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イスラエル政府は建国後十数年間、米国政府からの資金援助で、スファラディ系ユダヤ人児童10万人にX線照射実験をしていた
http://www.asyura2.com/0406/war59/msg/384.html
投稿者 佐藤雅彦 日時 2004 年 9 月 02 日 05:41:39:FnBfYmHiv1JFs
 

●8月下旬に表題のような情報を得ました。イスラエルで政府の腐敗を追及してきた
 バリー・チャミッシュというジャーナリストが、国内で放映されたばかりの画期的な
 内部告発番組の紹介記事(番組批評)を書いたものです。

●イスラエルは現在、原発周辺地域の核汚染問題が噴出しているわけですが、
 建国当初に続けられていた特定人種(スファラディ系ユダヤ人)の児童だけ
 を対象にした大規模な放射線照射事業と、それが生み出した現在の惨害を
 イスラエル国内だけでなく世界に知らしめたこの番組『10万人への放射線照射』
 と、チャミッシュ氏の紹介記事の意義はきわめて大きいと言えます。

●この暴露報道でショッキングなのは、何と言っても「ホロコースト糾弾」を
 ビジネスにしてきたシオニスト国家が、自らの内部でまさに人種差別にもとづいて
 アフリカ・中東系ユダヤ人のほぼ全員の子どもに放射線を浴びせていたことと、
 そうした人体実験まがいの大規模事業に米国の政府と軍部が加担していたことです。
 
●放射線照射による突然変異の誘発は1930年代にはすでに広く知られていたことですし、
 X線などによる健康障害も20世紀初めには知られていたことでから、「しらくも
 (=頭皮の白癬菌感染症)の治療や予防のために児童の頭皮に高用量のX線を
 照射して白癬菌を焼き殺す」という方策がいかに危険かは予測できたと思うのです。

●イスラエルを建国し、社会的支配権を握ったアシュケナージ系ユダヤ人が、
 北アフリカやアラブ諸国から大量に流れ込んでくるスファラディ系ユダヤ人に
 対して「遠からず旺盛な“繁殖力”で我々の支配を揺るがす恐れがある」と
 危機感を持ち、公衆衛生を名目に穏やかな“民族衛生学”政策を行なった、
 というのがスファラディ系ユダヤ人まるごと一世代に対する放射線照射事業の
 真意だったのではないかと思えてきます。つまりチャミッシュ氏が下記の
 文章のなかで指摘している「優生学政策」こそ、この事業の本質であり、
 被害にあったスファラディ系ユダヤ人の言葉を借りれば、これこそまさに
「スファラディ系へのホロコースト」、緩慢で密やかな“放射線ホロコースト”
 だった、というわけです。

●チャミッシュ氏の文章のなかでもうひとつ気になるのは、建国直後のイスラエル
 でイエメンからの移民の乳幼児が大量に誘拐され、アメリカに送られて生体実験
 に使われていた疑いがある、という問題です。

●これまでヒトの放射線被曝の基礎データは、広島と長崎の原爆被爆者からの
 情報が中心であると伝えられてきたわけですが、ひょっとするとこうした
 かたちの生体実験で、日本の原爆被爆者からは得られないようなデータも
 米国は得ていた可能性があります。(さらに言えば、今のところ臆測に
 すぎませんが、米国が60年代初めまで盛んに行なっていた野外核実験で、
 家畜や小動物だけでなく、イスラエルあたりから“輸入”した誘拐被害の
 スファラディ系ユダヤ人の乳幼児なども、実験サイトに置かれていた
 可能性だって考えられるわけです。)

●イスラエルで噴出した“放射線ホロコースト”スキャンダルは、日本にとって
 他人事ではないはずです。日本の原爆被災者は人間モルモットとして
 データ収集のマテリアルに使われたわけですが、イスラエルでアシュケナージ
 系の“建国の父”たちが実行した非人道的な“事業”によって、スファラディ系の
 乳幼児たちがどのような惨害をこうむったのか、その実態に注目する必要があります。

●まず、バリー・チャミッシュという人物の簡単な紹介記事。
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http://www.pushhamburger.com/barry.htm

Barry Chamish is an Israeli journalist who has done a great deal of research into corruption of Israel's government--from outside forces and from within.
【バリー・チャミッシュはイスラエルのジャーナリスト。これまでイスラエル政府の腐敗を、強力な調査力と内部告発の力を借りて数多く行なってきた。】

"Barry had three novels and one book of short stories published in Canada from 1971-75. He moved to Israel, got an MA at Hebrew University and started army service. In 1982 he fought in the Lebanon War. After that Barry pursued a writing career with vigor and published pieces in well over 500 publications, including The Atlantic, National Review, Hollywood Reporter, New York Newsday, etc.
【バリー氏は、1971〜75年当時にカナダで3冊の小説と短編集1冊を発表した。その後イスラエルにわたり、ヘブライ大学で修文学修士号を取得し、兵役に就いた。1982年にはレバノン戦争で戦っている。その後は執筆活動に精進し、500本以上の記事を『アトランティック』『ナショナル・レビュー』『ハリウッド・レポーター』『ニューヨーク・ニューズデイ』などに発表した。】

In 1992, his career took a sharp unexpected turn. Barry's book, The Fall of Israel, was published in Britain by Canongate Publishers. It was a stinging expose of Israeli political corruption. Following the book's success, a newsletter was established with Joel Bainerman called Inside Israel. Originally founded to reveal corruption, over time we discovered the reason for the criminality of the Israeli political system: it had been co-opted at the top by elements of the New World Order, especially the Council on Foreign Relations. This knowledge led to deeper investigation and ultimately to the publication of two more books, "Traitors and Carpetbaggers In The Promised Land" and "Who Murdered Yitzhak Rabin."
【だが92年に“物書き”としての彼の人生は予期せぬ転機を迎えた。きっかけは英国のキャノンゲイト出版社から出した『イスラエルの凋落』である。これはイスラエル政界の腐敗を手厳しく暴露した本だったが大好評を博し、やがてジョエル・バイナーマンと共同で『インサイド・イスラエル』というニューズレターを創刊した。当初は政界汚職などを暴露していたが、やがてイスラエルの政治体制そのものが抱えている犯罪性が見えてきた。なにしろイスラエル政府の上層部は“新世界秩序”づくりを画策する勢力、とりわけ外交問題評議会(CFR)に取り込まれていたのだから。こうした事実を知り、彼は政界の闇をさらに深く追及することになり、その成果は2冊の著作『約束の地で暗躍する売国奴と渡り政治屋』『誰がイツハク・ラビンを殺したか?』として発表された。】

Barry Chamish E-mail chamish@netvision.net.il
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●2004年8月18日にチャミッシュ氏が発表した、『10万人への放射線照射』の番組批評。
 《訳注:「18日」という掲載日時は下記サイトから推測した。
    http://www.animalweb.cl/n_o_imperial/zionismo/holocausto_sefardita.htm》
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100,000 Radiations - A Review
【『10万人への放射線照射』――番組を見て】

by Barry Chamish
【バリー・チャミッシュ】


On August 14, at 9 PM, Israeli television station, Channel Ten, broke all convention and exposed the ugliest secret of Israel's Labor Zionist founders; the deliberate mass radiation poisoning of nearly all Sephardi youths.
【8月14日の午後9時からイスラエルのテレビ局“10チャンネル”で放映された番組は、これまでのすべての因習を打ち破り、この国の創建を担った“労働シオニスト組織”の最も醜悪な秘密を暴き出した。つまりイスラエル政府がスファラディ系ユダヤ人の子どもたち殆ど全員に、意図的に大量の放射線を浴びせて健康被害を及ぼしてきた事実を、暴露したのである。】

The expose began with the presentation of a documentary film called, 100,000 Radiations, and concluded with a panel discussion moderated by TV host Dan Margalit, surprising because he is infamous for toeing the establishment line.
【この暴露騒動のきっかけを作ったのは、『10万人への放射線照射』と題するドキュメンタリー番組の放映だった。この番組は最後に司会のダン・マルガリットが進行役を務める討論で終わっているが、彼は“体制派”べったりのテレビ文化人としてつとに評判の悪い人物だったから、こういう仕事をしているとは驚きだ。】

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Film Details:
【番組の詳細】

100,000 Radiations, released by Dimona Productions Ltd. in 2003.
『10万人への放射線照射』(ディモナ・プロダクション、2003年)

Producer - Dudi Bergman
【プロデューサー:ドゥーディ・ベルグマン】
Directors - Asher Khamias, David Balrosen
【ディレクター:アッシャー・ハミアス、ダーヴィッド・バルロセン】

Panel Discussion Participants
【パネル討論の参加者】
A Moroccan singer was joined by David Edri, head of the Compensation Committee for Ringworm X-Ray Victims, and Boaz Lev, a spokesman for the Ministry Of Health.
【“しらくもX線照射被害者補償委員会”代表のダヴィッド・エドリ氏《←David Deriの誤記の可能性あり》とモロッコ人歌手、それに厚生省スポークスマンのボアズ・レヴ氏。】


Subject:
【番組内容の骨子】

In 1951, the director general of the Israeli Health Ministry, Dr. Chaim Sheba flew to America and returned with 7 x-ray machines, supplied to him by the American army.
【1951年、イスラエル厚生省の総指揮を執っていたハイム・シェバ医師は米国に飛んだ。そして米軍から供給された7台のX線照射装置を祖国に持ち帰った。】

They were to be used in a mass atomic experiment with an entire generation of Sephardi youths to be used as guinea pigs. Every Sephardi child was to be given 35,000 times the maximum dose of x-rays through his head. For doing so, the American government paid the Israeli government 300,000,000 Israeli liras a year. The entire Health budget was 60,000.000 liras. The money paid by the Americans is equivalent to billions of dollars today. To fool the parents of the victims, the children were taken away on "school trips" and their parents were later told the x-rays were a treatment for the scourge of scalpal ringworm. 6,000 of the children died shortly after their doses were given, the many of the rest developed cancers that killed them over time and are still killing them now. While living, the victims suffered from disorders such as epilepsy, amnesia, Alzheimer's disease, chronic headaches and psychosis.
【これらの装置は原子力艦系の大規模な人体実験を行なうために用いられた。スファルディ系ユダヤ人の子どもたち全員が、まるごと1世代にわたってこの実験のモルモット代わりの実験台にされたのだ。イスラエルに住むスファラディ系ユダヤ人の子どもは、誰もが許容量の3万5千倍もの強力なX線を頭部に照射された。この大規模実験を行なうに際して、米国戦争がイスラエル政府に年間3億イスラエルリラの資金を供与していた。当時はイスラエル政府の厚生予算が総額6千万リラだったわけだから、この資金援助がどれほど大きなものだったかが分かる。米国政府がこのX線照射事業のためイスラエル政府に供与していた資金は現在なら数十億ドルに相当する。
 スファラディ系の子どもをX線照射実験に連れ出すため、親たちをだます策略としてインチキな「遠足」がデッチ上げられ、いったん子どもたちにX線照射が行なわれると、あとで親には「お子さんの頭皮に巣食っていた“しらくも”[=子どもの頭皮に生じる白癬菌感染症の病変]を治療するためでした」とウソの告知を続けていた。こうしてX線照射を受け、その直後に死亡した子供たちはじつに6000人に達する。それ以外の子どもも多くは癌になり、すでに死亡したか現在死にかけている。いまも生存している被験者たちだって、癲癇[てんかん]・健忘症・アルツハイマー病・慢性頭痛・精神病など、各種の障害に苦しんでいる。】

Yes, that is the subject of the documentary in cold terms. It is another matter to see the victims on the screen. ie. To watch the Moroccan lady describe what getting 35,000 times the dose of allowable x-rays in her head feels like.
"I screamed make the headache go away. Make the headache go away. Make the headache go away. But it never went away."
【そう。まさにこれが、問題のドキュメンタリー番組の主題であり、番組は淡々と事実を伝えたのだ。それに劣らず画期的だったのは、この実験の犠牲者たちが実際に画面に登場したことだ。許容線量の3万5千倍ものX線を頭部に照射されたモロッコ人の女性は、当時の様子をこう語った――「大声で泣き叫びました。泣き叫べば頭痛を忘れることができると思って。頭痛から逃げ出したかった。頭痛をどうにかしたかった。でも頭痛が楽になるなんて、一度もなかったんです」。】

To watch the bearded man walk hunched down the street.
"I'm in my fifties and everyone thinks I'm in my seventies. I have to stoop when I walk so I won't fall over. They took my youth away with those x-rays."
【背中がすっかり曲がってしまった顎髭の男が街頭を歩きながらこう語る――「まだ50歳を過ぎたばかりですが、みんな私を70歳を過ぎた老人だと思ってるんですよ。こうやって前かがみで歩かないとひっくり返っちゃうんでね。あのX線のおかげで若さをすっかり奪われちまった」。】

To watch the old lady who administered the doses to thousands of children.
【何千人もの子どもたちにX線照射を行なったいたという老女が証言する――】

"They brought them in lines. First their heads were shaved and smeared in burning gel. Then a ball was put between their legs and the children were ordered not to drop it, so they wouldn't move. The children weren't protected over the rest of their bodies. There were no lead vests for them. I was told I was doing good by helping to remove ringworm. If I knew what dangers the children were facing, I would never have cooperated. Never!"
【子どもたちは一列に並ばされて、まず頭の毛を剃られてヒリヒリするジェル剤を塗られます。つぎに足のあいだにボールを挟まれて「これを落とさないように」と命令されるんです。これで子どもたちはその場にじっと立っていなきゃならない。子どもたちの体は、照射部位以外はなんら保護されていませんでした。鉛入りの防護ベストを着せるなんてことも全くありませんでした。私も“しらくも”退治で子どもたちを助けているんだと聞かされていましたしね。あの子たちが危険な目に遭っていると知っていたなら、ぜったいに協力なんかしなかったんですよ。絶対に!」】

Because the whole body was exposed to the rays, the genetic makeup of the children was often altered, affecting the next generation. We watch the woman with the distorted face explain, "All three of my children have the same cancers my family suffered. Are you going to tell me that's a coincidence?"
【子どもたちは全身にX線を浴びたため、遺伝子に突然変異をこうむり次世代に悪影響が及んだ事例も多かった。我々は、顔が歪んでしまった女性から、こんな話を聞いた――「子どもが3人いるんですが、どの子も同じ癌に罹[かか]りました。親が罹ったのと同じ癌にね。これでも“偶然の一致だった”なんて言えますか?」】

Everyone notices that Sephardi women in their fifties today, often have sparse patchy hair, which they try to cover with henna. Most of us assumed it was just a characteristic of Sephardi women. We watch the woman on the screen wearing a baseball-style hat. She places a picture of a lovely young teenager with flowing black hair opposite the lens. "That was me before my treatment. Now look at me." She removes her hat. Even the red henna can't cover the horrifying scarred bald spots.
【現在50代のスファラディ系の女性たちは、たいてい頭髪にまだら状の濃淡が見られる。それを隠すためにヘンナで頭を染めていることは、誰もが気づいている。我々はたいてい「スファラディ系人種の女性は頭にそういう“模様”ができるものなんだ」と信じ込んでいて、これを疑問にも思わない。この女性は野球帽をかぶっている。一枚の写真を差し出すと、そこには流れるような黒髪が美しい十代の可愛い少女が写っていた。「これ、私なんですよ。治療を受ける前のね。だけど今はこう!」 そう言って帽子を取ると、無惨な瘢痕[はんこん]で頭部にまだら状のハゲができていた。ヘンナの赤い毛染めではもはや隠せないほど酷い状態だった。】

The majority of the victims were Moroccan because they were the most numerous of the Sephardi immigrants. The generation that was poisoned became the country's perpetual poor and criminal class. It didn't make sense. The Moroccans who fled to France became prosperous and highly educated. The common explanation was that France got the rich, thus smart ones. The real explanation is that every French Moroccan child didn't have his brain cells fried with gamma rays.
【この実験の犠牲者は、圧倒的多数がモロッコ系の移民だった。それはイスラエルに移入したスファラディ系民族のうち、モロッコ人が最も多かったからだ。彼らは一世代にわたって丸ごと健康被害を負わせられた。おかげで今やイスラエルの経済的な最底辺の階層となり、もっとも犯罪者が多い集団になってしまった。この状況が改善される見通しは全くない。理不尽ここに極まれりである。実際、フランスに移住したモロッコ人は経済的に豊かな生活を享受し、進学の機会にも恵まれているのだ。移住先がフランスかイスラエルかでこれほどの違いが出た理由として、たいてい持ち出されるのは「フランスは裕福な国だから移民に対しても“そつなく”行なえるからだ」という理屈である。だがフランスに移住したモロッコ人の子弟はだれ一人としてガンマ線《←訳注:X線の間違いではないかと思われる》で脳細胞を焼かれたことなどない、というのが本当の理由だろう。】

The film made it perfectly plain that this operation was no accident. The dangers of x-rays had been known for over forty years. We read the official guidelines for x-ray treatment in 1952. The maximum dose to be given a child in Israel was .5 rad. There was no mistake made. The children were deliberately poisoned.
【この番組をみてただちに分かるのは、偶発的なめぐりあわせでかくも大量の児童に放射線照射が行なわれたのではない、ということだ。この事業が実施される40年も前からX線の危険性は知られてきたのである。X線治療の際に医師が遵守すべき注意事項を記した1952年当時の公式指針を読むと、イスラエルでは児童への最大許容線量は0.5ラドだった。間違いが行なわれたわけでは全くない。子どもたちは故意に健康危害を加えられたのだ。】

David Deri, makes the point that only Sephardi children received the x-rays.
【ダヴィッド・デリ氏はスファラディ系の子どもたちだけがX線照射を受けたことをこう告発する――】

"I was in class and the men came to take us on a tour. They asked our names. The Ashkenazi children were told to return to their seats. The dark children were put on the bus."
【「授業中だったんですが、男たちが突然教室に入ってきて私らを遠足に連れ出したんです。それから私らは名前を聞かれました。ところがアシュケナージ系の子どもらだけ教室に戻るように言われたんです。こうして有色人種の子どもだけがバスに載せられたんです。】

The film presents a historian who first gives a potted history of the eugenics movement. In a later sound bite, he declares that the ringworm operation was a eugenics program aimed at weeding out the perceived weak strains of society. The film now quotes two noted anti-Sephardi racist Jewish leaders, Nahum Goldmann and Levi Eshkol.
Goldmann spent the Holocaust years first in Switzerland, where he made sure few Jewish refugees were given shelter, then flew to New York to become head of the World Jewish Congress headed by Samuel Bronfman. According to Canadian writer Mordecai Richler, Bronfman had cut a deal with Prime Minister Mackenzie King to prevent the immigration of European Jews to Canada.
【番組では歴史家が登場し、まず優生学運動の歴史をざっと説明する。その後に、この学者はきっぱりと断言する。「しらくも退治」の名目で行なわれた放射線照射事業は、じつは「イスラエル社会の足手まとい」と見なされた血統集団を根絶やしにするための一種の優生学事業だったのだと。ここで番組はユダヤ社会からのスファラディ系人種排除を主張していることで有名な2人の指導的人物ナフム・ゴルドマンとレヴィ・エシュコルの発言を紹介する。ゴルドマンはホロコーストが行なわれていた当時スイスで生活していた。だがスイスではユダヤ人難民の安全が保障されないことを思い知らされて米国のニューヨークに移住し、そこでサムエル・ブロンフマン率いる世界ユダヤ人会議の指導的立場に就いた。カナダの作家モーデカイ・リチラー氏によれば、ゴルドマンはヨーロッパからのユダヤ人がカナダに移住できないようにするためマッケンジー・キング首相と取引していたという。】

But Levi Eshkol's role in the Holocaust was far more minister than merely not saving lives. He was busy taking them instead. From a biography of Levi Eshkol from the Israeli government web site:
【だがレヴィ・エシュコルがホロコーストで果たした役割は、「他人の命を救う」などというものでは到底なかった。彼は「他人の命を救う」どころか、むしろ「命を奪う」がわの仕事で大忙しだったのだ。イスラエル政府のウェブサイトに掲げられた彼の略歴には、次のような記述が見られる。】

"In 1937 Levi Eshkol played a central role in the establishment of the Mekorot Water Company and in this role was instrumental in convincing the German government to allow Jews emigrating to Palestine to take with them some of their assets - mostly in the form of German-made equipment."
【「1937年、レヴィ・エシュコルはメコロト水資源会社《=現在のイスラエル国営水道企業》の創設に中心的な役割を果たした。これによりドイツ政府はユダヤ人が僅かばかりの所帯道具を抱えてパレスチナに移住していくのを認める決意を固めたのである。ユダヤ人が移住の際に所持していたのは、主にドイツ製の品物だった。」】

While world Jewry was boycotting the Nazi regime in the '30s, the Jewish Agency in Jerusalem was propping up Hitler. A deal, called The Transfer Agreement, was cut whereby the Nazis would chase Germany's Jews to Palestine, and the Labor Zionists would force the immigrants to use their assets to buy only German goods. Once the Jewish Agency got the German Jews it wanted, those they secretly indoctrinated in the anti-Judaism of Shabtai Tzvi and Jacob Frank, they let the Nazis take care of the rest of European Jewry. The Holocaust was a eugenics program and Levi Eshkol played a major role in it.
【1930年代、世界中のユダヤ人社会がナチス・ドイツのボイコットを行なっていた最中に、エルサレムの“ユダヤ機関”《=世界シオニスト機構から拡大して創られた機関でパレスチナへのユダヤ人入植を進めてきた》はヒットラーを支援していた。すなわち彼らは「移送協定」と呼ばれる協定を結んでナチスと取引を行なった。この協定の下で、ナチスはドイツのユダヤ人たちをパレスチナの土地に追い払い、一方、“労働シオニスト組織”はパレスチナに逃れてくるユダヤ人移民に圧力をかけて、彼ら移民の資産でむりやりドイツ製品だけを買わせたのである。そしてエルサレムの“ユダヤ機関”は、自らが欲していたドイツ系ユダヤ人を手に入れると、今度はシャブタイ・ツヴィやヤコブ・フランクが唱えた反ユダヤ主義をひそかに吹き込んで洗脳を行ない、ナチスの関心をヨーロッパ全域のユダヤ人の放逐へと仕向けた。いわゆる「ホロコースト」とは一種の優生学事業だったわけだが、レヴィ・エシュコルはその重要な役割を果たしたわけである。】

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   【★補注】
   ●シャブタイ・ツヴィ(Shabtai Tzvi)――その名は、サッバタイ(Sabbatai)/サッベタイ(Sabbetai)/シャッベサイ(Shabbethai)/シャッベタイ(Shabbetai)・ズビ(Zvi)/ツヴィ(Tavi)とも音訳表記されてきた。1626年7月23日に生まれ1676年9月30日に死去したと伝えられる歴史上有名な自称「メシア」であり、カバリストである。彼は「サッバティアン(Sabbatian)運動」――いわゆる「サッバティアニズム(Sabbatianism)」――を創始したが、これはユダヤ教の教義に近いもので、彼の死後もヨーロッパでの普及が続いた。一方、オスマン帝国ではユダヤ教・キリスト教・イスラム教の各要素をこね合わせた教義を信奉する「デンメ(Donmeh)派」として存続した。
   (デンメ派は17世紀末にギリシア北部の港湾都市サロニカに興った隠れユダヤ教徒の一派で、イスラム教に改宗したユダヤ教徒シャブタイ・ツヴィを救世主として信奉し, イスラム教徒を自称しながらユダヤ教的風習を受け継いだ。デンメ派の信徒はギリシアのサロニカとトルコ西部のイスタンブル、イズミル、エディルネに集中している。)[参考 http://encyclopedia.thefreedictionary.com/Sabbatai%20Zevi]
   ●ヤコブ・フランク(Jacob Frank)――本名はヤコフ・ベン・ユダー・ライプ・フランコヴィチ(Yakov ben Judah Leib Frankovich)。1726年に(当時はポーランド領、現在はウクライナの)ポデリアにユダヤ教ラビの息子として生まれ、1791年に死去。青年時代に中東を旅し、トルコでは「フランク」の名で呼ばれていた。1755年にポーランドに戻り「フランキスト(Frankist)」というユダヤ教の異端的なセクト運動を興したが、これはシャブタイ・ツヴィの神秘主義思想に感化されたタルムードの教えを否定する教派であった。
   その後、彼は神から直接の啓示を得たと言い出すようになり、フランキストの信者たちに“きたるべき救世主の教え”を受け入れるための準備としてキリスト教を信奉するようにと熱心に説くようになる。こうして1759年にフランキスト集団は、ポーランドのルヴォフ(現在はウクライナのルィヴィフ)で“集団洗礼”を受け、当時の社会では奇行として話題になった。だがヤコブ・フランクはキリスト教会から異端勢力であるとの指弾を受け、1760年に投獄された。13年後に釈放されると、彼は自ら“メシア”と名乗って12人の「使徒」を選び出し、オーストリアのブリュン(現在のチェコ共和国のブルノ)に拠点を移し、そこでオーストリア大皇妃マリア・テレジア(1717〜80年)の庇護を獲得した。マリア・テレジアはヤコブ・フランクを“キリスト教の護教論者”として利用したわけである。
   1786年にドイツのオッフェンバッハという町に拠点を移し、信者からの寄付で裕福な晩年を過ごした。91年に彼が死ぬと、フランキスト派の実権は娘のエヴァ・フランクに移譲されたが、ほどなくカトリック教会に吸収されてしまった。ヤコブ・フランクは“サッバティアニズム”の存続普及に貢献したが、その党派的な閉鎖性や独善性を改めて、ユダヤ教からの自己脱皮を促した。フランキズムは、オスマン帝国やフランスやアメリカで続発した18世紀の革命運動の思想的な原動力のひとつだったと言われている。[参考:http://www.kheper.net/topics/Kabbalah/Jacob_Frank.htm http://en.wikipedia.org/wiki/Jacob_Frank ]
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The Moroccan lady is back on the screen. "It was a Holocaust, a Sephardi Holocaust. And what I want to know is why no one stood up to stop it."
【先ほどのモロッコ人の女性が登場してこう語る――「あれはまさにホロコーストでした。スファラディのホロコーストよ。なのに何故だれも止めようとしなかったのか、私はそれが知りたい」。】

David Deri, on film and then as a panel member, relates the frustration he encountered when trying to find his childhood medical records.
【ダヴィッド・デリ氏が今度は討論会の一員として登場し、自分の子供時代の医療記録を入手しようとした際の不愉快な経験を語った。】

"All I wanted to know was what they did to me. I wanted to know who authorized it. I wanted to trace the chain of command. But the Health Ministry told me my records were missing."
【「私が知りたかったのは、自分が何をされたか、それだけだったんです。あんなことを認可したのは一体だれなのかが知りたかった。当時の指揮命令系統をはっきりさせたかった。ところが厚生省はもうあんたの記録は紛失していて残ってない、というのですからね。」】

Boaz Lev, the Health Ministry's spokesman chimes in, "Almost all the records were burned in a fire."
【厚生省のボアズ・レヴ報道官は、番組の中でこう繰り返すばかりだ――「ほとんどすべての記録書類はすでに焼却処分してしまいましたから」。】

So let us help Mr. Deri trace the chain of command. But now I must intrude myself in the review. About six years ago, I investigated the kidnapping of some 4500, mostly Yemenite immigrant infants and children, during the early years of the state. I met the leader of the Yemenite children's movement, Rabbi Uzi Meshulum, imprisoned for trying to get the truth out. He was later returned home in a vegetative state from which he has not emerged. He told me that the kidnapped children were sent to America to die cruelly in nuclear experiments. The American government had banned human testing and needed guinea pigs. The Israeli government agreed to supply the humans in exchange for money and nuclear secrets. The initiator of Israel's nuclear program was Defence Ministry director-general Shimon Peres.
【だったら我々はデリ氏に加勢して当時の指揮命令系統を追及してやろうじゃないか。だがその前に私(=バリー・チャミッシュ)自身の体験を、この番組紹介のなかで紹介しておく必要がある。6年ほど前のことだが、私は4500人もの子どもたちが犠牲になった誘拐事件のことを調査したことがある。これはイスラエル建国直後に起こった事件で、誘拐されたのは大部分がイエメンから移住してきた家庭の赤ん坊や子どもたちだった。私は、誘拐イエメン人児童救援運動で指導的な活躍をしていたウズィ・メシュラム師と“面会”した。当時彼は真相究明の活動に言いがかりをつけられて投獄されていたのだ。その後、彼は釈放された。「植物状態」の廃人となって帰宅したのだった……。メシュラム師はいまだに「植物状態」のまま回復の兆しはない。
 まだ健康だった獄中の彼は、私にこう語ってくれた。誘拐された子どもたちはアメリカに移送されて、核実験に用いられ《←原文直訳では「核実験」だが、これが核爆発の被爆被験者として使われたか放射線被曝の被験者として使われたかは、この文章からは不明である》、無惨な最期を遂げたという。アメリカ政府は自国民の人体実験を禁じていたから“人間モルモット”が必要だったわけだ。そこでイスラエル政府は資金や核兵器の極秘技術情報を供与してもらう見返りに、こうした“人間モルモット”をアメリカに提供するという契約を結んだわけである。イスラエルの核兵器開発事業を始動させたのは、当時の国防長官シモン・ペレスに他ならない。】

Rabbi David Sevilia of Jerusalem corroborated the crime and later, I even saw photos of the radiation scars on the few surviving children, and the cages the infants were shipped to America in.
【エルサレムのダヴィッド・セヴィリア師からも、この犯罪の各省を得ることができた。そればかりか後に私は、この誘拐事件で生き残った数少ない子どもたちに放射線照射の証拠となる瘢痕[はんこん]が出来ている様子やカゴに入れられた赤ん坊たちがアメリカに陸揚げされている様子を撮った写真まで見ることができた。】

Just over five years ago I published my belief on the internet, that Israel's Labor Zionist founders had conducted atomic experiments on Yemenite and other Sephardi children, killing thousands of them. Almost three years ago, I published the same assertion in my last book, Save Israel!. I suffered much scorn for doing so. However, I was right.
【ちょうど5年前になるが、私は自分が得た確信をインターネットで発表した。つまりイスラエルを建国した“労働シオニスト組織”はイエメン人や他のスファラディ系の子どもたちをモルモット代わりに使って原子力開発のための生体実験を行ない、何千人もの命を奪った――という確信である。そして3年ほど前には自著『イスラエルを救え!』にもこの確信をはっきりと書いたのだが、当時は荒唐無稽の妄想を書いているといって笑いものにされたものだった。……けれども私は正しかったことが、今や歴然としている。】

We return to the documentary. We are told that a US law in the late '40s put a stop to the human radiation experiments conducted on prisoners, the mentally feeble and the like. The American atomic program needed a new source of human lab rats and the Israeli government supplied it.
【ドキュメンタリーの話に戻ろう。米国は1940年代に法規制を定めて囚人や精神薄弱者などへの放射線照射実験を禁じてきた、という話が一種の“常識”として伝えられてきた。けれども現実にはアメリカの原子力事業はどこかから人間モルモットを調達してくる必要に迫られ、イスラエル政府がその供給役を担ったわけである。】

Here was the government cabinet at the time of the ringworm atrocities:
【「しらくも退治」の名の下に残虐行為を指揮した当時のイスラエル政府の大臣は、次の連中だ。】

Prime Minister - David Ben Gurion
Finance Minister - Eliezer Kaplan
Settlement Minister - Levi Eshkol
Foreign Minister - Moshe Sharrett
Health Minister - Yosef Burg
Labor Minister - Golda Meir
Police Minister - Amos Ben Gurion
【ダヴィッド・ベン=グリオン首相、エリーゼル・カプラン大蔵大臣、レヴィ・エシュコル植民大臣、モーシェ・シャーレット外務大臣、ヨセフ・ブルグ厚生大臣、ゴルダ・メイヤ労働大臣、アモス・ベン=グリオン警察大臣。】

The highest ranking non-cabinet post belonged to the Director General Of The Defence Ministry, Shimon Peres.
【その他、閣僚ではないが最高位の政府高官としてシモン・ペレス国防長官も、この陰謀に関与していた。】

That a program involving the equivalent of billions of dollars of American government funds should be unknown to the Prime Minister of cash-strapped Israel is ridiculous. Ben Gurion was in on the horrors and undoubtedly chose his son to be Police Minister in case anyone interfered with them.
【この大規模生体実験事業はアメリカ政府からの数十億ドルの供与金の見返りとして実施されていたわけだが、財政的な困難を抱えて外貨を欲していた建国当時のイスラエルの首相が、この事実を知らなかったとは言わせない。ベン=グリオン首相自身がこの恐るべき事業に関与し、だからこそこの事業への妨害を排除しようとして息子のアモスを警察大臣にまで据えていたことは疑いようがない。】

Now let's have a quick glance at the other plotters, starting with the Finance Minister Eliezer Kaplan. He handled the profits of the operation and was rewarded for eternity with a hospital named after him near Rehovot. But he's not alone in this honor. The racist bigot Chaim Sheba, who ran Ringworm Incorporated, had a whole medical complex named after him. Needless to say, if there is an ounce of decency in the local medical profession, those hospital names will have to change.
【他の共謀者たちについても、ざっと見ておこう。まず財務大臣のエリーゼル・カプラン。この男は大規模生体実験事業で手に入れた利益をじかに扱う立場にあった。その甲斐あってレホヴォト《=イスラエル中部のテルアヴィヴ南東にある地方都市》に自分の名を冠した“記念病院”が立ち、こうして彼の“栄誉”は永久に記憶されることになったほどだ。しかしそのとんでもない“栄誉”に与[くみ]したのはカプランだけではない。“しらくも退治”の事業組織を運営していたのは、人種差別主義に凝り固まったハイム・シェバ医師であったが、彼ものちに自分の名前がついた“記念”総合病院を立ててもらった。地方医師会にひとかけらでも“良識”というものがあるなら、これらの病院名を変えるべきであろう。……言うまでもないことだが。】

Then there is Yosef Burg, who the leaders of the Yemenite Children's movement insist was the most responsible for the kidnappings of their infants. As Health Minister, he certainly played a pivotal role in the Ringworm murders. That would go a great way to explaining the peculiar behavior of his son, the peacemaker, Avraham Burg.
【そしてヨセフ・ブルグ。誘拐イエメン人児童救援運動の指導者たちは、この男こそ彼らの子どもをさらっていった犯罪の最大の下手人だと糾弾している。なるほど彼は厚生大臣として“しらくも退治”児童大量虐殺事件で中心的な役割を確実に果たした。彼の息子アヴラハム・ブルグは父親の立場とは正反対の平和活動家になったわけだが、どうしてそういう劇的な親子対立が起きたかも、これで説明がつこうというものだ。】

Let us not forget Moshe Sharrett, who had Rabbi Yoel Brand arrested in Aleppo in 1944 for proposing a practical way to save 800,000 Jews trapped in Hungary. Sharrett's most cited quote is, "If Shimon Peres ever enters this government, I will tear my clothes and start to mourn." Several Yemenite Children activists told me Sharrett was referring to the kidnapping of the Yemenite children when he made this statement.
【当時の外務大臣モーシェ・シャーレットも忘れてはならない。この男は1944年にシリアのアレッポでヨエル・ブランド師を逮捕した張本人だが、その理由はブランド師が(当時の第二次大戦下に)ハンガリーで囚われの身となっていた80万人のユダヤ人同胞を救い出そうとして実現可能な方策を提案したから、というものだった。シャーレットはこんな迷言を吐いて有名になった人物だ――「シモン・ペレスの奴が入閣するような事態になったら、私は着ている服を破き捨てて大声を上げて嘆くだろうね」。誘拐イエメン人児童救援運動の何人かの活動家から聞いた話だが、シャーレットはこの迷言を吐いた際に、イエメン人児童の誘拐事件について言及していたという。】

And other amateur historians have told me that Levi Eshkol openly and proudly announced his belief in the tenets of Shabtai Tzvi, but try as I have, I haven't tracked down a citation. However, we do know of Eshkol, that during the period of the radiations, he served first as Settlement Minister, then took over from Kaplan as Finance Minister. From his bio:
【ほかにも在野の歴史研究者たちから聞いた話だが、レヴィ・エシュコルは自分がシャブタイ・ツヴィの教義を信奉していると、堂々と宣言したことがあるという。ただし私自身は、この件の真偽について情報の裏付けを得ようと試みたが、そうした発言記録を見つけることがまだ出来ていない。とはいえエシュコルがこの放射線照射実験の当時、まず植民大臣に就き、その後、エリーゼル・カプランの後継として大蔵大臣になったことは周知の事実だ。彼の略歴にはこう書かれている――】

"In 1951 Eshkol was appointed Minister of Agriculture and Development, and from 1952 to 1963 - a decade characterized by unprecedented economic growth despite the burden of financing immigrant absorption and the 1956 Sinai Campaign - he served as Minister of Finance. Between 1949 and 1963, Eshkol also served as head of the settlement division of the Jewish Agency. In the first four years of statehood, he was also treasurer of the Jewish Agency, largely responsible for obtaining the funds for the country's development, absorption of the massive waves of immigrants and equipment for the army."
【「1951年にエシュコル氏は農業開発大臣に任命され、1952〜63年の10年ほどの間に移入民の編入と1956年シナイ戦争という財政的困難を乗り越えながら未曾有の経済成長を実現させた人物として特筆すべき活躍をした。1949〜63年には大蔵大臣を務め、そればかりかユダヤ機関の入植部長も務めた。イスラエル建国当初の4年間はユダヤ機関の収入役として主に祖国の開発や大量に押し寄せる移民の編入事業や軍備に必要な資金獲得の主導役を担った。】

In short, Eshkol was the person most responsible for Israel's immigrants, the ones he sent to radiation torture chambers.
【要するにエシュコルはイスラエルに移住してきた人々の最高責任者だった。放射線照射の虐待部屋に移民たちを送り込んだのも彼だが、その責任を負わねばらなないのも彼である。】

Finally, there is Golda Meir. We don't know her role, but she was in on the secret and rewarded for it. Note that every prime minister thereafter until 1977, when the honorable Menachem Begin was elected, came from this cabal. And note also, that no one from what is called the Right today, was privy to the slaughter of the Sephardi children. Apply that lesson to a contemporary fact: It is the descendants of these butchers who brought us the Oslo "peace" and are determined to wipe out the settlers of Judea, Samaria and Gaza as surely as they had dealt with the inferior dark Jews who came into their clutches fifty years before.
【最後に控えしはゴルダ・メイヤ。この女性閣僚が具体的にどんな役割を担ったのか私はまだ解明できていないが、彼女も確実にこの陰謀に加担し、その報酬を得ていたのである。この時期以降、メナヘム・ベギンが首相に就任した1977年までの歴代イスラエル首相たちの顔ぶれを見ればいい。この陰謀仲間たちが順ぐりに首相の椅子を手に入れてきたのだ。さらにもう一つ注目すべきことがある。それは今日言うところの「右派」勢力が、スファラディ系児童のこうした大虐殺に一人として関与していなかったことだ。現時点で判明している事実から次のような歴史の皮肉を知ることができる。すなわちオスロ合意の「平和」を我々イスラエル国民にもたらしたのは、こうした虐殺者たちの末裔に他ならないということ。そしてこうした連中が、いまやユデアやサマリアやガザの入植民を決然たる態度で一掃しようとしていること。その決然さたるや、50年まえに「肌の黒い劣ったユダヤ人」に対して手を下し、彼らスファラディ系ユダヤ人を危機に追い込んだ時の態度を変わっていないのである。】

Now try and imagine it is 1952 and you are in a cabinet meeting. You will be debating whether to send the Yemenite babies to America for their final zapping, or whether to have them zapped here. That is what the Luciferian, satanic Sabbataian founders of our nation were prattling on about when they got together to discuss the affairs of state.
【もしあなたが1952年当時、イスラエル政府の閣僚だったなら、イエメン人入植者の赤ん坊たちを最終的には殺す目的でアメリカに送るか、それともここイスラエルの地で殺すかを、論じることになったはずだ。魔王のごとくに傲慢で悪辣きわまるサッバティアニズムにかぶれた我らの建国の父たちが、国の重要な政策課題を論ずべき場所で、そういうろくでもない謀議にうつつを抜かしていたのである。】

After the film ended, TV host Dan Margalit tried to put a better face on what he'd witnessed. Any face had to be better than what he had seen. He explained meekly, "But the state was poor. It was a matter of day to day survival." Then he stopped. He knew there was no excusing the atrocities the Sephardi children endured.
【ドキュメント映像をひととおり放映したのち、番組司会者のダン・マルガリットが今まで見てきた事実について好意的な解釈を試みていた。今しがた見た事実は、いずれにせよやむを得ない事情だったと釈明しようとする態度が丸見えだった。粛々と彼は説明するのである――「でも当時はわが国も貧しかったのです。来る日も来る日も、生きるか死ぬかの瀬戸際だったのです」。だがこれ以上、彼は二の句が継げなかった。スファラディ系ユダヤ人の子どもたちに行なった残虐行為には、もはや釈明の余地がないことを、彼とて心得てはいたのである。】

But it was the Moroccan singer who summed up the experience best. "It's going to hurt, but the truth has to be told. If not, the wounds will never heal."
【だが番組に出演していたモロッコ人歌手が放った一言が、この経験の重みを何よりも的確に言い表していた――「苦しいことだろうけど真相は明らかにしなきゃだめだ。それができないかぎり、いつまでたっても傷は癒えないのですよ」。】

There is one person alive who knows the truth and participated in the atrocities. He is Leader Of The Opposition Shimon Peres, the peacemaker. The only way to get to the truth and start the healing is to investigate him for his role in the kidnapping of 4500 Yemenite infants and the mass poisoning of over 100,000 Sephardi children and youths.
【この児童虐殺活動に加わり、真相を知っている人物がただ一人、いまでも生きている。野党の指導者で今ではパレスチナ和平の提唱者のシモン・ペレスだ。真実を明らかにして和解と癒しを生み出すには、シモン・ペレスがイエメン人乳幼児4500人の誘拐やスファラディ系ユダヤ人の青少年10万人以上を対象に行なった大規模放射線被曝活動でどのような役割を担ったのか、彼を捜査することから始めるしか方法はない。】

But here is why that won't happen. It is a miracle that 100,000 Radiations was broadcast at all. Clearly though, someone fought for it but had to agree to a compromise. The show was aired at the same time as the highest-rated show of the year, the final of Israel's, A Star Is Born. The next day, there was not a word about 100,000 Radiations in any paper, but the newly-born star's photo took up half the front pages.
【だが現状では、それは到底無理だろう。そもそも『10万人への放射線照射』が放送されたこと自体が奇跡といっていいほどなのだ。だがそれにしても、結局は妥協を強いられたとはいえ、この番組を世に出そうとして闘いが続けられてきた。そしてわが国では昨今一番の視聴率をとっている『スター誕生』と同じ時間帯にぶつけて、その裏番組としてひっそりと放映されたのである。翌日の新聞には『10万人への放射線照射』についての批評記事はただの一言も載らなかった。『スター誕生』で生まれた新人スターの写真は新聞一面の半分ものスペースをとってでかでかと載ったというのに……。】

That's how the truth is buried in Israel, and somehow, these tricks work. The same methods were used to cover up the Rabin assassination.
【イスラエルではこうして真実が葬られ、こうして誤魔化しのトリックが発動されている。ラビン氏暗殺のときも、これと同じ仕掛けが働いて、真実が闇に葬られた。】

However, a few hundred thousand people saw the film on their screens and they will never forget the truth. If the Rabin assassination doesn't bury Labor Zionism for good, then 100,000 Radiations eventually will.
【けれども十万人かそこらの国民は、この放送を確実に見ていたわけである。彼らはこの事実をけっして忘れないだろう。ラビン氏を暗殺しても“労働シオニズム組織”を永久に葬り去ることができなかった。だが『10万人への放射線照射』には最終的にそれを成し遂げるだけの潜在力がある。】


end
【番組紹介記事はここで終わり】
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A decent background piece on the subject of the Ringworm Holocaust is found at:
【「しらくも(=リングウォーム)ホロコースト」の惨害をめぐる事件の概要は、
 下記の『ハアレツ』記事(2004年7月30日付)で読むことができる。】
http://www.haaretz.com/hasen/spages/458044.html

I cover the subject and explain the motivations for the evil on my new audio CD and video called The Dirty Secrets Of Oslo.

I'm getting my first reactions and they are strong. Here are two:

"I've listened to your CDs twice so far, and will do so again. You speak truth. I know that."

"Hi Barry,
I have listened to your CD twice now. You need to somehow get this word out. I don't know how. After listening to this, I have more admiration and respect for you than ever. You have managed to put things together in the right perspective. You have broken into something that answers many questions that I have always had. We have to get this word out somehow. If you can think of anything that I can do to help you, please do let me know."

To see or hear my 90 minute lecture last May in Denver on the real "peace" process, just write me at chamish@netvision.net.il $20 will get you one, $32, both.

And as usual, you can order my English books, Who Murdered Yitzhak Rabin, Israel Betrayed, The Last Days Of Israel and Save Israel! by writing me at the same address.

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●上記のバリー・チャーミッシュ氏の番組批評の末尾に紹介されていた
 『ハアレツ』紙の記事
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A decent background piece on the subject of the Ringworm Holocaust is found at:
【「しらくも(=リングウォーム)ホロコースト」の惨害をめぐる事件の概要は、
 下記の『ハアレツ』記事(2004年7月30日付)で読むことができる。】
http://www.haaretz.com/hasen/spages/458044.html

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Fri., July 30, 2004 Av 12, 5764
Israel Time: 03:44 (GMT+3)
【2004年7月30日;イスラエル時間03時44分】

Running rings around the victims
【被害者たちの苦しみは続いている】

By Aryeh Dayan
 【アリエー・ダヤン記者】

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  A victim of the ringworm affair testifies at Knesset hearings on the matter, held in 1994.
   (Yaron Kaminsky )
 【写真:1994年当時のイスラエル国会・公聴会で「しらくも事件」について証言していた被害者】

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Tens of thousands of immigrants underwent radiation against ringworm in the 1940s and `50s. Now, 60 years later, they are still fighting for compensation from the state for illnesses said to be due to the treatment.
【イスラエルに移住してきた何万もの人々が1940〜50年代に“しらくも退治”のために放射線を浴びせられた。それから60年を経た今なお、彼らはこの処置によるとされる各種疾患への賠償を求めて闘い続けている。】

On the Israeli national agenda, the ringworm affair is in a class with the affairs of the Yemenite children (some of whom were allegedly kidnapped and put up for adoption) and the spraying of new immigrants with DDT. Like those affairs, it is a symbol of the arrogant and alienated attitude of the veteran Ashkenazi (Jews of European origin) establishment in the 1950s toward the new immigrants from the Arab countries. And like those affairs, this one refuses to die away.
【「しらくも事件」は、(イエメン人移民の児童を誘拐して養子に出したとされる)イエメン人児童虐待事件や、新移民にDDTを散布した問題とともにイスラエル国民にとっては重大問題になってきた。こうした事件と同様、「しらくも事件」も、1950年代にアラブ諸国から新たにイスラエルにやってきた移民たちに示した、古株の(ヨーロッパ起源の)アシュケナージ系ユダヤ人社会の傲慢で冷酷な態度の象徴となっている。そして他の事件と同様、「しらくも事件」の傷跡はいっこうに消えそうにない。】

Ten years after the legislation of the law that was designed to eliminate the resentment caused by the ringworm affair, it is apparently about to erupt again, and the victims are once again embarking on a battle, claiming that not only does the state pay absurd compensation, but it prevents even that small sum from reaching a large percentage of the victims. Naturally, at the same time there will be a renewal of the bitter debate about the limits of responsibility of the Israeli government for what was defined about 50 years ago as a medical-humanitarian campaign meant to benefit the olim (new immigrants) from the Arab countries, and turned into a terrible humanitarian tragedy.
【「しらくも事件」の遺恨を一掃するための法律が制定されて10年が経つ。しかし遺恨はふたたび甦ったようだ。被害者たちはふたたび闘いを開始し、政府に馬鹿げた賠償金を要求しているばかりか、政府が犠牲者の大部分に“涙金”を渡して事を済ませようとするのを阻止しようとさえしている。当然の成り行きとして、イスラエル政府が50年前にアラブ諸国からのオリーム(新移民)に恩恵を施すつもりで実施した「医学的・人道的キャンペーン」なるものが一転して人道上の悲劇に変わってしまった現実について、政府がどこまで責任を負うべきかについての熾烈な議論が蒸し返されるであろう。】

The government radiation campaign began in the late 1940s, when a fear arose in the country of an outbreak of a plague of ringworm, a skin disease that grows in the roots of the hair and quickly spreads among children who live in crowded conditions, with poor hygiene. The prejudices of the establishment toward the Mizrahi (Jews of North African and Middle Eastern origin) immigrants contributed both to intensifying this fear and to the means used to solve the problem.
【イスラエル政府の放射線照射キャンペーンは1940年代後半に始まった。当時、この国では“しらくも”の感染爆発を恐れる声が高まっていたのである。“しらくも”というのは毛根を侵す皮膚病で、不潔な環境で密集状態で暮らしている子どもたちに急速に広まる。イスラエルの支配的な既存社会には、ミズラヒ(北アフリカや中東起源のユダヤ人)移民に対する偏見がある。この差別的な先入観が、“しらくも”感染の恐怖を増幅し、その問題解決の性急な実施に拍車をかけたのだった。】

The top echelons of the Ministry of Health and the Medical Corps of the Israel Defense Forces decided to begin a comprehensive treatment and prevention campaign, which was to include radioactive treatments of the heads of all the children up to age 15 who had immigrated from Arab countries. In all, about 100,000 children underwent these treatments.
【当時のイスラエル厚生省と国防軍衛生部隊の上層部が、“しらくも”感染の治療と予防をめざす一種の包括的作戦を開始すべく決定を下した。この作戦の一環としてアラブ諸国から移住してきた15歳以下の児童全員の頭部に放射線照射を施すことになった。こうしておよそ10万人の児童が放射線照射処置を受けた。】

At a certain stage of the campaign, which lasted until 1960, it was also decided to transfer radiation machines to the Jewish Agency transit camps in Marseilles and other places in Europe and to carry out the treatments there, while the children were still in transit from North Africa to Israel. The medical world at the time, even outside Israel, was as yet unaware of the future damage involved in these radiation treatments; the connection between such treatments and cancer and other illnesses was discovered only years later.
【この“しらくも駆除”作戦は1960年まで続いたが、ある時点で放射線照射装置を(フランスの)マルセイユなどヨーロッパ各地に置かれたユダヤ機関の“入植待機収容所[トランジット・キャンプ]”に運び込み、そうした場所でも放射線照射処置を実施することが決まった。当時は、北アフリカからイスラエルへの移民を望む子どもたちが、まだ“入植待機”状態でそうした国外施設に収容されていたのである。当時の医学界は、イスラエル国外においてさえ、このような放射線照射を行なえば将来どんな結果を招くか気が付いていなかった。こうした放射線照射処置が癌やその他の疾患につながることが発見されたのは、それから何年も後になってからのことだ。】

Many people have testified that the radiation campaign caused the children serious emotional harm. Without any explanation, they were brought to clinics where the hair on their heads was shaven, the hair that remained was pulled out with hot wax, and the roots were eliminated with x-rays.
【この放射線照射キャンペーンのせいで子どもたちに深刻な情緒障害が起きた、とこれまで多くの人々が証言してきた。なにしろ全く説明もなしに、アラブ系の子どもたちが診療施設に連れて行かれて頭髪を剃られ、そり残しの頭髪まで熱した蝋[ろう]ですっかり抜かれてしまい、その毛根をX線で根絶されたのであるから……。】

The exact number of Israelis who have suffered from various types of cancer because of radiation against ringworm is not known. However, Prof. Baruch Modan, who researched the subject when he was the head of the Department of Clinical Epidemiology at the Sheba Medical Center in Tel Hashomer, discovered over 30 years ago that their number was more than double that in the general population. The treatments caused many other illnesses: sterility, the loss of teeth and hair, and severe and ugly scars on the scalp and on other parts of the body. According to the most recent estimates, tens of thousands of people contracted cancer or other illnesses as a result of the radiation campaign.
【“しらくも駆除”の放射線照射のせいで各種の癌に罹ったイスラエル国民がどれほどいるのか、正確な数はつかめていない。だがバルーク・モダン教授はテル・ハショメルのシェバ医療センターで臨床疫学部長をしていた当時、この問題を調べ、この集団における発症率が一般国民の2倍以上であることをすでに30年以上前に見いだしていた。この放射線照射キャンペーンは、癌の他にも、不妊・歯や毛髪の喪失・頭皮や他の部位の重症の醜悪な瘢痕[はんこん]など、さまざまな障害を生み出した。最近の推測では、この放射線照射キャンペーンによって数万人が癌その他の疾患に罹ったと考えられている。】


Contradictory findings
  【政府内部でも食い違う所見】

For decades, the government refused to accept any legal or moral responsibility for the radiation campaign. In 1994, the government changed its position for the first time, and passed a law initiated by MK Amir Peretz, to compensate the victims of ringworm treatments. The law determined moderate financial compensation for anyone who had received radiation treatments against ringworm in his childhood, and as an adult fell ill with severe forms of cancer. By passing the law, the government in effect acknowledged the connection between cancer and the radiation treatments administered by the state.
【何十年ものあいだ、イスラエル政府は法的にも道義的にも放射線照射キャンペーンの責任を追及される道理はないと言い張ってきた。だが1994年に初めて態度を変え、アミル・ペレッツ議員(MK= Member of Knesset)が提出していた“しらくも駆除”処置犠牲者への賠償法案を承認した。こうして施行された法律は、子供の頃に“しらくも駆除”の放射線照射を受けて成人してから重症の癌に罹った者には誰でも少額の賠償金が支給されると定めていた。この新法を制定したことで、政府は事実上、自らが過去に行なった放射線照射事業と発癌との因果関係を、認めたわけである。】

The two government institutions responsible for implementing the law - the Health Ministry and the National Insurance Institute - have submitted contradictory findings regarding the number of victims who have been recognized as eligible for compensation. The Health Ministry, which is responsible both for determining eligibility and for deciding on the percentage of disability that determines the amount of compensation, says that "about 13,500" people are eligible, and about 13,000 have filed claims. The NII, which is actively responsible for making the payments, says that the number of those eligible is "about 11,000." The Health Ministry also says that about 10,000 requests have been denied and that the discussion of 7,500 additional requests has not yet been concluded. The NII spokesman's office says that as of October 2003, "the NII paid the ringworm victims grants and allowances to the tune of NIS 640 million."
【この法律の実施当事者として指定された政府の2つの機関――厚生省と国家保険機構(NII)――は賠償金受給資格をもつ被害者の人数について、食い違う所見を出している。厚生省は、受給資格の認定と、賠償総額を決める根拠となる“障害”の重症度(百分率評価)を決める任務を負っており、受給資格者は「およそ1万3500人」いると発表している。すでに1万3000人ほどが賠償請求を提出しているという。ところが実際に賠償金の支払いを担当する国家保険機構は、受給資格者を「およそ1万1000人」と発表しているのだ。さらに厚生省は、すでに1万件ほどの賠償請求が却下され、7500件の請求については検討中でまだ結論が出ていない、とも発表している。国家保険機構の広報部は2003年10月の時点で「本庁が“しらくも事件”被害者に支払った賠償額はすでに総額6億4000万シェケル《1シェケル(NIS: new Israeli shekel)=100アグロット≒28円》に達している」と発表している。】

Those who are granted between 5 percent and 39 percent disability are eligible for a one-time grant of NIS 1,218 for each percentage of disability. Those who have over 40 percent disability will receive a monthly allowance in addition to the one-time grant. The grant will be NIS 50,000 if the committee has determined between 40 percent and 74 percent disability, and NIS 100,000 for higher disability. The monthly allowance for those who have been granted 100 percent disability will be 25 percent of the average national salary, i.e. about NIS 1,800; the sum of the allowance will decline with a decline in the percentage of disability.
【障害重症度が(百分率評価で)5〜39%と診断された被害者は、重症度1%につき1218シェケルの賠償金を一度だけ受給できる。重症度40%以上の被害者は、この一度きりの賠償金のほかに、毎月、賠償金が受給される。認定委員会が重症度40〜74%と診断した被害者には5万シェケル、重症度75%以上の被害者には10万シェケルの“一度きりの賠償金”が支給される。重症度100%の障害を有すると認定された被害者には、国民平均所得の25%に相当する1800シェケルほどの賠償金が月々支給され、障害重症度が下がるに従い、月額支給金の算定額も下げられる。】

"That's really minimal compensation, I would even say that it's adding insult to injury," says attorney Yadin Yaron, who represents many ringworm victims. "Anyone with less than 40 percent disability, which includes the vast majority of those receiving compensation, received an almost absurd one-time payment. Only someone who suffers from a brain tumor or from multiple tumors receives over 40 percent." The NII statistics indicate that only 27 percent of those eligible - 3,000 out of 11,000 - have received a regular allowance.
【「これはまったく最低額の賠償にすぎません。これじゃ被害者をわざわざ侮辱しているようなものです」と、多くの“しらくも事件”被害者の法的支援を行なってきたヤディン・ヤロン弁護士は語る。「賠償を受ける立場にある圧倒的大多数の被害者は障害重症度が40%未満なのですが、彼らはみな度し難い涙金を一度受け取ったきりで始末されてしまうのです。脳腫瘍やからだのあちこちに腫瘍ができた患者だけが、重症度40%以上と見なされているわけですからね。」 国家保険機構の統計調査によれば、月々の賠償金をこれまで支給されてきた被害者は、わずか27%にすぎない。同庁の受給資格者「およそ1万1000人」に当てはめて考えれば、わずか3000人ほどしか月払いの賠償金を受け取っていないのだ。】

And why were such absurd sums determined? Apparently the state knew how to exploit the fact that the victims of the radiation treatments didn't have much of a chance of winning lawsuits. "Fifteen years ago, before the law was passed, a large group of radiation victims turned to me and asked me to investigate the possibility of filing a suit against the state for medical negligence," says Yaron. "After I checked into the matter, I reached the conclusion that the radiation treatments were carried out according to what was common in the medical world at the time, and that there was no chance of winning a lawsuit based on the claim of negligence. Since I believed that the state nevertheless has a very large moral obligation towards these people, I suggested that they file the lawsuit, and litigate against the state on a moral basis." The legislative process began immediately after the filing of this lawsuit. Its conclusion, in which the low compensation sums were set, put an end to discussion of the lawsuit.
【どうしてこんなに馬鹿げた涙金しか支払われていないのか? 放射線照射処置の被害者たちが裁判を起こしても勝訴の見込みが殆どないことを知りながら、政府が被害者の足下を見て対応してきたのは歴然としている。ヤロン弁護士はこう証言する――「15年前、まだ賠償立法が定まる前の話ですが、放射線照射処置の被害者たちが一大集団を組織して私に相談を持ちかけました。政府の医療過誤を追及する訴訟を起こせないものか、検討してほしいと頼まれたんです。この案件を検討した結果、私が出した結論はこうでした。放射線照射処置は当時の医学界の常識にもとづいて行なわれたものだから、「医療過誤」訴訟として闘っても勝つ見込みは全くない……。しかし私としては、政府は被害者に対して非常に大きな道義的責任があると感じていましたから、彼らには訴訟を起こしなさいとアドバイスしました。政府の道徳的責任を追及する訴訟を起こしなさい、とね。」 そして被害者集団は実際に訴訟を起こしたわけだが、政府はすみやかな立法措置でこれに対応した。要するにわずかばかりの涙金で「賠償」を済ませる態勢が整い、法廷での審理に幕が引かれたのである。】

The purpose of the law was to put an end to the resentment caused by the ringworm affair. But judging by a long series of indicators, which have been multiplying in recent months, that didn't happen. An association of the radiation victims is about to embark on a public battle, claiming that the Finance Ministry has for several years been making every effort to reduce the allowances, which are low in any case, and to empty the law of content. Lawyers who are handling the lawsuits of the victims claim that the Health Ministry has given in to the treasury, is causing a significant slowdown in the work of the medical committees discussing the compensation claims, and is placing endless legal and bureaucratic obstacles in the path of the plaintiffs. In labor courts all over the country, which are authorized by law to discuss appeals of the decisions of the medical committees, there has been an increase in the number of those appealing the denial of their claims or the tiny sum allocated to them for compensation.
【1994年に制定された賠償立法の目的は、“しらくも事件”で尾を引いていた遺恨を幕引きすることだった。だがさまざまな不穏な動きが長く続いてきたし、ここ数ヵ月のあいだにそうした動きが増えだしているのを見ると、政府による“遺恨の幕引き”は失敗したと考えざるを得ない。現在、放射線照射処置の被害者たちから成る一大連合組織が公然たる闘いを開始しつつある。彼らは、賠償金がすでに涙金同然の少額だというのに、大蔵省が何年にもわたってその支給額を減らそうとあらゆる企てを行ない法律を骨抜きにしようとしてきた、と主張している。被害者たちの訴訟を応援している弁護士たちは、厚生省が大蔵省に屈服して賠償金請求者の資格審査を行なう医学委員会の活動を大幅に後退させ、法的策動と官僚主義によって原告被害者たちの権利をどこまでも阻害する邪魔者に成り果てている、と主張している。医学委員会の認定に異議がある場合は、法の定めにしたがい労働裁判所に控訴できるわけだが、現在イスラエル全土の労働裁判所で、認定結果や賠償額に異議ありとして控訴を行なう例が増えつつある。】

"During the first years, the law was implemented in a more or less acceptable manner, but since 2000 or 2001, everything has changed for the worse," says Malka Cohen-Gilboa, the lawyer for the Association of Ringworm Radiation Victims. According to the law, those who request compensation must first appear before an "experts' committee" that determines whether there is a direct connection between the person's disease and the radiation treatments he received. "In recent years," says Cohen-Gilboa, "the experts' committees have greatly increased their demands for proof of this connection. In the past they believed those who turned to them. Now they ask them to bring documents and witnesses to prove that they received radiation treatments. The problem is that none of them has documents, and the only witnesses were their parents, who in most cases are no longer alive."
【「(94年に制定された“しらくも事件”被害者救済の)法律は、制定直後の数年はなんとか我慢できる程度に施行されていたのです。でも西暦2000年か2001年をさかいに状況が一転して悪化しました」と語るのは、“しらくも駆除放射線照射被害者連合”のマルカ・コーエン=ギルボア弁護士だ。同法の定めでは、賠償を求める被害者はまず“専門家委員会”の審査を受けることになっている。申請者が抱えている疾患と、過去に受けた放射線照射に、直接的な因果関係があるかどうかを判定するのが、この委員会の任務である。「ところが最近では」と弁護士は続ける。「専門家委員会は被害者自身に因果関係の立証を非常にきびしく要求するようになったんです。以前ならそういう作業は委員会がやるものだと自任していたわけですが、今や、被害者が本当に放射線照射を受けたと立証できる書類や証人を出せ、と要求してくるんですから。だけど被害者はだれ一人そんな書類を持っていないから問題なのですよ。証人と言ったって本人の親しかいないわけだし、たいていはすでにご両親を亡くしているわけですから。」】

Someone whose eligibility for compensation is acknowledged by the experts' committee is sent to another committee, a "medical committee," whose job it is to decide on the percentage of disability, which determines the amount of compensation. "Up until three years ago, the percentages of disability were granted very generously, and with greater consideration," says Yaron. "The treasury seems to be applying great pressure on this issue." If in the past about three or four months on the average passed between the time the lawsuit was filed and the time it came up for discussion, complains Yaron, today the process takes about a year and a half.
【“専門家委員会”で賠償金の受給資格が認められた被害者は、つぎに“医学委員会”に送られる。申請者の障害重症度を判定するのが“医学委員会”の仕事である。この判定結果で賠償金の額がきまる。ヤロン弁護士によれば「3年まえまでは重症度の判定はとても被害者に同情的な、配慮の行き届いたものだった」という。ところが「大蔵省がどうやらこの問題で大きな圧力をかけた」らしい。そればかりか、以前なら訴訟を起こしてから審理が始まるまで平均3〜4ヶ月待てばよかったのだが、現在では提訴から1年半も待たないと審理が始まらない、とヤロン弁護士はぼやいた。】

The institute was not established
   【被害者対策の国立機関はいまだに作られていない】

In the past, says Yaron, percentages of disability were also granted for scars caused by the radiation treatments, and for spots and other damage to the scalp. Today these things are not taken into consideration. Article 7 of the law determines that the Health Ministry, "will establish a national institute for the study of the subject of ringworm and how to treat it," whose tasks will include "locating, registering and documenting those who suffered from ringworm and received radiation treatments," and "the establishment of a system for early diagnosis of illnesses to which radiation patients are exposed."
【ヤロン弁護士によれば、以前なら放射線照射で生じた瘢痕[はんこん]や、頭皮に生じた“まだら模様”やその他の損傷も、障害の重症度算定に加えられていたという。ところが現在では、こうした後遺症は「障害」扱いされていない。(94年に制定された)法律にはこんな定めが記されている――「(厚生省は)しらくも事件の被害者の実態調査と治療法の探究を行なう国立機関を設置する」ものとし、この国立機関は「しらくもに罹って放射線照射を受けた人々の所在の特定・登録・資料整備」や「放射線被爆者に発症する恐れがある各種疾患の早期診断が行なえる一大システムの確立」などを任務とする……。】

The research by the institute, it was explained when the law was passed, would also deal with discovering the connection between the radiation treatments and other illnesses (aside from cancer), in order to make it possible to add these illnesses to the list of illnesses which entitle people to compensation.
【救済法案が議会で可決された当時は、少なくとも次のような説明がされていたものだった。……この被害者対策機関では放射線照射処置と(癌以外の)各種疾患との因果関係も究明し、これによって癌以外の疾患で苦しんでいる被害者にも受給資格を与えられるようにすると……。】

Ten years after the legislation of the law, the institute has yet to be established, and the list of illnesses has never bee expanded. "Several years ago, Nissim Dahan, who was the health minister at the time, signed an order that added benign growths in the thyroid gland to the list of illnesses," says Yaron. "The treasury didn't approve the order."
【この救済立法が講じられてすでに10年を迎えるが、法が定めた被害者救済の国立機関はいまだに設置されていないし、賠償金受給資格の対象疾患も、当初指定された癌だけに限られたままだ。「数年前に、ニッシム・ダハン厚生大臣が、甲状腺の良性腫瘍も受給資格疾患のリストに追加する命令書に署名したのですが、大蔵省がこの行政命令を認めなかったんです」とヤロン弁護士は語る。】

Cohen-Gilboa: "In 1974, Professor Modan proved the connection between the radiation treatments and breast cancer, but breast cancer has still not been placed on the list. In the past, percentages of disability were also granted for emotional distress; now that is no longer the case. For years we have been demanding a payment for wigs, which many of us have been forced to use for 50 years. Nothing has been done."
【コーエン=ギルボア弁護士もこう語っている――「すでに1974年にモダン教授が放射線照射処置と乳癌発症の因果関係を立証しているんです。なのに乳癌は受給資格の対象疾患リストにいまだに入れられていません。それに以前は情緒障害も障害重症度の算定に含まれたものでしたが、今では除外されている。我々はずいぶん前から、かつらの購入費を賠償するよう政府に求めてきました。だって我々の大部分が、もう50年間もかつらを使用せざるを得ない状況に置かれ続けてきたのですよ。なのに政府は何もしてくれない……。」】

Attorney Zvi Regev, whose Hadera law firm represents dozens of the radiation victims, claims that the plaintiffs are required to appear before the experts' committee without being represented by a lawyer, and are asked tricky questions, for example, whether the radiation treatments hurt. "If the plaintiff gives a positive answer, his request is denied. This question is tricky because the treatments really didn't hurt, but pulling out hair with wax hurt a great deal." He says, "It's not clear how they expect a 60-year-old man who underwent radiation treatments 50 years ago, when he was a child, to make this precise differentiation."
【放射線照射被害者の数十件の訴訟を扱っているハデラ法律事務所のズヴィ・レゲヴ弁護士は、原告の被害者たちが弁護士の立ち会いを許されぬまま“専門家委員会”に出頭することを求められ、そこで巧みな“ひっかけ質問”を浴びせられている、と指摘する。たとえば賠償申請者は委員会から「放射線照射は痛かったですか?」などと質問される。「そこで“はい”とでも回答すれば賠償申請はただちに却下です。これは“ひっかけ質問”でしてね、だって放射線照射そのものは痛みを伴うものではないですからね。でもその際にロウで頭髪を引っこ抜かれるんです。これはとっても痛い。もう50年も前に放射線照射を受けた60代の老人に、子供の頃に体験した出来事の正確な感覚を語らせようとするなんて、どんな魂胆なのか分かったもんじゃありませんよ」とレゲヴ弁護士は述べた。】

The Health Ministry refused to submit a formal reply regarding the claims, saying that the subject has now been sent to the Supreme Court. A senior official in the ministry, who requested anonymity, said that the ministry and its committees are operating in accordance with the law.
【この件について厚生省は正式な回答を拒んだ。最高裁で係争中だから、というのがその理由。厚生省のある高官が匿名を条件にこう語った。同省も被害者対策で動いている各種委員会もちゃんと法に従って仕事をしています、と……。】


No right to know?
   【被害者には“知る権利”がないのか?】

"Had the Health Ministry informed me 15 or 20 years ago that I underwent radiation treatments against ringworm," says Batsheva Gadassi, "maybe I could have saved my life." Gadassi, 54, who recently fell ill with a severe form of cancer, blamed the Health Ministry for not informing her in time of the fact that her name is included in what is called the "Modan file" - a list that was prepared 35 years ago, and includes the names of 12,000 of the approximately 100,000 children who received radiation treatments.
【「もし15年か20年前に“あなたはしらくも対策で放射線照射を受けていました”と厚生省が知らせてくれていたら、自分のいのちを救えたかもしれないのに……」とバッチェヴァ・ガダッシさんは悔しがる。54歳のガダッシさんは最近、重症の癌で倒れた。彼女の名前はいわゆる『モダン教授のファイル』に収録されていた。このファイルが編まれたのは35年も前のことだ。だから厚生省が本人にこの事実を告げもせず無為無策のまま取り返しのつかない事態を招いたことを、彼女は責めるのである。『モダン教授のファイル』には1万2000人の氏名が列挙されていた。だがそれとて放射線照射処置をうけたおよそ10万人の子どもたちのごく一部にすぎない。】

Since the list was compiled, the ministry has refused to warn those whose names are included on it. Gadassi appealed to the Supreme Court with a request to require the ministry to do so. "It won't help me any more," she says, "but I want to save the lives of others."
【『モダン教授のファイル』が編まれてからも、厚生省はそこに名を記された被害者たちに頑として警告を行なわなかった。ガダッシさんはこのファイルに記された人々に被害実態を知らせることを厚生省に求めて裁判を起こし、現在は最高裁で争われている。「裁判に勝っても私はもう助からない。でも他の人たちの命を救いたいのです」と彼女は語る。】

Gadassi was born in 1950 in Moshav Shtulim, to parents who had come to Israel a year earlier from Yemen. She says that in the summer of 1957 all the children of the moshav were taken to Haifa, on the pretext that they were going to a summer camp. "A large truck picked us up. On the way to Haifa we sang and played happily, but the moment we arrived at the Sha'ar Ha'aliyah camp, near Haifa, the abuse began. They took us into the clinic, smeared some substance on our heads, pulled out all our hair and gave us radiation treatments. We returned home bald and bruised, both physically and emotionally."
【ガダッシさんは1950年にモシャヴ・シュトゥリムで生まれた。両親はその前年にイエメンからイスラエルに移民してきたばかりだった。1957年の夏に、このモシャヴ《=自営小農の集まったイスラエルの共同農場》の児童全員がハイファに連れて行かれた。「サマーキャンプに連れて行くから」という口実で……。「大型トラックが一台やってきて、私たちを全員を乗せました。ハイファへの道行きは、みんなで歌ったり遊んだりと、それはそれは楽しいものでした。ところがハイファ近郊のシャール・ハーリヤー・キャンプに着いたとたんに酷い目に遭わされました。みんな病院に連れて行かれて頭に何かを塗られ、髪の毛を全部引っこ抜かれました。そして放射線を浴びせられたんです。私たちはつるっぱげで家に帰されました。身も心も傷だらけだったんですよ。」】

This incident was so traumatic for her, that for decades she erased it from her memory entirely. She remembered it down to the last detail a few months ago, when she went to receive radiation treatments against the cancer that has developed in her throat and that threatens her life. When she filed a lawsuit in the Health Ministry, she discovered for the first time that her name is included in the Modan list.
【これはガダッシさんにとってあまりにもショッキングな出来事だった。おかげで彼女は何十年もこの経験をすっかり忘れていた。ところがほんの数ヵ月前に当時の細かい情景まではっきり思いだした。きっかけは喉[のど]に出来た癌の治療で放射線照射を受けたからである。そして今、この癌のせいで彼女は死の淵にいる。厚生省を訴える裁判を起こしたが、そこで初めて自分の名前が『モダン教授のファイル』に載っているのを知ったという。】

All the health ministers and all the directors general of the ministry who have served since the list was compiled have opposed the demand to send warnings. Among the opponents was Prof. Baruch Modan himself, who prepared the list and afterwards served as director general in the 1980s. The Health Ministry explains that the Modan file is "a research file only," and there is no certainty that everyone included in it did in fact receive radiation treatments. Sending warnings to all of them is liable "to sow unnecessary panic" without being medically efficacious, because it is doubtful whether anyone will succeed in stopping the development of the cancer. But the ministry insists that the list is not classified: Anyone who asks to know whether his name is included on it, will receive an immediate reply. (A.D.)
【35年も前に『モダン教授のファイル』が編まれたというのに、それ以降の厚生大臣や厚生省の長官たち全員が、被害者に警告を出すべきだという要請を拒否し続けてきた。バルーク・モダン教授自身もそうした拒否に関わっていた。彼はこのリストを編んだのち、1980年代に厚生省長官に就いた。同省は今になって『モダン教授のファイル』は「単なる研究目的のために作成した」と釈明し、このファイルに掲載された人々全員が本当に放射線照射を受けていたかどうか定かでない、とまで言っている。さらに厚生省は、ファイルに載った全員に警告を送ると医学的効果がないのに「不要なパニックを煽るだけだ」とも言っている。もし警告を与えても、それで癌の発症を止められるかどうか疑わしい、というのが同省の理屈である。だが『モダン教授のファイル』に載った人名リストは秘密扱いにしていない、と同省は言い訳している。自分の名前がリストにあるかどうか同省に問い合わせれば、ただちに教えてくれるそうだ。(アリエー・ダヤン記者)】

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