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(回答先: 野上義二も関連か、目下、憎まれ愚痴「URLなし」の緊急事態 投稿者 木村愛二 日時 2004 年 8 月 31 日 11:09:07)
わが電網宝庫、憎まれ愚痴、URLなし緊急事態に鑑み、野上義二の経歴と背景の疑惑に関して、『外交官惨殺事件の真相と背景』から、以下の部位分を抜粋して、紹介する。
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第4章 惨殺された両外交官を背後から操った元上司らは外務省機密費疑惑関与の「黒色高官」
●処分で「すねに傷持つ身」の3人が、危ない仕事をやらされていたという見方もある
すでに名前が出た内閣官房参与、特別補佐官の岡本行夫(元北米1課長)は、過去に、外務省機密費事件で、詐欺罪で有罪の松尾・元要人外国訪問支援室長と、クルーザーヨットを共同所有していたが、メディアの追及が弱く、現在の「要職」にまで登り詰めた。
さらに先輩の元事務次官、野上義二に関しては、つぎの新聞記事もある。奥大使も、巻き添えを食っていた。
《外務省処分 浅川容疑者を懲戒免職 野上次官ら7人も処分》(19)
外務省は26日、詐欺容疑で逮捕された浅川明男・元課長補佐によるホテル代水増し請求事件をめぐり、浅川容疑者を懲戒免職とするほか、上司ら7人の監督責任を問い処分する方針を決めた。
当時の経済局長だった野上義二事務次官を懲戒減給処分(10%、1か月)とする。(了)
《懲戒処分の職員 》(19)
◆懲戒戒告
野上義二・事務次官(給与10%、1か月自主返納)奥克彦・英参事官(給与20%、1か月自主返納)=いずれも監督責任(『毎日新聞』2001年12月1日東京朝刊から)(了)
「事務次官」は官僚組織の頂点の位置である。この官僚の最高位にいた野上義二は処分を受けた以後に左記に転身した。
《野上・前外務事務次官、英国王立研究所の上級客員研究員に》(19)
田中真紀子前外相との対立から今年1月に更迭された野上義二・前外務事務次官が、英国有数のシンクタンク・英国王立国際問題研究所の上級客員研究員となることが分かった。中東問題を担当し、イラク情勢などの情報分析にあたるという。週内にも発令され、任期は1年の予定。給料は外務省から支給される。野上氏は4月、鈴木宗男衆院議員が関与した北方四島支援事業をめぐる省内の処分の際、当時の事務次官として監督責任を問われる形で厳重訓戒処分を受けている。(『毎日新聞』2002年9月1日東京朝刊から)(了)
これらの経過から、いわば「すねに傷持つ身」の3人が、危ない仕事をやらされていたという見方も出てくる。その可能性は非常に高い。さらに私は、たまたま、かなり以前から、野上義二・元外務省事務次官には、以下の過去もあることを知っていた。
●英国王立研究所の上級客員研究員に転出した野上義二事務次官はシオニストの手先か?
以下は、9年前の1995年に発表した拙著、『アウシュヴィッツの争点』からの抜粋である。
《経済大国日本の国際世論への影響」を重視し「交流」を予定》(20)
『読売新聞』(93・5・21)の「論点」欄に「外務省中近東アフリカ局審議官」の肩書きの野上義二が登壇していた。論文の見出しは「低俗な『反ユダヤ』観を排す」である。「一時下火となったかに見えた『反ユダヤ』出版物が最近また目につくようになってきた」という書きだしで、このような出版状況が「日本人の無知を証明しているようなもの」と結論づけている。「ホロコースト」物語についても、つぎのような見解を示している。
「ナチによるユダヤ人大虐殺(ホロコースト)は誇張だなどという議論は、エルサレム郊外のホロコースト記念館(ヤド・ヴァシェム)を訪ねてみればいかにひどい議論であるか一目瞭然(りょうぜん)である。日本は知的に隔絶されたガラパゴス諸島ではないはずである」
外務省の審議官が新聞紙上で出版物の批判をすること自体にも、いささか疑問があるが、内容も一方的で、お粗末だ。このところの外務省の「海外出兵」に関するタカ派ぶりと呼応するような事態なのだ。
ところが、その翌年の1994年に発行された『ユダヤを知る事典』を見ると、冒頭にこう書かれていた。
「1988年、日本の出版事情を憂慮したアメリカ・ユダヤ人委員会は、日本政府に申し入れをした。これを受けて外務省は、同年9月『ユダヤ人問題』と題して、日本書籍出版協会、出版文化国際交流協会を通して、出版界にその要望を伝えた」
つまり、野上審議官の文章は、決して個人的な作文ではない。また、サイモン・ウィゼンタール・センターのラビ、クーパーの調査報告は、その年のうちに「アメリカ・ユダヤ人委員会」を動かし、日本政府、外務省、出版界へとフィードバックされていたのである。私の手元には、外務省が「無署名」で出版界向けに出した文書(一種の怪文書?)と、それに添う要望をのせた日本書籍出版協会の会報のコピーがある。(以上は1995年の『マルコ』廃刊事件以前のことである。)
このような日本における当時の事実経過には、同事件の発生を予感させるものがあったとはいえないだろうか。
私は、いわゆる「反ユダヤ本」取り締まりの動きは陽動作戦にしかすぎず、本命のねらいは、野上審議官が不用意にもらしたホロコースト「誇張」論の牽制にあったのではないかと疑っている。いわゆる「おどろおどろ反ユダヤ本」などは、夏のお化けのようなもので、気味は悪いが、いまどきそれほどの社会的影響力はないのではないだろうか。(了)
野上義二は、このように、1995年の『マルコ』廃刊事件の2年も前、1993年当時から、イスラエル・シオニストと関係していたのである。この1993年には、「知る人ぞ知る」公然の秘密であるが、「最後の望みはノーベル平和賞」の池田大作が、カリフォルニアのサイモン・ウィゼンタール・センター本部を訪れ、以後、『聖教新聞』にも、「怪物」、サイモン・ウィゼンタールの記事を、でかでかと載せ、極めて親密な関係を結んでいるのである。
[後略]
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