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社説:
終戦記念日 世界の平和作りに参画しよう
今日は59回目の終戦記念日だ。これほど長い間国内平和の中で終戦を考える日が続いていることをまずは誇りに思う。
あの「日本のいちばん長い日」1945年8月15日を現実の記憶にとどめている人は3000万人を割りこみ、知識としての終戦の日しかない人口がそろそろ1億人になろうとしている。毎年この記念日に考えなければ、はるか遠い記録として歴史の中に埋没してもおかしくはない長い時間がたった。
終戦の日から59年さかのぼると明治19年、伊藤博文初代内閣総理大臣の時代である。その時から終戦の日までの間に日本が戦ったあらゆる近代戦争が始まりそして終わった。それと同じ長い期間われわれは二度と戦わない誓いを守り、その見返りとして豊かさを作り上げ享受してきた。ここまでは実に賢い選択であった。
だが今その賢い選択肢はわずかながら揺らぎ始めている。その理由はかつて長い戦いに倦(う)んで平和を求めたように、平和に飽きて戦いを求め始めたのかもしれない。賢い選択がもたらした日本の平和と繁栄の陰に実際にははなはだ危険で貧しい同じ地球人がたくさんいる現実を放置できなくなったからかもしれない。それは人道的観点からだけでなく、貧しい現実の放置がテロリズムと結びついて豊かな社会を危険に陥れる実質的な弊害が予知できそうになってきたからでもある。
冷戦の崩壊でやってきたグローバリゼーションにより、米国のフィルターを通して日本にも世界平和の実現のために積極的に行動するよう要請があるためでもあり、それに応えることが世界で生きていくための日本の責務ととらえる考え方が強まりつつあるせいでもある。米国との関係だけでなく独自に日本の新しい生き方、傍観主義や一国平和主義からの脱却を模索する機運が醸成された結果と見てもいいだろう。
◇合意形成の過程が大事
テロとの戦いは9・11事件からアフガン戦争、イラク戦争と続きこれで終結する保証はない。21世紀を通しての長い長い戦いに深化する可能性も否定できない。そうした展望に対して無防備でいいはずはない。国家間の戦いを前提にした日本の平和主義体制にも修正の必要は出てきている。
それは国内での有事体制と危機管理だけでなく、国外での海賊対策や海域防衛の次元から中東地域での民主主義体制構築といった壮大な実験まで、内容も場所も特定しにくい広範囲な活動に及ぶ。
一方で世界の構造変化に対応する米軍の世界的な再編は、当然東アジアの米軍展開の再配置に及び、必然的に自衛隊の再配置、任務の変化をもたらそうとしている。米軍との共同作業になるミサイル防衛(MD)の導入によって自衛隊の全面的な編成替えが当然視されている。自衛隊内部の戦術変化とみて済まそうとしているが、それでいいのか。米軍との切っても切れない軍事関係が固定化する過程に、より深く踏み込んだと理解すべきではないか。
それにしてはサマワの自衛隊が小泉純一郎首相の米国での一言で多国籍軍に組み込まれたように、MDも説得力のある説明で合意を取り付けた上での決定とはとても思えない。現実の変化に適応しているだけであり、国のあり方という原点の見直しをあえて怠っている。そもそも政府は一度でも国民にそういう世界の構造変化に適応しようとしているという形での問いかけをしてきただろうか。
日本が世界の平和構築のために受け身でなく積極的にかかわっていくという合意は果たしていつどこで、誰によってなされたのであろうか。あるいはまだなされていないのだろうか。湾岸戦争後、機雷の掃海、PKO参加、アフガン戦争への洋上支援、イージス艦派遣、イラクへの復興支援部隊派遣、そしてその多国籍軍編入とそのつど個別行動の是非の判断を積み上げてきた。今では自衛隊の海外活動が定着しつつある。だがその基本になければいけないテロとの戦いも含めた「日本が積極的に世界の平和構築に参画する」という合意の有無が判然としない。
戦力の不保持と国の交戦権を否定する憲法の改正をしないまま、自衛隊の海外派遣までできるようになってしまった。それでいいのだろうかとは誰でも思う。したがって憲法改正の論議は野党民主党からも提起されている。どういう国でありたいのかがその根幹になければいけない。
◇もう一度外交努力を
世界の平和には貢献すべきなのである。その具体的方法として米国追随もひとつの考え方だが、国連安全保障理事会の常任理事国になって和平の枠組み作りに恒常的に関与する地位を真剣に求めていくべきではないだろうか。いつまでも国連分担金の2割近くを負担し続けるだけで、発言と意思決定への参画の場を持たないのは世界に対してかえって無責任ではないだろうか。
ドイツと共に連合軍の敵国として国連から監視対象に位置づけられた日本が60年近くを経て、平和憲法を持ったままで常任理事国に入ること自体、国連の歴史を変える。戦争を放棄した国が世界の平和に関与する新しい概念を人類史に送り込む意気込みが必要ではないか。当然それはイラク戦争で無力感を味わった国連の大改革に結びつく衝撃波になるだろう。米国の行動に振り回され戸惑う世界が次の時代への光明を見いだす契機にもなる。幸い12月には国連改革の有識者委員会が報告を出す。
実現するための外交努力や内外での合意形成、集団的自衛権や武力行使などでの理論的な整合性確保、政治面での動機付けなどに大きなエネルギーが必要だ。だが59年たった今だからこそ費やす価値のあるエネルギーではないか。
毎日新聞 2004年8月15日 0時35分
http://www.mainichi-msn.co.jp/column/shasetsu/news/20040815k0000m070130000c.html