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■59回目の8・15――遠い日の戦争、遠い国の戦争
たとえば、朝の新聞にこんな記事が載る。
【バグダッド=堀内隆】イラク駐留米軍は18日午前、中部ファルージャを空爆した。国際テロ組織アルカイダの関係者で、外国人の拉致・殺害事件に関与したとされるヨルダン人のザルカウィ氏を狙った攻撃とみられ、ロイター通信は地元病院の話として女性と子供を含む12人が死亡したと伝えている。(本紙7月19日付最終版)
これを読んで、私たちは「女性と子供を含む12人」にどれだけ思いをはせるだろうか。
引きちぎられ、血まみれとなった最期の姿。妻や子を、家を失った遺族の悲しみと怒り。砕け散った将来の夢。
暮らしや健康についての記事ならば身近に引き寄せ、共感したり参考にしようとしたりするだろう。だが戦争の悲惨、しかも遠い外国の……となると、視線は記事の上を滑っていく。
戦争体験があれば、あるいは体験者が身近にいれば、12人の悲劇を考えてみるかも知れない。米兵の側にも多くの死があることを思うかも知れない。
いや、20世紀の前半に日本が中国や東アジアで行った戦争のことを思い起こすことも、もっとたやすいに違いない。
しかし今や、日本の人口の4分の3が戦後生まれだ。戦争を考える手掛かりとしての1945年8月15日は、私たち日本人の意識から確実に遠ざかっている。
それと反比例するかのように、戦後長く封印してきた軍事にかかわる問題が正面から議論されるようになった。有事法制にとどまらない。イラクに自衛隊を送った小泉首相は、憲法9条を改正して自衛隊を「軍隊」にしたいと説く。経済界は武器輸出3原則を緩めよと声高だ。
世論調査によれば、自衛隊が外国で戦争できるようになることに国民の圧倒的多数は反対だ。それでも、米国との同盟の下か、国連の傘の下かといった違いはあれ、自民、民主両党が自衛隊による軍事的活動の拡大を唱える時代だ。
核の拡散やテロの脅威を前に、日本は冷戦時代のように安閑とはしていられない。確かにそうした面はあろう。
しかし、今の空気を心配する声は自民党のなかにもある。「皆が一つの方向へ走るその先が深い崖(がけ)になっていないかどうか。立ち止まり、それを見きわめようとする人がいなくて大丈夫か」と語るのは、幹事長代理の久間章生氏だ。幼い日に防空壕(ごう)に逃げ込んだ記憶を持つ63歳。戦争の手触りを知る元防衛庁長官ゆえの戸惑いなのだろう。
近年の変化は、日本が戦争や軍隊に対するアレルギーを本気で捨てたことを意味するのか。それとも、ただ鈍感になっただけなのか。そう問われて、戸惑う人は少なくあるまい。戦争とは何か。その悲惨を想像する力を欠いたままでは、答えが出せないからだ。
日本はこの59年間、直接に戦争とかかわることがなかった。その代わり、安保体制に頼るあまり、世界の戦争を米国というフィルターを通して見たり、考えたりしてきたのではないか。
朝鮮戦争もベトナム戦争も東西冷戦も、米国の戦争だった。アフガン戦争への支援も、イラクへの自衛隊派遣も、何より米国への協力の証しである。
そんな視点に慣れてきた私たちメディアの責任もあるだろう。たとえば米国が介入していないスーダン内戦などは、死者が何万人と言われながら、なかなか視野には入らない。
遠ざかるみずからの記憶。そして米国というフィルター。その結果、この戦争、あの戦争のそれぞれの意味やその悲惨さをみずからの頭で考えることの大事さを忘れてこなかったか。
戦争が誰を殺しているかを考える。空爆という手段が可能になってから、犠牲者のなかに一般市民が急増した。国際法の専門家たちは、その割合が第2次大戦で50%程度、朝鮮戦争を経てベトナム戦争で90%以上に達したと推計する。
死傷者だけではない。国連機関によると、世界の難民は約1700万人にのぼる。大半が戦火に追われた人々だ。
5年前のコソボ紛争時、空爆下のベオグラード郊外の難民施設でセルビア人の中年夫婦に会った。長いユーゴ内戦で幾度も家を捨て、そこにたどりついた。妻は涙をこらえて語った。
「もう以前の生活には戻れない。せめて子供たちにはすてきな暮らしをさせてやりたい」
私たちにとって遠い日となった戦争の悲惨は、遠い国で今も続く。
無残に踏みにじられた人生の一つ一つを想像する感性を身につけること。それは、日本がどんな形であれ国際社会で役割を果たそうとするなら、最低限の責務ではなかろうか。
長く戦争にかかわらなかった幸運とともに、戦争から目をそらしてしまうことの危うさを、きょう考えてみたい。
http://www.asahi.com/paper/editorial20040815.html