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9月4日付・読売社説(1)
[学校占拠テロ]「毅然と立ち向かうしかなかった」
武装テログループによるロシア南部・北オセチヤ共和国の中等学校占拠事件は、ロシア治安部隊が、実力で武装勢力を制圧し、多数の死傷者を出して決着した。痛ましい結末である。
子供たちを人質に取り、政治的な要求を突きつけるテロリストのやり口は、断じて許せるものではない。
テロリストの求めに、わずかでも譲歩の構えを見せれば、新たなテロを誘発するだけだ、との判断がプーチン・ロシア大統領には働いたのだろう。
プーチン大統領は、テロリストの常套(じょうとう)手段に屈することなく、取引にも一切応じない毅然(きぜん)とした態度でテロに立ち向かった。当然あるべき姿勢である。
チェチェン武装勢力と見られる犯人グループは、新学期の始業式直後の学校を襲撃し、多数の児童・生徒らを人質に取った。その上で、チェチェン共和国からのロシア軍の撤退や、治安当局に拘束された仲間の釈放などを要求していた。
プーチン大統領は、「人質の生命と健康を守るのが我々の主任務」と語り、慎重な対応を示唆していた。
人質の多くが子供たちであることに加え、とかく政情不安がささやかれる北カフカス地域での出来事ということもあって、できれば強硬策は回避したかったのだろう。
人質となった女性や子供の一部が解放されはしたが、武装グループと治安部隊のにらみ合いは続いていた。
事件発生からまる二日が過ぎ、武装グループが、外部からの水や食料の差し入れを拒む中、子供を中心とする人質の衰弱も心配されていた。
事件は決着したが、プーチン政権が直面する真の課題は、そのまま残った。一九九九年秋に再燃して以来、未解決のまま続くチェチェン紛争である。
プーチン大統領は、分離独立を主張するイスラム武装勢力を軍事力で抑え込む方針を、一貫して曲げなかった。チェチェン政策は当初、欧米諸国から批判の対象となったものの、二〇〇一年九月十一日の米同時テロ以降は、そんな批判もあまり聞かれなくなった。
二〇〇二年秋、モスクワの劇場で発生したチェチェン武装勢力による同様の占拠事件では、約八百人の観客が人質になった。要求はやはり、チェチェンからのロシア軍の撤退だった。
そして今回の事件である。プーチン大統領が、従来のチェチェン政策をこのまま継続すれば、同様の事件の続発が想定される。プーチン政権にとって、テロとの戦いは安易な妥協が許されない、最も困難な課題となっている。
(2004/9/4/02:29 読売新聞 無断転載禁止)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20040903ig90.htm