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(回答先: イングーシ共和国前大統領・ルスラン・アウシェフへのインタビュー 投稿者 Kotetu 日時 2004 年 9 月 17 日 02:02:55)
今週号の「ニューズウイーク日本版9・22」に学校占拠事件に関する記事が掲載されている。
P.27
「悲劇の真犯人は特殊部隊ではない −舞台裏:突入作戦はなぜ失敗したか −」
「 9月7日に行われたロシア連邦保安局(FSB)の特殊部隊の葬儀は、悲しみと怒りに覆われていた。北オセチア共和国のベスランで起きた学校占拠事件が大惨事に発展したのは、誰の責任なのか。
特殊部隊員たちの怒りの矛先は、当局の上層部、とりわけ北オセチアのアククサンドル・ザソホフ大統領に向けられていた。ザソホフが弱腰だったせいで、何百人もの人質と11人の隊員が犠牲になったと、彼らは言う。
突入作戦は、入念な作戦を練ってから実行するのが鉄則だ。だが今回の事件では、準備はしていたものの、あの時点で突入すると思っていた特殊部隊員は一人もいなかった。もう一日準備期間があえば、あれほどの犠牲は出なかっただろう。
事件が起きた9月1日、FSBの対テロ部隊「アルファ」と「ウィンベル」の特殊部隊員はベスランから30キロ離れた北オセチアの首都ウラジカフカスに招集された。彼らは占拠された学校に似た建物を使い、突入にそなえたシミュレーションを行った。
だが現場の状況が把握できていなかったため、シナリオを絞り込めなかった。「校舎に備えつけた監視カメラが壊されていた」と、救出作戦に参加した特殊部隊員は言う。
3日の昼すぎ、膠着状態にしびれを切らした人質の親族がテロリストに発砲。銃撃戦が始まった。その5分後、特殊部隊は出動を命じられた。
その時点ではもう、住民の攻撃に加勢するしかなかった。「目隠しをしたまま突入したようなものだ」と、アルファ部隊の古参隊員は言う。「それぞれの任務を決める暇も、テロリストの武器の配置を検討したり、突入ルートを考える時間もなかった」。しかも、彼らは奇襲作戦による人質救出のプロではあったが、正面攻撃の訓練は受けていなかった。
「部隊の士気が緩んでいた」と、FSB本部の担当官は主張する。「突入はあくまで最後の手段だった。だから準備はしていたが、さほど急いではいなかった」
だが現場の隊員は、「そんなことはまったく関係ない」と反論する。彼らに言わせれば、最大の問題は指揮の混乱にあった。
事件発生後FSBの司令部は混乱し、指揮系統もなかなか決まらなかった。事件直後に指揮をとっていたのはFSBのテロ対策部門の責任者だったが、そのうち内務省や大統領周辺のお偉方が首を突っ込んできた。
ザソホフが指揮をとることが決まったのは、2日の夜になってからだ。「最悪の選択だった」と、特殊部隊の現場指揮官は口をそろえる。
突入が混乱した最大の原因は、住民の「暴走」を抑えられなかったせいだというのが一致した見方だ。FSBは武装した人質の親族を現場から1キロ退去させる計画を立てたが、ザソホフは拒否。さらに直前まで、突入はないと明言していた。「人質の親を現場から引き離したり、そのために特殊部隊を使う勇気が彼にはなかった」と、現地駐留のロシア軍部隊の将校は言う。
今回の事件でロシアの治安体制のもろさが露呈したと、モスクワ大学のアナトリー・スドブラートフ教授は言う。「多少の戦闘は避けられないことや、テロリストが人質を盾に取る可能性を理解していなかった」
しかし、悲劇の後に作戦を非難するのは酷だと、英王立統合軍事研究所(RUSI)のダン・ブレッシュは指摘する。「どの国にも、特殊部隊は無敵の英雄だという神話がある。現実には、彼らはしばしば非常に困難な状況におかれるし、そうした状況が失敗を招くのだが」
アクレサンドル・ラスキン(ニューズウイーク・ロシア版特約)」