投稿者 なるほど 日時 2004 年 9 月 12 日 03:30:15:dfhdU2/i2Qkk2
(回答先: 現場封鎖は合意違反/本紙入手の「緊急措置要領」[沖縄タイムス] 投稿者 なるほど 日時 2004 年 9 月 11 日 23:01:50)
http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kaigirok/daily/select0202/160/16009070020001c.html
http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kaigirok/daily/select0202/main.html
第160回国会閉会後 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第1号
平成十六年九月七日(火曜日)
○委員長(木俣佳丈君) 沖縄及び北方問題に関しての対策樹立に関する調査のうち、宜野湾市における米軍ヘリ墜落事故等に関する件を議題といたします。
○喜納昌吉君 どうもよろしくお願いします。
私も日本語を思い切り勉強してきていますので、是非努力して私のなまりのある言葉を聞いてください。
米軍の発表によると、ストロンチウム90の含まれる部品、六個のうち一個が回収できずになくなったと言われています。(資料提示)ほかには危険物の問題はなく、人体への影響もないと米軍は言っているが、防護服に身を包み、墜落機の収容作業を行うこの写真を見ると、二〇〇〇年、中国新聞に載っていたネバダで行われた劣化ウラン弾の調査のときの写真と同様な防護服を着けていることが分かります。見てください。一九六八年六月三日、九州大学にファントムが墜落したとき、また一九七七年の横浜にファントムが墜落したときには日米は合同で現場検証を行っていたにもかかわらず、今回は行われていません。非常に米軍の強引さが際立っています。
外務省、海老原北米局長が同型機の飛行停止を要請したにもかかわらず、事故直前と直後の米軍のCH53機の扱い方によって、イラク作戦との関連が見えてくる事実と事故現場の証言を照らし合わすと、宜野湾消防署が消火した直後から米軍が現場を占拠し、機体墜落現場の土壌、伐採した樹木などをすべて持ち去るまでの間の排他的行動には何か重要な問題の証拠隠滅のために時間が必要だったと思わざるを得ません。それを裏付けるように、初期の段階で日本側と米軍との見解に相違があるのに、日本政府の後追いの調査を経て、いつの間にか米軍側とつじつまを合わせ、追認した節があります。
日米地位協定にうたわれているように、墜落したヘリには米軍の財産権が及ぶのでしょうが、沖縄の県民にも財産権はあるはずです。米軍が持ち帰った墜落現場の土壌と樹木は沖縄県民の財産です。日本政府は、原因の究明と再発防止を掲げるなら、県民の納得を得るために県民の財産である土壌と樹木を返してもらい、放射能汚染の可能性について県民が納得するような調査機関を作り、劣化ウラン弾など重大な脅威をもたらすもののないことを証明する必要があると思います。
そこで質問ですが、大学の許可がなく樹木と土壌を持ち去った場合、これは財産権の侵害、違法行為であると認識していますか。一つ。また、日米地位協定に照らしても米軍が持っていく法的根拠は何もないと思いますが、返還を申し入れていますか。返還してもらった上で、放射能汚染などの独自調査をする意思がありますか。川口外務大臣、よろしくお願いします、この質問。
○国務大臣(川口順子君) 土壌についてのお尋ねございましたけれども、これは米軍側によりますと、事故現場の土壌の浄化、原状の回復に向けて汚染物質を特定化する目的で土壌調査を実施をしたということを米軍としては言っているわけでございます。それで、米軍側のこのような行為ですけれども、自らの事故によって現場に環境汚染が生じることを食い止めるためのそういった観点から、小袋五つ分と聞いていますが、小さな少量の土壌を採取をしたということであって、これは日本政府又は沖縄県から要請がなされた場合には、この採取をした土壌は返却をする用意があるということを表明をしているということを言ってございますので、特段これを地位協定上問題とするということではないというふうに考えております。
ただ、米軍が土壌を採取をするときに大学側の許可を取ったかどうかということについては、これまでのところ外務省としては確認はできておりません。ただ、いずれにいたしましても、地位協定上の位置付けを問題にするようなことではないというふうに考えているということでございます。
○喜納昌吉君 それじゃ、土壌は少し返してもらうということもできるんですか。
○国務大臣(川口順子君) 政府又は沖縄県からそのような要請があれば米軍は返却をするということを言っております。
○喜納昌吉君 政府にはそういうお考えないですか。
○国務大臣(川口順子君) 米軍がそのように言っている以上、返却が必要であれば返却を米軍はすると政府としては考えます。
○喜納昌吉君 分かりました。ありがとうございます。
○委員長(木俣佳丈君) 速記を止めて。
〔速記中止〕
○委員長(木俣佳丈君) 速記を起こしてください。
○喜納昌吉君 しかし、二メートルの土を掘り起こして持っていったんですよ、深みが。それはちょっとうそであるなと思います。それで、うそがあるなという感じがしますね。これも心の中に置いておいてください。
質問、二番目。九五年の少女暴行事件のとき、県民は基地の整理、縮小を願い、あの大きなうねりが起きました。しかし、ふたを開けてみると得たものより失ったものの方が多かったと県民は感じています。
まず、特措法改正により基地使用の代理署名拒否の権利を奪われた、新たに辺野古に基地が作られる計画が持ち上がり、普天間基地もいまだに返還されていない、そのようなことから、私はSACO合意に沖縄の人々の願いが反映されているか正直疑問に感じています。そして、今回の日米合同委員会分科会も同じようなものになるのではないかと懸念しています。なぜなら、現在県民感情を逆なでするかのように辺野古のボーリング調査が開始されようとしております。また、伊芸区の都市型訓練施設の建設が急ピッチで行われています。そうして、民間飛行訓練施設だったはずの下地島空港もいつの間にか米軍が使用している状況を見ると、泡瀬干潟の埋立て、石垣空港の建設もまた、まだ日本には公開されていないトランスフォーメーションの一環として軍事使用が含まれているのではないかという疑念が持たれます。
県民の願いは普天間基地の即時無条件返還です。当然、辺野古に新しい基地を作ることも望んでいません。国土の〇・六%しかない沖縄に米軍基地の七五%が集中していることは、もう限界です、これは。また、国家が掲げる、財政が逼迫している中で一兆円も掛かると言われ、アメリカ政府さえも受け付けない軍民共用、そうして十五年使用という矛盾をはらんだ計画に政府はなぜ執着するのでしょうか。そこに私は、日米同盟の名の下に沖縄を食いつぶしてきたゼネコンと政府の癒着を見てしまいます。
実際、その計画は、まあ献金問題で、日歯連の献金問題で物議を醸し出している元の首相、橋本さんのときの計画ですね、これはね。やはりそのようないかがわしい人たちがそういうことを作ったということを、非常に今後、私は自民党政府としても、自民党の未来を考えるならば僕はやり直してほしい気持ちがありますね。そう思っています。なぜならば、沖縄は五十六年間自民党のお世話になってきましたから、よろしくお願いします。私も五十六年間ね。
戦後五十九年、日本の安全保障は沖縄の基地の負担によって守られてきました。いつか沖縄も同じ日米安保の中で一緒に喜びを分かち合えることができるならば、復帰した日本はすばらしい国だったと思えるのではないでしょうか。しかし、流れ弾が伊芸の部落に、集落に何度も落ちたにもかかわらず、伊芸の都市型訓練施設に関しては高速道路から二百メートルも離れていないところに建設が進み、また辺野古に普天間基地を移設したとしても基地の危険が消えるものではありません。琉球新報にリークされた日米地位協定の増補版を読むと、日本政府は本土の利益のために沖縄をアメリカに売ったとしか思えません。日本政府は、安全保障の名の下に、またしても沖縄を日米安保と日米地位協定の十字架に掛けるということですか。それを質問申し上げます。伊芸の都市型訓練施設を、伊芸の人々が安全に暮らせるように、政府は見直し、交渉する意思がありますか。
もう一つ、住民投票で、一度は否決された辺野古への基地建設計画を、住民の意思を反映しながら、政府は撤回する方向で進めることができますか。大臣、よろしくお願いします。
○国務大臣(川口順子君) まず、伊芸区の米陸軍の複合射撃訓練場の建設についてが最初の御質問であると思いますけれども、これにつきましては、米側は、安全や地元の方々の御懸念、これにつきまして一定の配慮をしているというふうに考えております。政府としては、沖縄県の金武町等がこの訓練施設の建設に反対をしていらっしゃるということについては承知をいたしておりますし、外務省としても、地元の方のお気持ち、これについては十分に受け止めまして、米軍に対しまして引き続き安全の配慮については求めていく考えでおります。
それから、その次に、辺野古についての御質問であったかというふうに思いますけれども、これにつきましては、これは平成八年にさかのぼりますけれども、の四月に、当時のモンデール駐日大使と橋本当時の総理との間で全面返還をされるということが合意をされた。そして、この十二月に、その年の十二月にその合意を受けてSACOの最終報告が取りまとめられたわけでございます。そして、平成九年の十二月の名護市の市民投票において反対票が賛成票を上回るといったことがございましたけれども、その後の平成十一年におきまして、稲嶺知事による移設先の候補地の表明、そして岸本名護市長の受入れの表明といったことを受けまして、平成十一年の末に、政府といたしまして移設の候補地をキャンプ・シュワブ水域内名護市辺野古沿岸地、沿岸域とするということを閣議決定をいたしているわけでございます。それで、この閣議決定に基づきまして、平成十二年八月に、沖縄県の知事、名護市長等々の地元の地方公共団体の首長の方々の参加を得ました代替施設協議会を設置をいたしまして、約二年間協議をいたしました。そして、その結果、平成十四年の七月二十九日になりまして、この協議会の合意を得まして、普天間飛行場代替施設の基本計画、これが決定をされたということでございます。そして、平成十五年の一月になりまして代替施設建設協議会も設立をされたということが経緯でございます。
今ざっとお話を申し上げましたけれども、このような形で、普天間飛行場の移設・返還に向けました作業は、緊密に地元の方々と調整を行いながら着実に前進をしているわけでございます。この普天間飛行場が市街地にあるということもありまして、政府といたしましては、一日も早く周辺住民の方の御不安を解消したいと思っております。そうした考えに基づきまして、引き続き、地元の地方公共団体の方々と緊密に協議を行いながら、この普天間飛行場の移設・返還に向けまして全力で取り組んでいく所存でございます。
○喜納昌吉君 撤回することはできないということですか。
○国務大臣(川口順子君) 正に今申し上げたような経緯で閣議決定をし、その過程で地元の地方公共団体とは緊密に御相談をしながらここまで進めてきているということでございます。正に移設の返還これは、移設・返還、これは一日も早く行わなければいけないというのが政府の思いでございます。
○喜納昌吉君 政府の思いはどうかも知れぬですけれども、結局今のお答えは沖縄の人は死んでもいいということなんですね。分かりました。これは住民投票で一度否決されているんですよ。沖縄には政治も何もないということが今僕は分かりましたから。
それから、三番目の質問します。
今回の事件の本質は国家の主権にかかわる問題だと思われます。沖縄の県民が強く感じたことは、いまだに沖縄が国家の主権外であり、占領下にあるという感覚だったと思います。この差別感の根拠は何なのでしょうか。沖縄は本土並みを願い、復帰して三十二年になります。さっき申し上げたように、米軍基地負担は七五%で変わらず、県民所得は日本国民の平均の七五%しかない。この政治的格差、経済的格差は埋まりません。事の本質は基地経済依存に仕組まれたところにあると思います。
衣食足りて礼節を知るという言葉がありますけれども、沖縄の基地がかつてはベトナム戦争、そして今はイラクの戦争に使われ、罪のない子供や母親、善良なる人々の血や涙を流させていることを思えば、衣食足りて不礼節を知ることにならざるを得ません。是非、日本政府の皆さん、沖縄にそのような地獄を与えないでください。
そもそも外務省の沖縄担当大使とは何でしょうか、外国でもあるまいし。それとも、沖縄は外国ですか、植民地ですか。そうして、他府県には各省庁の出先機関がそれぞれ独立してありますが、沖縄には、予算の入口と出口を握り、出先機関を統合する沖縄総合事務局が存在します。そのことが受益者団体という言葉を生んでいることを知っていますか。そのような不条理なシステムはどのような意思から作られたのでしょうか。
許し難いことは、ヘリが沖縄国際大学に落ちたとき首相は夏休み中で、事故の報告を受けた三十分後には「ディープ・ブルー」という映画を鑑賞していたと言われる。小泉首相の先祖は薩摩の出身だと言われるが、三百九十五年前に島津が沖縄を侵略したおごりの歴史をまだ引きずっているのでしょうか。これを大いに、個人的に聞いてください。よろしくお願いします。
それでは質問いたします。
沖縄にとって屈辱的なこのかいらい政権の歴史の残存物であるかのような沖縄担当大使と沖縄総合事務局を廃止し、日米地位協定の中に沖米地位協定を新たに設け、沖縄と米軍と直接交渉を行えるよう政府は考えてほしい、これが一つ。
そして、沖縄から外国に行く場合は、本土までの運賃、滞在費、さらに国際線の運賃と、莫大な費用が掛かる。このことが沖縄の自由なる意思と自由なる経済の成長を封印してきた。沖縄が国家のためにも自立するためにも、この弊害を取り除くことが大事だと思います。──一枚飛びましたね、ちょっと飛ばしました。
基地問題のために特措法を作ることに努力し、沖縄をじゅうりんしてきた日本政府の努力のエネルギーを、今回こそは沖縄の航空運賃を三分の一にするために特措法立法の知恵を存分に使っていただきたいと思いますが、いかがでしょうか。茂木沖縄担当大臣、よろしくお願いします。
○国務大臣(茂木敏充君) 恐らく私にかかわります部分は総合事務局の話と、それから航空運賃の話になってくるかと思うんですが、総合事務局に関しましては、委員も御案内のとおり、沖縄の本土への復帰に際しまして、沖縄が本土から遠隔地にあること、そして本土への制度の移行を円滑に行う必要があることなどから、県民に使いやすく分かりやすい一元的な行政サービスの提供、各府省の事務の効率的実施などの観点から、沖縄開発庁の地方支局、部局として設置をされたものであります。
そして、この沖縄総合事務局、現在でも沖縄の産業の振興、金融システムの安定、また災害の復旧など、県民生活に密接な関係のあります事務、それから道路、河川、港湾等の国の直轄公共事業の実施事務などを行っておりまして、他の地域におきましては各省庁がばらばらにやっていることを総合的に一元的に対応できる、こういうことで、私は沖縄の発展に一定の役割を現在でも果たしていると、このように考えております。
それから、航空路線の話でありますが、地元の皆さんの生活におきましても、また観光の振興におきましても、沖縄の航空路線、極めて重要だと考えておりまして、これまでも本土と沖縄の間での航空燃料税、それから航空使用料の軽減などを図るなど、様々な支援策というのは取ってきているつもりであります。ただ、航空運賃、御案内のとおり、今自由化の中にありましてこういった軽減措置が必ずしも運賃そのものに反映されない、こういう側面もあるわけでありますが、航空会社においても運賃の引下げに引き続いて努力をいただいておりますし、今後もこういった官民の努力を続けることによりまして、せっかく沖縄も観光客、昨年は五百万人を超えると、こういう状況生まれておりますんで、それは来る方にとっても、また沖縄の方にとってもこういう利便性が確保されるような運賃の引下げには一生懸命取り組んでいきたいと思っております。
○喜納昌吉君 この思いは非常に有り難く受け取りますけれども、実際は沖縄の県民所得は非常に低いし、それから観光客も増えているとおっしゃっていますけれども、実際、モノレールに関しても行き先は首里城で止まっているんですね。それから高速道路も名護で止まっているんですね。よく考えてみますと、先には何があるかというと、首里城と美ら海水族館があるんですね。この二つもどうも観光客を運ぶためにこの道路があるような感じがするんですね。この二つの経営者はだれかというと、内閣府なんですよ、これね、総合事務局ね。だから、天下りが経営している、この沖縄の県民感情がうまく利用されているんじゃないかという疑問があるんです、私は。
それから、あと一つ、その空港の問題、運賃の問題もありますけどね、今は軍民共用で那覇が使われている、那覇空港が使われていますけどね、やはりそこが自衛隊が一緒にいますから、せめて自衛隊の基地も嘉手納基地に統合するというふうな気持ちを持っていてくださいよ。よろしくお願いします。これはやはり沖縄の玄関口ですから、やはり沖縄の玄関口には人類殺しの武器を置くことは似合いませんから、是非よろしくお願いします。
○委員長(木俣佳丈君) これはどなたに。
○喜納昌吉君 茂木さん、大臣、どちらでも適当な方、よろしくお願いします。
○国務大臣(茂木敏充君) これは防衛庁答える話だよ。だって、自衛隊の話を言っている。
○委員長(木俣佳丈君) ちょっとこれ、質問はどちらに。政府側、ちょっと整理して。
○喜納昌吉君 失礼しました。
それじゃ、自衛隊さん、是非によろしく、この沖縄のこの玄関口から、少しは。そういうことも可能であるか。そうすれば……
○委員長(木俣佳丈君) 喜納君、指名の発言をお願いしますので、まず先ほどの質問。
速記を止めて。
〔速記中止〕
○委員長(木俣佳丈君) 速記を起こしてください。
よろしいですか。施設庁長官でよろしいですか、喜納さん、喜納君、よろしいですか。
○喜納昌吉君 はい、適当な人。
○委員長(木俣佳丈君) 速記を起こして。
○政府参考人(山中昭栄君) これは航空自衛隊が那覇空港を使用しているわけですが、今の時点でどこかその機能を移転をさせるというような計画を持っているわけではございません。私ども、全体として沖縄の基地のその負担を、整理、統合、縮小を通じてどう軽減をしていくかという観点から取り組んでいきたいと考えておりますが、自衛隊については今そのような具体的な計画を持っているということではございません。
○喜納昌吉君 そうすると、実際はそのフライトが多くなれば、沖縄の、今、基地、那覇空港はフライトでは自衛隊によって占められている部分がありますから、それがなくなれば観光客はもっと増えて経済も潤うと思って私はたまたま直観的な質問をしたんですけれども、どうも、質問を終わります。
ありがとうございました。
○紙智子君 日本共産党の紙智子でございます。
私も日本共産党国会議員団調査団の一員として、先日、沖縄のこの事故現場の調査に入ってまいりました。地元で被害を受けた方や関係者からお話を聞いてまいりました。
米の司令官が人のいない方向にヘリの機体を持っていこうとしたんだというようなことが言われましたけれども、私はとんでもないというふうに思いました。実際に墜落した場所というのは、人のいないどころか、本当に人口密集地、住宅地のその真ん中です。大学ということですけれども、すぐ近くには保育園もありましたし、それから大学もこの当時というのは休み中ではあったんですけれども、どのぐらい学校に来ていたのかということで聞きますと、職員、そしてその講習を受けている生徒含めて三百人ぐらいはいたということですし、図書館は市民に開放していますから、ここには市民も来ていると、そういうところで落ちているわけです。
テレビなんかでも新聞でも報道されていますし、大臣も聞かれたと思いますけれども、ちょうど大学と一本道路を隔ててすぐ正面のところに自宅がある、中村さんという中古車を販売しているところなんですけれども、直接お会いすることができたんですけれども、とにかく、その住んでいるところの一階と二階で、ごきょうだいで御夫婦で住んでいるんですけれども、上と下とで電話のやり取りをしていたと。落ちる落ちると言っているわけですね。それで、上の方のお姉さんはいきなり落ちる落ちると言われて窓の外を見たら正に今落ちようとしていると。慌ててとにかく赤ちゃんを抱いて外に出たわけですよ。そうしたらその直後にもう飛んできた大学のこの破片ですね、それがもう飛んできて、窓を突き破ってテレビに穴を空けてふすまにぶつかっていると。もしあのとき電話で話していなかったらどうなっていたかと思ったら本当に身の毛がよだつということを言っていましたし、その御主人はちょうどその目の前が仕事場なわけですけれども、車にもうぼんぼん穴も空いているしガラスも割れていると。それで、もう自分の頭の上に落ちてくると思ったそうですね。正にもう自分が死ぬと、そういう危険な状況に立たされたわけで、今のお気持ちはどうですかと言ったら、もう絶句してしまって声が出てこない状態でした。
もう正にこれ大惨事だというふうに思いましたが、大臣、その御認識はおありでしょうか。
○国務大臣(川口順子君) 私も全く同じ気持ち、今のお話についても、これは別な方から前にお伺いをいたしておりますけれども、本当にお話を伺っていていたたまれない気持ちがいたしました。本当に赤ちゃん、無事で何よりであった、本当にたまたま偶然に幸運なことが重なってそういう状況だったということでございますけれども、一歩間違えれば大変なことであったというふうに思っています。
○紙智子君 本当にそのとおりなわけです。(資料提示)それで、これですね、市の方にずっと案内いただいたときに、こういう破片が、結局、プロペラががらがら回って、大学のひさし、屋上のひさし、これがりがり、もうあっちこっちに飛んでいるわけですよ。こういうのがぼろぼろ落ちているわけです。それで、ドアに当たってドアを破ったりしているわけですよね。だから、私は、本当にたまたま当たらなかっただけで、もっと大きいのもあるんです。それから、ヘリコプターの部分、その部品がもう飛んできて、そのアーチの門のところ壊してしまっていると。あれにもしまともに当たっていたら命ないですよ。だから、たまたま当たらなかっただけで、もう奇跡だと、これは、そういうふうに私は思いました。
そして、こういうことというのが、結局、日常的にそういう危険な状況というのはあるというのが実態で、今回お会いしました宜野湾の伊波市長さんが、普天間というのは危険極まりない欠陥飛行場だというふうに言っているわけです。今回落ちたこのCH53D、さっきもお話ありましたけれども、もう大変古いもので危険なんだと、もうみんなそういうふうに言っているわけですよ。ところが、本当はこれ、一刻も早くそういう問題も解決しなきゃいけないのに、現実にはその危険なヘリコプターが毎日訓練続けていて、夜間飛行も含めてやっていると。
しかも、昨日、我が党の穀田議員の質問の中でも触れていますけれども、この六年間だけでもこの普天間でのヘリの訓練回数というのは、減るどころか増えていると。市が数えているんですね。一日平均で六十四回だったのが百五回まで、一日平均ですよ。多いときには百四十何回だという話になっているわけです。一日百四十九回も飛ぶなんという話は、もう想像しただけで大変な事態になっているわけです。そして、しかも事故後、これまで百回を超えるような、それこそ停止の要求にもかかわらず、百回を超えるような飛行が、米軍機が続けているわけです。こういう形で市民に不安と恐怖を与え続けてきている。
このことに対して、次、茂木大臣、どのようにお考えでしょうか。
○国務大臣(茂木敏充君) 御指摘いただいた点につきましては、先日、私が沖縄国際大学を訪れたときも同趣旨の話、市長の方からもいただいたわけであります。そして、実際にあの事故の現場を見まして、地域の置かれているあの状況につきましても改めてその危険性感じたところでありまして、この危険の除去のためにも安全管理の徹底、これは必要でありますし、同時に、基地の移設、これを更に急いでいかなきゃならない、こういう思いを大変強くいたしました。
○紙智子君 結局、このSACOの合意に固執して政府がこれまで進めてきたというのは新基地の推進、そして今もお話ありましたけれども、移設の問題ですよね。普天間の危険性については、その危険性そのものは、今言ったように、減るどころか増えているわけで、むしろ拡大してきたわけです。その挙げ句が今回の事故なわけですよね。やっぱり移設するというまで結局この状況というのは我慢せいということなんですか、地元の人に対して。それまで放置するということを言っているんでしょうか。外務大臣。
○国務大臣(川口順子君) 普天間のその周辺の方々の御不安、これは大変に大きなものがあると思います。この不安を一日も早く解消するということが政府にとって取り組むべき大きな課題であるというふうに思っております。
これにつきましては、いろいろな経緯を経て、平成十一年の暮れに閣議決定が行われているわけでございまして、これをするに当たって地元の地方公共団体の方々と緊密に連携を取りながら、協議をしながらここまで来たわけでございます。これを一日も早く実施をして、普天間の周辺の方々の御不安を解消するということに最大限の努力をしたいというふうに考えております。
○紙智子君 今回、地元でお話を伺って改めて思ったんですけれども、四十五年前に石川市立宮森小学校ですね、ここに米軍機の墜落事故がありました。で、大臣御存じだと思いますけれども、もう年配の県民の皆さんにとっては、それが一層やっぱり想起されて、思い出して、大変な不安を大きくしているというふうに思います。当時、児童で十一人含めて十七人の方が亡くなったと。そして、そのとき教頭先生だった比嘉昇一さんという方は、とにかくもう、今年、今も毎年欠かさず命日には祈りをささげてきているわけです。ほとんど当時、即死の状態で子供たちが運ばれてきたと。そして、爆風と火災でもう本当に言葉を失う、そういう悲惨な状況だったわけです。そんな中で、子供を助けられなかったという思いで、その思いが今もぬぐい去れないまんま来ているわけですよね。で、今回お会いした中で、年配の女性の方ですけれども、当時自分は中学三年生だったんだと。そういう中で、子供のお葬式に学年代表で参加したんだけれども、まだ焼けた後の煙やにおいがなくなっていない、残っている中でお葬式に参加したということを思い出しながら、もう涙が止まらないわけです。
そういう、今回の事故で、ことがまたこうよみがえってきていると。一層不安と恐怖を駆り立てているというわけです。県民にとって、やっぱりそのことの安全対策とかいうんですけれども、一番の安全は何かというと、やっぱり基地がなくなることだと、飛行機が飛ばないことだと。これに外務大臣はどういうふうにおこたえになるんでしょうか。
○国務大臣(川口順子君) その今おっしゃった方のお気持ち、あるいはそういったことを直接に、あるいは間接に触れられた方々が今回の事故を見たときにどのように思われたかということは、本当に私は強くその気持ちについてはもうよく、よく分かりますというふうにしか申し上げることができないんですけれども、なかなか難しいことでありますけれども、我が国にとって、我が国の安全保障、日米安保体制を基軸とする安保、安全保障ということは重大な、重要なことであります。そして、そのために我が国に施設・区域がある中で、特に沖縄県においてはその七五%が集中をしているということで県民の方には大きな御負担をお掛けをしているという現実がございまして、これについては強く認識をいたしております。
政府といたしましては、この負担をどうやったら少なくしていくことができるか、そしてまた、この負担が小さくならなければ日米安保体制の効果的な運用というのもできないわけでございまして、そういったことを考えながら御負担を少しでも減らしていく、最小限にしていくということを目指して日夜努力を重ねていきたいと思っております。
○紙智子君 そういうことを聞いているんじゃないんですよね。一番の安心というのは、やっぱりなくなることなんだと。それにどうこたえるかということを私聞いたわけですよ。
それで、その関係閣僚会議の中身に基づいて今その事故の原因の徹底究明だとか再発防止だとかそういうことを言われるわけなんですけれども、じゃ、それは日本政府自身が責任持ってそれやるということなんでしょうか、調査を含めて。
○国務大臣(川口順子君) このヘリコプター、これの事故の徹底的な原因の究明、そしてそれに基づいて再発防止策を作っていくということは重要なことで、大事なことであります。日本政府として、これを行うために日米間で事故分科委員会を設けまして、これについてこの中でこれは日米協力をしながら徹底的に明らかにしていくということで考えております。
○紙智子君 地元の方たちの目からは、やっぱり本当に、本来でいえば日本政府自身が独自にそういうことをアメリカ任せじゃなくてしっかりやるべきだと、そういう目でごらんになっていますし、いつまでもアメリカ任せにしていたんじゃ少しもその問題についても解明されていないということもおっしゃっています。やはり日本政府自身がそのことに対して責任を持って、調査も含めてやるべきだというふうに思います。
私、今回いろいろな方からお話聞いたんですけれども、例えば普天間第二小学校の先生の方、お話しになっていましたけれども、グラウンドで体育の授業をしていると、小学校一年生担当しているそうなんですけれども、そうすると林の方からもういきなりごおっと物すごい音で爆音が聞こえてくると、そしたら子供たちはびくっとなるというんですね。本当に不安に思っているわけです。いつ落ちるんじゃないかと、そういう不安を持っていたわけだけれども、実際に今回事故が起きて落ちたと。このことが与えている影響というのは非常に大きいショックを与えているというふうに言っています。
それから、ごらんになっていると思いますけれども、今度、宜野湾市の志真志小学校というんですか、ここで小学校の緊急アンケートがされましたよね。その結果について出ていますけれども、その中では多くの子供たちが、事故が気になって眠れない、それから食べられない、それから勉強できない、それからヘリが落ちないか心配だ、お風呂に入っているとき心配だと、こういうふうな気持ちで落ち着かないということがアンケートの結果からも表れていて、こういうやっぱり子供たちの不安な状況というのは一刻も早くこれ解決しなきゃいけないというふうに思うんですよ。
やはりそのためには、本当に県民が願っているのは飛行機を飛ばさないことだし、基地の閉鎖だし撤去なんだと、この皆さんの願いにこたえる意思はおありでしょうか。
○国務大臣(川口順子君) 今委員がおっしゃったようなその小学生のアンケートに出た結果、あるいは県民の方々の気持ち、これについては十分に認識をいたしておりますし、一歩でもその住民の方々の気持ちが前に進むような、そういう努力を私としてはしていきたいと思っております。
他方で、先ほども申しましたけれども我が国の安全保障、安全保障というのはすべての日本国民にとって重要な事柄でございます。このためにどのような体制を持つかということは、これは忘れることができない、これを全く捨象して考えるわけにはいかないことでありますということを先ほど申し上げたわけでございまして、ただ、そのためのその御負担が施設・区域が七五%存在をしている沖縄県民の方にとりわけ大きく掛かっているということを十分に認識をして、そしてそういったその負担が最小限になるように政府として努力を日々重ねていく、そのために全力を尽くしていくということが先ほど申し上げたことでございます。
○委員長(木俣佳丈君) 時間でございます。
本日の質疑はこの程度にとどめます。
本日はこれにて散会いたします。
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