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“恐怖”と暮らす 検証・米軍普天間飛行場<3> 大学の自治
32年前はタンク落下
米軍ヘリが墜落した沖縄国際大学は三十二年前、建築中の校舎に、普天間飛行場所属偵察機の燃料タンクが落下する事故に見舞われた。授業中の学生らは現場へ駆け付け、タンク回収のため出動した米兵を追い返した。当時を知る同大OBは「今回のヘリ墜落で米軍は勝手に現場封鎖し、大学自治を土足で踏み荒らした」と厳しく批判する。
◇ ◇
低空飛行中の米偵察機ブロンコからタンクが落ちたのは、一九七二年十二月四日昼すぎ。長さ四メートル、直径五十センチメートルのアルミニウム製タンクは建設中の校舎に激突した。幸い死傷者は出なかった。
落下現場から二百メートル前後のプレハブ教室内にいた、沖国大一部学生自治会長=当時=安村昌俊さんは、米軍機から何か落ちたと聞いて外へ走った。タンクの周囲に学生や教職員数百人が詰め掛けたという。
事故からまもなく、安村さんは、現場に到着した米軍車両や米兵たちに気付いた。タンクを持ち去ろうとする米兵に、学生らは「証拠隠滅のつもりか」と抗議。教職員も学生を止めず、米兵たちはなすすべなく退去した。学生らはタンクをプレハブ教室まで運び、教室外壁部分に鎖で固定した。
翌五日、米軍中佐が大学を訪れ安里源秀学長=当時=にタンク回収の許可を求めたが、安里学長は「飛行コースの変更や基地撤去計画があるか」などへの回答を要求し、引き渡しを拒否した。学生らが帰りかけた中佐を取り囲み、全面飛行中止を訴えると、中佐は「上司に伝える」と答えるのがやっとだった。
学生らはタンクを証拠として数十日間も自主管理したが、深夜、何者かに持ち去られたという。安村さんは「路線の衝突はあったものの、飛行場撤去で学生と教職員の思いが一つになっていた。米軍も大学自治の前に手を出せなかった」と振り返り、「今回の米軍の行動は暴挙としか言いようがない」と指摘する。
今月十三日のヘリ墜落後、沖国大の対策本部(本部長・渡久地朝明学長)は当初、ヘリ機体の証拠保全仮処分申請も検討するなど「大学の自治」死守に苦闘している。富川盛武副本部長は「被害者であり土地建物の所有者のわれわれが、加害者の米軍に追い出され、事故処理が行われた。日本の法律体系が空白状態となった事態を、政治的思想信条を超え『異様』と強く感じる」と顔を紅潮させた。
(社会部・赤嶺知洋)
米軍ヘリ沖国大墜落事故に抗議する宜野湾市民大会が九月五日午後二時から、同大グラウンドで開催される。
http://www.ryukyushimpo.co.jp/cgi-bin/helicrash/index.cgi/fear/20040831.htm?seemore=y