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イラクの抵抗勢力による米占領軍への襲撃は増加しているが、その活動のの
実態は霧に包まれている。エジプトの週刊紙アル・アハーリーは8月25日、
イラクの署名な元外交官で研究家サラーフ・アル・ムフタール氏が語る抵抗勢
力誕生の経緯と現状分析を掲載した。
ムフタール氏は、四半世紀にわたりイラク内外で活動してきたイラク人の中
でも数少ない研究家である。1980年にイラクの国連使節団の報道顧問を初
めとして、諸外国で特命全権大使を務めた。
抵抗勢力の現状を語るには、過去に遡る必要がある。人民戦争、別名都市ゲ
リラ戦戦略を採用し、それへの準備は1990、1991年のクウェイト危機
に遡る。圧倒的な技術的、軍事的優越だけでなく、兵因数の点でも物量におい
ても同盟軍が勝っていたから、正規軍による戦争では最終的に、米軍とその2
8の同盟国軍が勝利を収めることはイラクの司令部には分かっていた。
そこで当時、数十年前から存在する、独立の志願兵組織に加えてバース党民
兵を含む準軍事組織に対する、都市ゲリラ戦の訓練が実施された。またそれら
の構成員に中小の火器が配備された。軍事部門が崩壊した時には、武装人民抵
抗組織が機能するように、その任務と責任は、党と国家の幹部に振り分けられ
た。
この準備の一環として、正規軍の戦争中にもゲリラ戦を実行するあらゆる種
類の戦闘員を召集するイラク軍から成る重要な部門が準備された。しかし、
ジョージ・ブッシュ(父親)米大統領が1991年2月28日に一方的な停戦
を発表したため、イラク国内の都市でゲリラ戦を実行に移す機会は無かった。
イラクが戦略的な都市ゲリラ戦を採用すると最初に指摘したものは父親ブッ
シュである。すなわち、彼はクリントンとの大統領選に敗れた折、民主党から
かなりの非難を受けたとき、CNNテレビとのインタビューで次のように語っ
た。「一方的停戦をした理由は、我々がイラクに侵攻すれば、サダム・フセイ
ン大統領は、イラクでわが軍に対して都市ゲリラ戦を仕掛ける準備をしている
ことを我々が知ったからだ。そこで米国青年たちをイラク諸都市での戦闘から
救うために、一方的停戦を決定したのだ」
2001年小ブッシュが政権を握りネオコンに依存したことで、イラク当局
はイラク侵攻は避けられないと確信するに至った。そこでサダム・フセインは
有名な文句を吐いた。「アメリカはイラクを侵略するが、我々の戦いはそれか
らだ」
米のイラク侵攻を確信するに至った理由は他にもある。イラク政権は、経済
封鎖を解除させるのに必要な環境を作り出すために重大な譲歩をしたことがあ
る。だが経済封鎖の結果、栄養状態の悪化と医薬品の欠乏、インフラ破壊、劣
化ウランなどの禁止兵器の使用によるによる汚染が原因で、イラク人810万
人の命が喪われたにも拘らず、アメリカ当局は、封鎖を解除しようとはしな
かった。米国の意図は明確だった。イラクの物的、軍事的、精神的能力を消耗
させ、イラクの基本的な抵抗力を殺(そ)いだ後に、最小のアメリカの被害で
イラクを破壊しようとしたのだ。
2001年9月11日事件で、侵略は避けられないとするイラク政権の確信
は更に強固になった。米中央情報局(CIA)が作成した戦略的研究は、アメ
リカのエネルギーの必要性が倍加することを示していた。サウジアラビアの油
田は老化しつつあったが、イラク油田の噴出力は強く、生産コストも、サウジ
油田が2ドル/バレルであったのに対し、イラク油田のそれは50セントで
あった。他の諸国では10〜25ドル。
サウジアラビアの原油埋蔵量2200億バレルに対し、90年代前半にイラ
ク石油省が実施した調査によると、イラクの埋蔵量は2500億〜3000億
バレルであった。更に、イラク西部は手付かずで残されていた。
【問い】イラクには巨大な軍隊があったが、それを使わないことを決めたのか
?
いや、計画では、敵に消耗戦を強いて、人的、物的、精神的損失を増大さ
せ、圧倒的な米軍の優越性に見合う別の方法で軍隊を準備することであった。
恐らく、この甚大なコストがベトナム・コンプレックスが支配するアメリカの
反応を引き起こし、米当局は戦争終結を余儀なくされよう。
正規軍同士の戦争戦略に則り、米軍と直接対峙するというより困難で危険な
正規の戦闘の任務を遂行する共和国防衛隊と、共和国特別防衛隊が準備され
た。米軍の圧倒的な軍事力(特に空軍力)行使を回避するために、軍隊を砂漠
地帯に配備せず、強固な防塁となり、米軍を消耗させ米兵の士気と戦闘能力を
低下させるために、都市周辺や入り口に兵力を集中させることが決められた。
以上に加えて、イラク軍の一部を割き、5〜10人の小部隊に編成し、ゲリ
ラ戦争の再訓練が行われた。彼らは都市の入り口や内部、バグダードに向かう
侵略軍が必ず通過する重要な村落に配置された。サダム特攻隊などの準軍事組
織とイラク正規軍との統合、融合が行われた。これらの組織は、命を惜しまな
い敵軍への攻撃や敵軍集結地での自爆攻撃など殉教的攻撃、ゲリラ戦の高度な
訓練を受けた。入念な試験を受けた志願してきた選り抜きの青年から編成され
た。
このような準軍事組織に、第二次パレスチナ・インティファーダ(民衆一斉
蜂起)後に男女600万人以上の志願者から成る「クドゥス軍」がある。ゲリ
ラ戦の十分な訓練を受け、大中小の火器を装備している。「バース防御隊」
は、バース党のメンバーや支持者から成る訓練を受けた武装組織である。「国
家治安機関」は、イラク治安組織、中でも情報機関や公安、軍情報部、特別治
安組織のエリートから成る軍事組織である。最後に都市戦争の訓練を受けたイ
ラク最高司令部がある。
イラク民衆が侵略に備える一環として、サダム大統領はテレビを前にして次
のように語った。「アメリカがイラクを侵略するなら、我々は家から家へと戦
い、必要なら個人用の拳銃を使っても戦い抜くであろう」
要するに、侵略進行中のイラクの軍事戦略は、正規軍の戦いとゲリラ戦との
併用であり、侵略が実現してしまえば、全ての正規軍と準軍事組織は、ゲリラ
戦に移行することであった。
【問い】この戦略は成功したか? 裏切り行為が軍事的敗北と軍と共和国防
衛隊の任務遂行不能に繋がったとの説は本当か?
戦略の侵略最中であった前半では、部分的に成功し、侵略後の後半では完全
に成功した。(海岸部の)オンム・カスルやファウ、バスラでイラク軍と共和
国防衛隊が見せた比類の無い戦闘力を覚えているだろう。圧倒的な優越を誇る
侵略軍はオンム・カスルのような小さな町が20日間も成功裏に抵抗し続けた
ことに衝撃を受けたのだ。バスラでは米英の軍司令部は、(イラクの)第51
師団を殲滅し司令官を捕虜にしたと発表したが、同司令官はアルジャジーラ・
テレビに姿を現し「我が師団ははバスラ防衛のために戦闘中である」と語っ
た。侵略軍は壮絶な戦闘の後、甚大な被害を被った後に初めて北進できたので
ある。アルアラビーヤ・テレビが報じたように、米英軍の司令官たちは、イラ
ク軍の士気の高さを賞賛した。
サダム・フセイン(バグダード)国際空港の攻防戦では、敵は武器や技術で
は圧倒していたが、共和国防衛隊と共和国特別防衛隊、サダム特攻隊、アラブ
聖戦士団、バース戦士団は、敵に対する戦闘では勝っていたことは疑う余地が
ない。イラク軍は空港を解放(奪還)し、空港内に集結していた米軍の全将兵
2000を殲滅したのだ。サダム大統領が自ら指揮を執り、米軍の凄まじい砲
弾を潜り抜け、空港に最初に進攻したイラク最初の戦車に乗って空港に入った
のだ。
サダム特攻隊とアラブ聖戦士団は、空港で殲滅した数十人の米将兵の首を掲
げ、アーメリーヤやヤルムーク、マアムーンなど空港近くの地区を、「神は偉
大なり」と叫び、車で走り回った。
この戦闘はイラク人の比類の無い戦闘精神を示す好例であった。しかし技術
面で優越していたアメリカ軍は、強力な破壊力を有し、5平方キロを殲滅させ
る9, 5トン爆弾2発を、空港攻撃に使用したため、空港を解放したイラク軍
は絶滅した。またイラク軍の近くに居た数百人の米兵も巻き添えを食って斃れ
た。この爆弾は並外れた破壊力において、小型核爆弾に等しいものだ。殲滅地
点内に居た兵士は、蒸気となって消滅した。殲滅地点外の兵士は炭化するか、
肉が飛び散り骸骨と化した。
またアメリカ人は、これまで未使用の新型クラスター爆弾を使用した。重量
は1キロ半で、殻が弾けると数十の(小)爆弾が降り注ぎ、それぞれの爆弾
が、戦車でも大砲でも人間でも目標物を探し出し、完全に破壊する。自動走行
するよう人工知能が組み込まれているため目標を誤まることは決して無い。大
規模衝突が実現する前に、この新型爆弾はイラク機甲部隊と兵士に決定的な打
撃を与えた。
命中すれば戦車をも溶かすこれまでに未使用の他の爆弾もあった。別の種類
は戦車を鉄の塵に変えてしまうものだった。
このような破壊兵器はイラク軍と防衛隊の主力を壊滅させた。一例を挙げる
と、兵1万〜1万2千のある師団は、これらの兵器によって、生き残ったのは
400〜600人になってしまった。
このような人的にも軍備に対しても甚大な損害を被り、イラクは(正面衝突
を避け)地下に潜り、都市のゲリラ戦採用を決めた。
以上によって、裏切り行為もがあったわけでも、軍が弱かったわけでもな
く、作戦上の誤りがあったわけでもないが、新型兵器に破れて、正規の戦争継
続が出来なくなってしまったのだ。そこでこの戦争の第二ページ、すなわち都
市ゲリラ戦が始まる。これにより米軍とその同盟軍は、主導権をイラクの抵抗
勢力に引き渡すことになる。
【問い】すると戦争は4月9日のバグダード陥落で停止したのではないのか
?
停止したのではなく、正規軍の戦争に代わって4月9日から都市ゲリラ戦に
移行したのだ。メディアは報道しなかったがこの日こそ、アーザミーヤやドー
ラ、シャーブ地区、カルフ、バグダード大学での各戦闘のように熾烈を極めた
戦闘が行われたのだ。よってバグダードが陥落したというのは誤りである。降
伏したのなら、陥落したと言うことも出来ようが。
確かに、裏切り行為は起きたが、裏切り者は数十年前から国外に居住してい
たイラク人だ。彼らは、数百人を数え、アメリカの情報機関からスパイ活動や
破壊工作の訓練を受けた。彼らは、政府の国民動員と恩赦の呼びかけを利用し
て、一部のものは、戦争開始の数日乃至数週間前に正規のルートでに帰国し
た。他の者たちは、トルコやイランからイラク北方に潜り込み、そこからイラ
ク各地に散った。
侵略が始まると彼らは、人工衛星を経由する電話を用い軍や治安組織の中枢
部、経済施設など重要な場所を知らせるという諜報作戦を実行し始めた。この
衛星電話は、使用者の正確な居場所を知らせることが出来るので、彼らは重要
施設の近くから米諜報調整センターに連絡するのである。すると直ちに話者の
居場所が特定され、10分程度でその場所を爆撃できるのだ。
別の方法は、彼ら工作員が爆撃希望地点近くに電子ディスク(GPS)を配
置するのだ。このディスクは米軍機に目標地点を正確に発信する能力がある。
侵略期間中イラクの治安機関は、数百人のこのような工作員を逮捕した。彼ら
は犯罪を認め、処刑された。
【この続きは後編へ】
http://www.al-ahaly.com/Archive/25-8-2004/ArabicInternational2.htm
『アラブの声(翻訳者齊藤力二朗精選)』
混乱が続く石油資源の宝庫で世界の火薬庫であるアラブ、中東地域の生の声を、主としてアラビア語メディアなどから直接に抄訳してお届けします。
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