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朝日【チェチェン、イラクと並ぶ「主戦場」実行犯にアラブ人】
とことが、何と、「アルカイダを創設したオサマ・ビンラディン」とは、アメリカのCIAの手先だった。
今も、「アルカイダ」なるものは、CIAの手駒である。
似非紳士は、ここまで事実に接近し出したのか、否か。もう、いらいら、しちゃうよな。
http://www.asahi.com/international/update/0904/012.html
チェチェン、イラクと並ぶ「主戦場」 実行犯にアラブ人
ロシアの学校占拠事件で射殺された実行犯のうち、少なくとも10人がアラブ人だったとされる。以前から指摘されてきたアフガンからチェチェンへのアラブ人イスラム主義グループの流入が、改めて確認されたことになる。テログループが、チェチェンをイラクなどと並ぶ「主戦場」と見なしている可能性がある。
アフガニスタンには80年代以降、ソ連侵攻を「無神論国家による侵略」ととらえるアラブの若者が、義勇兵として続々と渡った。アルカイダを創設したオサマ・ビンラディン氏もその一人だ。89年のソ連撤退とその後の内戦を経てイスラム主義のタリバーン政権が発足した。
戦闘経験を蓄えたアルカイダらイスラム主義勢力は、タリバーンの保護を受けてアフガンに本拠地を築き、イスラム教徒がからむ各地の紛争への介入を目指した。タリバーンは00年、チェチェン独立を承認。中央アジアをまたぐ「イスラム軍事センター」(エジプト・アハラム戦略研、ラシュワン研究員)が形成された。
02年3月、アルカイダとチェチェン武装勢力の関係の原点ともいえるヨルダン出身のハッターブ野戦司令官が、ロシア連邦保安局によってチェチェンで暗殺された。アフガンでビンラディン氏と出会い、アルカイダ入りした人物とされる。米紙ニューズデーは02年1月、同司令官がチェチェン独立派のヤンダルビエフ元大統領代行と談笑する場面が映ったビデオの存在を報じた。クレムリンは「両者の関係を証明する証拠」(広報担当者)と強調した。
01年の米同時多発テロ後の「対テロ戦争」でタリバーン政権は崩壊。アルカイダは保護を失った。スーダンなど他の紛争地も米欧の圧力でテログループの受け入れをやめた。こうして行き場を失った勢力がチェチェン入りした可能性もある。
先月、モスクワで起きた自爆テロ事件と旅客機の同時爆破事件では「イスランブリ旅団」が犯行声明を出した。情報筋は、81年のエジプト・サダト大統領の暗殺実行犯の弟で、アフガンで活動していたエジプト人が指導者だとしている。アハラム戦略研によると、同旅団の名は今年7月にパキスタンで起きたアジズ財務相の暗殺未遂テロで初めて確認されたという。
(09/04 11:58)