろう。1917年のロシア革命の際に反乱を試みるものの、失敗している。
スターリンの時代には集団的農業への移行を強制され、イスラムの伝統的な宗教行為を否定されて反発を強めた。その結果、第2次世界大戦が始まるとソ連の戦争相手、ナチス・ドイツに協力することになる。そして報復のカザフスタンへの集団移住。故郷に戻れたのはスターリン死後、1957年のことだ。
そして1991年のクーデター騒動。ゴルバチョフの力が急速に弱まり、エリツィンが実権を握る。オーム真理教から多額の資金を受け取っていただけでなく、アメリカのブッシュ政権からも支援を受けていた人物である。
エリツィンの時代に中央アジアが独立、チェチェンも1991年11月に独立を宣言した。そこに入り込んできたのアメリカである。ウズベキスタン、タジキスタン、カザフスタンなどに軍事拠点をアメリカは建設、グルジアには特殊部隊員80名を送り込んだ。チェチェンのイスラム武装勢力はグルジアを拠点にしているとロシア政府は批判している。
当初、チェチェンで武装闘争を指揮していたバサエフは1991年8月当時、エリツィンの側近だった軍人。11月にチェチェンが独立を宣言した後、旅客機をハイジャックして抵抗運動をスタートさせ、次いでアフガニスタンやパキスタンでゲリラを訓練している。そして1994年、ソ連軍がチェチェンに軍隊を入れると、本格的な武装闘争を開始した。
アフガニスタンの北、トルクメニスタン、ウズベキスタン、カザフスタン、そこから西へ進むとカスピ海、その西にはアゼルバイジャン、グルジア・・・。石油の輸送ルートであると同時に、ヘロインの密輸ルートでもある。その先にあるのがトルコ、コソボ、アルバニアだ。この地域の武装抵抗に資金力がある一因はここにある。
チェチェン紛争の裏にアメリカの思惑があると考えているのはロシア政府だけではない。アメリカがカスピ海周辺からロシアを追い出そうとしているとニューヨーク・タイムズは1999年11月に報道している。
場合によっては、武力闘争の舞台がロシアを呼び越えてヨーロッパに及ぶ可能性もある。
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