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米軍ヘリが沖縄国際大学さ落ちたらすい。
落ちるって言葉はおらには禁句だったんだ。エリート志向の馬鹿で主体性のなかった中学生まではな。失恋すてから急に左翼さなった。なんでか?彼女がブルジョワ志向でおらより頭のええ学校さ(学校群制度の前だ)行ったから。馬鹿には冷たかったんだな。そすては、おらの東北なまりさ嫌気がさしたんだべ。なんでか。いなかっぺ、っておらが呼ばれてるのを彼女がどうも察知すたらすい。客観的に見ておらを好きだということは(本気だったんだよ)、いなかっぺを好きだ、っつことで、「あんたも好きねえ。あんないなかっぺのどこが好きなんだべ」といわれて(これは東京の話だ)、おらを振ったんだべなあ。
んで、沖縄は東北とは状況が非常に似ている。
すでに白髪三千丈さ到達すかかってるはずの(生きてればの話だ)おらのもと彼女のことは別にすて、−−−註、彼女はおそらく大会社の社長夫人だべな、生きてれ。、おらは一介の乞食同然だ−−−−、沖縄では民族ブルジョワジーが自己の権益ば守るために本土の大和系ブルジョワジーと結託すて米軍ならびに自衛隊の、実質的な暴力支配が為されているところだ。
ほんで、こいつらが何をすてるか、というと、沖縄では那覇市では十貫寺という色町があんだ。ここさ米軍(白人)専用のホアハススと日本人専用のそれがあった。復帰前はここさ日本人がよぐパスポートまで作ってでかけてきてたんだ。相場は日本人で10ドル(1ドル360円のときだ)米軍向けは、ほら、コザとかよう、どこさもあった。地元の連中は那覇ではだいたい桜坂(といってたな)さでかけてクダまきにゆぐ。
ほんでもって沖縄の人々は、昼が熱いべな。灼熱なんだども、んでもよ、風はあるからクーラーはいらねえ。三十年以上も前の話だども、首里のほうさ行ってみな、むがすは沖縄は泥棒がいねがったんで戸ば閉めねで寝てたんだよ。そのかわり首里ではハブが家ん中さ入ってきてよう、酔っ払って寝てるとそのそばば通ったときにたまたま寝返りば打たれてそのままハブが窒息死すたんだ。おらではねが。人の話だ。んだども押入れの布団ば出すときにハブがゴロゴロ落ちてきたなんてのは実際にあるだよ。
ま、そういうわけで(?)、泡盛ばよぐ飲む習慣があるだ。んだから、どこで飲むかが問題だ。問題はここからなのだ。
地元は桜坂でやる。仕事が終わってからまず風呂さ灰って夕飯ば食う。ほんで一休みだ。それから夜中の10時、11時くらいから人ば誘って桜坂さでかける。一次会ばやる。これは那覇では宮古島の悪しき風習たる「お通り」はやんね。むがすはよぐホワイトホースが主流で飲まれてた。カラオケが始まる。なんで沖縄でカラオケか?ヤマト式か?つっと違う。沖縄民謡だ。オラの好きだったのは「いちゃればチョーデーなぬへだてのアンガー」とか、「なりやまアヤグー」(これは宮古島)、那覇の色町の「西武門節」(ニシンジョウブシという、これはがんチョーフルガンチョーチャンナギレ、という悲しいリフレインが哀愁ば誘う)、豪華なのはやっぱすい「のぼり口説」(ヌブイクドウチ)。おら好きだからすぐさのぼせて(あんがつくすて、あがすけさなってただよ)踊りだす。すると指笛が始まりおらを乗せるだな。
これが本土の商社系さなると松山の高級クラブだ。こっだらとこさゆぐと、現地の泥臭さはつたわらねえ。偉そうにすては、琉球美人の見本みたいなおなごばママさんさすて、舞踊まで出すから、こりゃどうも権力シャン好みだな。
つうことで一次会が終わるのが大体夜中の一時。ほんで次さゆぐ。ここまでは「風営法」の許される範囲で、まだ次の店が入れてくれる。二次会からは個人的な話しさなる。ほんでもって朝の二時三時さなる。ほんで終わりかと思えば、んだな、そろそろ腹も減ってくるけんど、まだ話し足りねえ、んで誰かが「おらのゆぐ店さあびゃあ」つうてそごさゆぐ。すると店は当然しまってる。ほんでその人は足でドアば蹴る。すると開くんだな。「なんだ、あんだかー」と言ってママが戸を開ける。個人のための個人の店だ。個人的にあんだをお待ちすてますた、ってな顔で迎えるけど、中には何人もそっだら客が居る。
ほんで朝の五時に店ば出る。腹が減ればどこそこの屋台で沖縄ラーメン(フーチバ、二つ葉、つまりよもぎ入り、薬効大なり)ば食う。
ほんでタクシーさ乗って我が家さかえる。
そのため、当然のごとく睡眠時間が出勤時間さくい込む。んだから朝八時におらが出てきても現地では9時半ごろ出てくる。9時さなっても出てこねから、なんで遅刻すんだべと思って電話ばいれると、今風呂さ入ってるつうことだ。
そういうわけでアメリカ兵も自衛隊兵もみな同ずだ。
滞在期間が長ければよう、こういう自分の店ば彼らなりにみつけんべな。
んで二日酔いのうちさヘリば運転せにゃなんね。
戦闘機さのんなきゃなんね。
車の運転のごとくはんがねもん。
ゆんべのアンコはむじかった(これは鹿児島弁でかわいいということ)なんて思い出すてると、空ば飛んでることば忘れてすまう。それほどに沖縄の子はかわいいんだ。なんでか?純粋なんだな、これが。おらはそういう体験はねがったんだが、大体ヤマトから転勤すてきた奴は恋さ陥る。ほんでもって独身ならば、結婚ば真剣に考える。すっかす、「島の女」とは結婚させねえ、なんてヤマトンチュウーの親は大反対。アメコウもおんなずだ。ほんで子供まででけてもよう、そのままほったらかすて、本土や本国の女子と結婚だ。まるで蝶々婦人だ。ほんでもみなけなげな女子が多い。耐えて生きてる。これは30年も前の話で、本質的には沖縄は解放されてねえ。その反対に戦時下という矛盾が第二次大戦で繰り返されたのとおんなずで、犠牲者の数こそ今は少ねえけど、これが同じ日本の現実とすて受け止めねばなんねえ、痛苦な事実だ。
んだからおらは敗戦記念日を前にすて、声を大にすてゆう。
沖縄の人民よ、今こそ決起すて、自らの平和を取り戻せ。
日米安保条約反対。
日米両軍はただちに沖縄から出てゆけ。