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【裏付け資料付き】『9・11報告書』は『華氏911』が提示した主要事実を裏付け【マイケル=ムーア日本語サイト】
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投稿者 傍観者A 日時 2004 年 8 月 29 日 12:06:34:9eOOEDmWHxEqI
 

『9・11報告書』は『華氏911』が提示した主要事実を裏付け

2004年8月2日・午後6時37分
裏付け資料一覧
『華氏911』の裏付け資料:第1部
『華氏911』の裏付け資料:第2部
『華氏911』の裏付け資料:第3部
『華氏911』の裏付け資料:第4部
『華氏911』の裏付け資料:第5部
『華氏911』の裏付け資料:第6部

速報
2004年8月2日

『9・11報告書』は『華氏911』が提示した主要事実を裏付けている。

9・11調査委員会の567頁にわたる最終報告書は、『華氏911』が提示した主要な事実を裏付けている。以下に映画の引用文と報告書の内容を掲げておこう。

T. アシュクロフトへの状況報告

『華氏911』:「[ジョン・アシュクロフトが]司法長官として最初にしたことの1つは、トーマス・ピッカードFBI長官代理に、テロの脅威のことは何も聞きたくないと告げることだった」

『9・11報告書』265頁:ピッカードは司法長官にテロの脅威について2度(5月と7月初旬)報告したが、その後「アシュクロフトはその手の脅威のことはもう聞きたくないと言った」と、委員会で証言した。

 また『9・11報告書』には、アシュクロフトがこの発言を否定したこと、および、ピッカードからの報告に次のような対応をしたことが書かれている。「ピカードは、アメリカで攻撃が行なわれることはないとの保証はできない、もっとも脅威の報告は海外の標的に関するものだが、と答えた。アシュクロフトは当委員会で、そのことからFBIは必要な仕事をしていると思いこんだと証言した。そして、あとから考えると、それは危険な思いこみだったと認めた。彼はFBIに、脅威にどう対応しているかを尋ねず、特定の行動をとるよう命じなかった。また、当時はまだ司法省のもとにあった移民帰化局に、特定の行動をとるよう命じることもなかった。要するに、国内の諸機関は脅威に対応しなかった。彼らは指令を受けず、行動計画を持たなかった」

U. 2001年9月11日の朝、フロリダ州の小学校におけるブッシュについて。

『華氏911』:「攻撃が行なわれたとき、ブッシュ氏はフロリダ州のある小学校に向かっていた。最初の飛行機が、8年前にテロ攻撃を受けた世界貿易センタービルに激突したと知らされたとき、ブッシュ氏は予定どおり記念写真の撮影をすることに決めた。2機目の飛行機が激突したとき、首席補佐官が教室に入ってきて、ブッシュ氏にアメリカが攻撃されていると告げた。何をしていいかわからず、指示をしてくれる人もなく、警護官が駆けつけて安全な場所に連れだしてくれることもないまま、ブッシュ氏はただ坐って、子供たちと一緒に『私のヤギさん』を読みつづけた。誰も何もしないまま、7分近くが過ぎた」

『9・11報告書』35頁:「アンドリュー・カード大統領首席補佐官は、教室の外で大統領と一緒に立っていたとき、まずカール・ローブ大統領首席顧問から小型双発機が世界貿易センタービルに衝突したとの第一報が伝えられた、と証言した。大統領はパイロットの操縦ミスだろうと考えた。8時55分、教室に入る前に、大統領はホワイトハウスにいるコンドリーザ・ライス国家安全保障問題担当補佐官と話した。ライス補佐官は大統領に、小型双発機――いや、商業機が――世界貿易センタービルに衝突したと言い、いまのところわかっているのはそれだけです、大統領≠ニつけ加えたのを記憶している」

『9・11報告書』38‐39頁:「大統領は教室に坐っていた。すると9時5分に、アンドリュー・カードが彼にささやいた。2機目の飛行機が第2のタワービルに激突しました。アメリカが攻撃されています……=B大統領はそれから5分から7分のあいだ教室で坐りつづけ、子供たちは朗読を続けた」

V. ブッシュが2001年にテロ対策補佐官と話し合わなかったことについて。

『華氏911』:「フロリダの教室で坐っていたとき、彼はこう考えただろうか? もっと職場に顔を出しておけばよかったと。1度でいいから、テロ対策補佐官[リチャード・クラーク]とテロの脅威について話し合うべきではなかったかと」

『9・11報告書』201頁:「ブッシュの大統領就任から数日内に、クラークはライスに接触し、彼女に――そして新大統領に――テロ問題に高い優先順位を与え、前政権の最後の数ヵ月に自分が推進した政策にしたがって行動するよう説得しようとした。ライスが主だった部下に検討し推進すべき主要政策を挙げるよう要請すると、クラークは2001年1月25日に詳細な覚書を提出した。彼はそれに1998年に作成した殲滅計画(デレンダ・プラン)≠ニ2000年に作成した戦略報告書を添えた。われわれはアルカイダ・ネットワーク問題を検討する長官級会議を……早急に開く必要がある≠ニクラークは書いた。ライス国家安全保障問題担当補佐官が直接クラークの覚書に応答することはなかった。アルカイダ問題を協議する長官級会議が開かれたのは2001年9月4日になってからだった(それ以外の、中東やロシアやペルシャ湾岸の問題を話し合う長官級会議はすでに頻繁に開かれていた)。

W. ブッシュが保安報告書に対応しなかったこと。

『華氏911』:「ひょっとしたら、[ブッシュ大統領は]2001年8月6日に渡された保安報告書を読んでおけばよかったのかもしれない。それにはオサマ・ビン・ラディンが航空機をハイジャックしてアメリカを攻撃する計画を立てていると書いてあったのだ。なのに彼がテロの脅威を心配しなかったのは、報告書のタイトルが曖昧すぎたせいかもしれない」

『9・11報告書』260‐262頁:ブッシュは、CIAの『ビン・ラディン米国本土攻撃を決断』と題された8月6日付の大統領日報を「これは過去の話だ」と考えたと言っている。ところが、「報告書作成にたずさわった2人のCIA局員はこの報告書を、ビン・ラディンの米国本土攻撃が現在の深刻な問題であるとの認識を伝えようとするものだと信じていた」。ブッシュには「8月6日の報告書について司法長官と話し合った記憶も、ライス補佐官がそうしたという記憶もない。(…)翌日配布された幹部用情報報告書にも大統領日報と同じ題がついていたが…。(…)その月の後半に、外国の情報機関から、アブ・ズベイダが米国内でのテロ攻撃を計画中であるとの報告があった…。(…)当委員会は、9・11までに大統領と政権幹部の間でアルカイダによる米国本土攻撃について話し合われたことを示唆する事実を見出さなかった。(…)テネット[CIA長官]には、この時期[クローフォードでブッシュに会った8月17日から9月10日まで]に国内での脅威について大統領と話し合った記憶がない」

X. サウジ人出国の時期について

『華氏911』:「少なくとも6機の自家用ジェット機と20数機の商業機が、9月13日以降、ビン・ラディン一族らサウジ人を国外に連れだした。24人のビン・ラディン一族を含む142人のサウジ人が、出国を許されたのだ」

『9・11報告書』556頁,n.25:「空域が再び開かれたあと、9機のチャーター機がサウジ人を主体とする乗客160人を乗せて、9月14日から24日のあいだにアメリカを出発した」
Y. 出国したビン・ラディン一族らサウジ人に対するFBIの面接

『華氏911』:FBIは「簡単な面接をし、パスポートをチェック」した。

『9・11報告書』557頁, n.28:「当委員会が調査したビン・ラディン一族らサウジ人の出国は、FBI本部が定めた方針にしたがって検討され、関係機関の実務レベルの協議によって調整された……。ほとんどの乗客は面接を受けなかったが、ビン・ラディン一族26人のうち22人はFBIの面接を受けた……。この便の乗客のうち2人は、以前FBIによって予備的捜査を受けていたが、それぞれ1999年と2001年3月に捜査は打ち切られた。どちらの人物にもテロ活動とのつながりを示す情報が見つからなかったためである」
Z. ホワイトハウスが出国を承認したこと

『華氏911』:「ホワイトハウスは飛行機がビン・ラディン一族らサウジ人を乗せることを承認した」[映画は、2003年9月3日付《ニューヨーク・タイムズ》紙、エリック・リクトブラウの記事『ホワイトハウスは9・11後にサウジ人の出国を承認、元即金は語る』の紙面も映しているが、この記事は次のように述べている。「ホワイトハウスの上層部が影響力のあるサウジ人数十人の出国を直接承認した。このサウジ人の中にはオサマ・ビン・ラディンの親類も含まれる。時期はテロが起きた2001年9月11日のあと、ほとんどの航空便が発着を禁止されていたときであると、ホワイトハウスの元顧問は今日語った。この顧問はリチャード・クラークで、9・11のあともホワイトハウスで危機管理チームを指揮していたが、その後ブッシュ政権から離れている。クラークは、この尋常でない出国を承認したのは、FBIが出国するサウジ人はテロとは無関係と保証したからだとしている」]

『9・11報告書』329頁:リチャード・クラークがこの出国を承認した。

まだ答えの出ていない疑問

サウジ人の出国:出国したサウジ人たちは通常の捜査手続きにのっとった事情聴取を受けたのか、などのさまざまな問題は、『9・11報告書』では充分に議論を尽くされておらず、さらに調査をするか、少なくともいままでよりもましな説明がなされるべきだ。

1. 『9・11報告書』が発表された週に、出国したサウジ人とテロリストにつながりがある可能性を示唆する新たな情報が発表された。

 『9・11報告書』にはこうある。「この便の乗客のうち2人は、以前FBIによって予備的捜査を受けていたが、それぞれ1999年と2001年3月に捜査は打ち切られた。どちらの人物にもテロ活動とのつながりを示す情報が見つからなかったためである。9・11の時点でもその状態のままで、結局再開されることなく、サウジ人たちは飛行機で国を出てしまった」(注、557頁、10章、n.28)

 サウジ人の出国という尋常ならざる問題は、『9・11報告書』では脚注に埋もれたそっけない扱いだが、以下の情報を考慮に入れると、新たな疑問がわいてくる。

 2003年7月22日付《ワシントン・ポスト》紙は、出国したオサマ・ビン・ラディンの一族のうち13人についてこう報じた。「乗客の1人で、アルカイダの指導者オサマの甥にあたるオマル・アワド・ビン・ラディンは、アブドラ・ビン・ラディンと同居していたことから、過去にFBIの取り調べを受けている。アブドラは世界イスラム青年会議の指導者で、FBIはこの組織にテロ組織の容疑をかけていた」――デイナ・ミルバンク『ビン・ラディン一族の13人を運んだ飛行機;2001年9月19日の搭乗者名簿公表』(《ワシントン・ポスト》紙, 2003年7月22日)

 さらに、《ワシントン・ポスト》紙の別の記事によれば、この組織はいまでもテロリストとの関係を疑われているようだ。とくに、2004年5月の記事に注目してほしい。「連邦機関の捜査員が、サウジに本部を置く大規模な慈善団体のアメリカ支部を強制捜査した。バージニア北部にあるこの支部は、オサマ・ビン・ラディンの甥が開設した。強制捜査はテロに関係するものだと、捜査機関の人間が昨日語った。世界イスラム青年会議に対する金曜日の強制捜査を行なったのは、FBI、移民関税執行局、および合同テロ対策班とのこと」――ジェリー・マーコン『米当局、バージニア北部のサウジ慈善団体を強制捜査』(《ワシントン・ポスト》紙, 2004年6月2日)

 フランク・ローテンバーグ上院議員(民主党・ニュージャージー州選出)の発言:ローテンバーグ議員が公表した搭乗者名簿はここに(http://lautenberg.senate.gov/images/flight manifest.pdf):ローテンバーグはこう語る。「犯罪捜査の基本は、容疑者が逃亡中なら、その家族や親類から事情聴取するということだ。オサマ・ビン・ラディンは3000人以上のアメリカ人を殺したばかりだというのに、ブッシュ政権はまともな事情聴取をせずにビン・ラディンの親類を逃がした。アメリカ大統領は、なぜあの飛行機を飛び立たせたのか、国民に説明する必要がある。国民はこの搭乗者名簿を見て衝撃を受けるだろう。説明を受けてしかるべきだ」

 バイロン・ドーガン上院議員(民主党・ノースダコタ州選出)の発言:ドーガン上院議員は最近、こう語った。「当時FBIのナンバー2で対テロ部長だったデイル・ワトソンは、その人たちの誰も本格的な℃謔闥イべや事情聴取を受けることなく出国したと述べた。実際、いまの私たちは、9・11のあと出国を許されたサウジ人のうち2人、あるいはそれ以上が、テロリストとのつながりを疑われて、FBIの捜査対象となっていたことを知っている」(《グランド・フォークス・ヘラルド》紙, 2004年7月20日)

2. サウジ人たちを問題なしとしたFBIデータベースの信頼性

 9・11調査委員会は、出国したサウジ人で、国務省のテロリスト警戒リストTIPOFF(『9・11報告書』注、558頁、第10章、n.31)にある名前と合致する者は1人もいなかったと繰り返すFBIの保証を信頼している。(ただし、乗客の名前が実際にTIPOFFと照合されたという証拠はない。)(『9・11報告書』注、558頁、第10章、n.31参照)

 しかしながら、TIPOFFの情報と照合すればそれでいいかという問題がある。なぜなら、『9・11報告書』は、9・11テロのハイジャック犯のうち2人――ナワフ・アル・ハズミとハリド・アル・ミダル――の名前が、TIPOFFに載っていないことを確認しているからだ(『9・11報告書』182-2頁)。ハズミとミダルは国防総省ビルに激突した飛行機に乗っていた。調査委員会はここに大失態があったと見ている。「2001年1月にCIAが[ミダルの]捜索を再開し、国務省の警戒リストに彼を載せるか、FBIに情報を伝えるかしていれば、ミダルが[9・11以前に]発見された可能性はあった」(267頁)

 ところが、9・11調査委員会は、出国者のチェックにTIPOFFが有効だったかについて、何ら疑問を提示していない。

3. ブッシュ政権との奇妙なつながり

《ワシントン・ポスト》紙の記事によれば、ビン・ラディン一族を国外に出した飛行機は、「ブッシュ大統領に同行する取材陣のためにホワイトハウスがしばしばチャーターした」ものと同じだった。――デイナ・ミルバンク『ビン・ラディン一族の13人を運んだ飛行機;2001年9月19日の搭乗者名簿公表』(《ワシントン・ポスト》紙, 2003年7月22日)。ここから生じる疑問を、9・11調査委員会は取り上げてしかるべきだった。

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