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社説
09月16日付
■大量破壊兵器――「戦争の大義」にけじめを
「いかなる備蓄も発見されなかった。発見することはないだろう」。パウエル米国務長官が、イラク開戦の最大の理由とした大量破壊兵器が実は存在していなかった可能性が高く、捜索を断念する考えを表明した。米政府の調査団も近く活動を終える。
開戦時のイラク国内に核や生物化学兵器がなかったという判断は、調査団の前団長によって今年1月に示されていたが、政府はその後も結論を先送りしてきた。パウエル氏のこんどの議会証言は、この問題に終止符を打とうというブッシュ政権の意思の表れに違いない。
フセイン政権を倒して将来の脅威の芽を断ち、テロとの戦いに成果を上げていることが、戦争の大義の証明なのだ。開戦時の大量破壊兵器の有無が問題なのではない。そう主張するブッシュ大統領は、2カ月後に迫った大統領選挙を優勢に進めている。パウエル証言の背景には、政権のそんな自信もあるのだろう。
しかし、大量破壊兵器をめぐる問題は、フセイン体制を倒したのだからもういい、と済ませられる話ではない。
思い起こそう。イラクに大量破壊兵器の廃棄を求めた国連決議をイラク侵攻の大義としたのは、ほかならぬ米国だった。そして、開戦直前の昨年2月、安保理で数々の「証拠」を示し、脅威がいかに差し迫っているかを切々と世界に訴えたのはパウエル長官自身である。
米国は結局、開戦を承認する国連決議がないまま戦争に走った。それでも米国を支持した国々の政府は、もちろん日本も含めて、大量破壊兵器の脅威があるのだからと、国民に理解を求めてきた。
それが、なかったというのだ。結果的に世界を欺いただけではない。戦争は普通の住民を含む多くの人の命を奪う。平和どころか混乱と無秩序を呼び込む危険と隣り合わせだ。イラクの現実は、まさにその証明である。
フセイン政権が危険な独裁体制であったことは、米国の言う通りだ。しかし、この戦争は米国にとっても、世界にとっても、あまりにコストが高い。それをもたらした情報や判断の誤りについて、米国自身にきちんとけじめをつけてほしいというのが、今の国際世論だろう。
さて、小泉首相はこれまでの言動を悔いているだろうか。
大量破壊兵器はいずれ見つかる。戦争は正しい。首相はそう言い続けてきた。フセイン前大統領の拘束前には「大統領が見つからないからといって、いなかったとは言えない。大量破壊兵器も見つからないからといって、なかったとは言えない」という筋の通らぬ論理を国会で繰り返して失笑を買ったこともある。
そうした認識は、先月の臨時国会でも基本的に変わらなかった。だが、もはやそれではすまない。判断のもととなった情報や検討の過程を洗い直し、それを国会で国民に対して説明するのが当然の義務である。
確かなけじめは、日本にも要る。
http://www.asahi.com/paper/editorial20040916.html