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ナジャフ
蜂起に火を付けたのはブッシュであってムクタダ・アル=サドルではない
ミラン・ライ
ZNet原文
多数派のシーア派に対する攻撃
米国は、イラクの人々の大多数に対する戦争に乗り出した。最近の蜂起は、完全にイラクを支配したいというブッシュ政権の欲望が引き起こしたものであり、シーア派反対部隊が戦闘性によるものではない。米国は多数派のシーア派を服従させようとしている。
この原稿を書いているまさにこのとき、米軍はシーア派イスラム教徒にとって最も神聖な場所である、イラク南部のナジャフにあるイマーム・アリ・モスクを取り囲んでいる。8日間にわたってムクタダ・アル=サドル師の部隊と激しい戦闘が行われ、何百人もが死んだと伝えられた後である。ナジャフ以外でも、「米軍の空襲と地上戦で[住民の多くをシーア派が占める]イラクの都市クートでは72人が死亡し150人が負傷した」とイラク暫定政権は伝えている(BBCニュース・オンライン8月12日)。
「英軍も、アマラとバスラで激しい戦闘を行なっている・・・・・・英軍は、南部の町アマラのシーア派戦士たちに火曜日[8月10日]一夜にわたる攻撃を加え、10人を殺害したと民兵は述べた。アマラの病院の職員たちは、民間人4人も死亡したと語った」(テレグラフ8月12日)。
「目的はアル=アマラーを再奪取することであった」と英軍報道官スパイク・ウィルソン中隊長は語った(「英軍は10人を殺害」タイムズ8月12日)。制圧がすべてである。
次の場所:バグダード、サドル・シティ
「暫定首相(ママ)イヤド・アラウィにとって最大の問題は、首都で自分の権威を確立することである。サドル・シティと呼ばれるバグダード北東のシーア派居住地域は、1980年代のベイルートにますます似てきている。米軍戦車と戦闘機が蜂起部隊と戦ったため、先週だけで数十人が死亡した」(テレグラフ8月12日)。
テレグラフ紙のエイドリアン・ブロムフィールドはサドル・シティを訪れて次のように語る。「米軍により民間人が殺されているというのは疑いの余地がない。病院の手術室にできた血だまりの中で、昨日、医師たちは6歳のアリ・フセインの命を救おうと懸命だった」----米軍戦車の中にいた兵士たちに「お腹を撃たれていたのである」。「今日だけで少なくとも20人の死者が運び込まれた」(テレグラフ8月12日)。
サドル・シティの店員メフディ・ヌーリは次のように言う。「アメリカ人が我々に勝利することは決してできない。アメリカ人たちは普通のイラク人のことを怖がっている。だから我々を忌み嫌っているんだ。我々も奴らを怖がっている。だから我々は奴らを嫌う。こうした状況で、目にすることができるのは、死、さらにまた死、それだけだ。我々は、アメリカ人に立ち去るよう懇願している」(テレグラフ8月12日)。
アラウィ:ワシントンのお小姓
ナジャフを攻撃しているのは米軍である。「イラク政府軍も参加しているが、それは主として政治的理由からである----その大きな理由の一つは、この作戦がイラクの暫定首相イヤド・アラウィの全面的支持を得ていることを示すことにある」(ジョナサン・マーカス、外交特派員、BBCニュース・オンライン8月12日)。
「暫定首相イヤド・アラウィはサドルのマハディ軍を完全に破壊すると確約している」(テレグラフ8月12日)。けれども、「二人のイラク副大統領の一人でシーア派最大党ダーワの党首であるイブラヒム・アル=ジャファリは、昨日[8月11日]、米軍はナジャフでの戦闘を止め、イラク治安部隊に仕事をまかせるべきであると述べた」(ガーディアン8月12日)。
ジャファリは、今年はじめ、「世論調査で最も人気のある政治家のトップだった」(FT8月12日)。
蜂起を開始させたのは米軍であり、サドルではない
「バグダードのある外交筋は昨日、サドル師がこの4カ月で二回目となる流血の蜂起を率いた理由がわからないと語った」(「英軍は10人を殺害」タイムズ8月12日)。メディアの報道は、暴力の原因を曖昧にするよう全力を尽くしている。
事実は単純である。最初の「サドル師の蜂起」と同様、この暴力を「引き起こした」のは戦闘的シーア派ではなく、米国だということである。
今回の最初に戻って8月2日、「イラクの米軍は昨日[8月2日]2つのイスラム系政治グループに攻撃を開始し、バグダードで影響力の強いスンニ派聖職者を逮捕し、クーファに拠点を置く急進的シーア派ムクタダ・アル=サドル師に従う者たちとの2カ月にわたる停戦を破った。バグダッドにおけるサドル師の報道官、シャイフのマフムード・アル=スダニは、記者団に対し、米軍兵士達がサドル師の家を取り囲んだと述べた。ロイター通信は、米軍兵士がナジャフの隣にあるクーファのサドル師が住む地域にやってきて、サドル師の民兵マヒディ軍と交戦していたいう目撃者の言葉を伝えている」(FT8月3日)。
興味深いことに、後に否定されたこともむなしく、最初の報道から、作戦の目的がサドル師の拘束にあったことははっきりしている:「米軍は、昨年ナジャフでライバルの聖職者を殺害したこととの関係でサドルにイラク政府の逮捕状が出ていると語った」。インディペンデント紙もまた、「今年前半の休戦交渉の再、イラク政府関係者はサドル師は逮捕されないと語った」と述べている(インディペンデント8月3日)。またもや、嘘。
数日後、アラウィ政府[ママ]の上級顧問サバ・ハディムが、間接的に、サドル師の逮捕は優先事項であることを確言した:「サドル師が逮捕されるかどうか聞かれたハディム氏は『我々は彼がどこにいるのか正確には知らないが、あらゆる犯罪者と戦う。どれだけ巨大であっても』と述べた」(ガーディアン8月7日)。
8月2日の侵入作戦のあと「数日にわたり緊張が高まった。その間、サドル師の支持者たちはサドル師の上級側近数人の逮捕に対抗して18人のイラク人警察官を拘束した」。ナジャフで全面的な暴力が勃発したのは8月4日である(ガーディアン8月6日)。
一方、「ムクタダ・アル=サドル師に関係している戦闘的なイラク人たちが英軍に聖戦を宣言した」のは、8月5日になってからのことであった。バスラでは、8月3日に、英軍がサドル師の支持者4名を拘束していた。戦闘が起きたのは8月5日、「4人を釈放せよとの期限が正午に切れた後である」(テレグラフ8月6日)。
この一連の経緯は、春の「サドル派蜂起」と極めてよく似ている。そのときも、「米軍主導の占領当局がサドル師の新聞を閉鎖し、重要な側近を逮捕し、穏健なシーア派指導者殺害をめぐってサドル師逮捕を求めたあとで」、「サドル派蜂起」が触発されたのである(BBCニュース・オンライン6月16日)。
8月5日、サドル師のアマラにおける報道官は、極めて正確に、この最近の暴力について、「占領軍の行為によって停戦は終わりを告げた」と述べている(テレグラフ8月6日)。
サドル師は停戦を呼びかけている
これらすべてにもかかわらず、同じ日、「サドル師の報道官は、サドル師の部隊と米軍との間で6月に合意された停戦を復活させるよう呼びかけた」(FT8月6日)。
ナジャフ市長アドナン・アル=ズルフィはこの呼びかけに対して「妥協はない。さらなる停戦の余地もない」と応えている(タイムズ8月7日)。
米国の外交官は「この戦闘は、我々が勝つことができると思うことの出来るものだ」と述べた(テレグラフ8月7日)。
もはや停戦はない。
サドル師が停戦を求める理由は、自分も政治的プロセスの一部として加わりたいからである。最初の停戦の一環として「サドル師はナジャフ出身でない部下たちに『任務を果たす』ために故郷に戻るよう呼びかけた・・・・・・[そして]来年の選挙を戦うために政党を設立すると発表した」(「サドルは民兵にナジャフを立ち去るよう命じた」BBCニュース・オンライン6月16日)。
バグダードにいるBBCのデュメーサ・ルスラは、ナジャフ住民でない戦士たちにナジャフを撤退するよう命じたのは「将来のイラク政府で地位を占めるための暫定的一歩」かも知れないと述べている。サドル師は「支持者に対しイラク治安部隊を攻撃しないよう促し、また、最近結成された暫定政権は『統一イラク建設』の機会であると述べた」(「サドルは民兵にナジャフを立ち去るよう命じた」BBCニュース・オンライン6月16日)。
サドルは、もはや、暫定政権を米国の傀儡と呼んではいない。彼は、軍事的動員ではなく政治的動員の準備をしているのである。
一方、アラウィ政府とブッシュ政権が恐れて破壊したいと思っているのは、まさに、多数派であるシーア派の政治的な力である。サドル師を拘束しようと侵入攻撃をしかけたおんもそのためである。ナジャフを侵略して何百人もの人々を殺しているのもそのためである。イラク全土でシーア派のコミュニティを攻撃しているのもそのためである。
米国の支配に対する脅威となっているのはサドル師の銃ではなく投票である。選挙(国会会議さえ)反対派が従うか粉砕されるまでは開催できないというわけである。
8月9日の戦闘で殺されたリー・オカラハン二等兵の遺体が翌週英国に戻ってくる予定である。彼の叔母マーガレット・エバンスは次のように言った:「我々はイラクにいるべきではない、というのが私のトニー・ブレアに対するメッセージだ。何故我々はイラクにいるのか?私のメッセージは、他の兵士たちを撤退させよというものだ」(テレグラフ8月11日)。
本記事を含む私のページの他の記事をウェブや集会等の配付資料で転載することは、転載者の責任で行なって下さって結構です。ただし、特に集会等の配付資料で使う場合、元執筆者の名前、訳者としての益岡の名前および「2004年6月に『ファルージャ 2004年4月』(ラフール・マハジャン著、益岡賢・いけだよしこ編訳、現代企画室、1500円)が出版され、2004年4月にファルージャで起きたことが目撃証言を中心にまとめられている」という記述を入れて下さい。
ナジャフ攻撃のニュースとしては、こちらをご覧下さい。
サドル師支持者の最初の蜂起の理由となった米軍/占領当局によるサドル師の新聞閉鎖については、『ファルージャ2004年4月』の中で、ラフール・マハジャンが、占領当局が新聞を閉鎖した理由は、武力抵抗を呼びかけているからでさえなく、「ただ単に、新イラク国防軍の採用志望者多数を殺した自動車爆弾とされるものが、実は、空から(したがって米軍により)なされたという、ある目撃者の証言を掲載したからである」と述べています。
アルジャジーラのバグダード支局に閉鎖命令が出されたこと、ジャーナリストを軍属させ、独立派ジャーナリストについては日本で拘束されたら「ほら見たことか、自己責任だ」などと卑劣な大合唱を行い、まともな報道を潰そうとしていることなどを考えると、とにかく現地の情報がイラクの人々/普通の人々の視点から伝えられることを何としても潰そうと占領者たちは躍起になっていることがわかります。「イラク解放」?
占領軍が停戦を破ったことについて、イラクでは、ファルージャにおける4月の前例もあります。4月10日に一時停戦が成立してから、停戦下ではファルージャのレジスタンスが油断しているだろうと考えた米軍がファルージャに侵攻してきたことが、土井敏邦さんの『米軍はイラクで何をしたか』(岩波ブックレット)に書かれています。
戦争の際、武力衝突の際にも法律やそれに準ずる規範的な規則はあります。合意された停戦を破ることは、そうした基本的な規則に対する違反ですから、米軍/占領軍が合意に違反してナジャフ侵攻を開始したことについては、技術的な意味で批判されなくてはなりません。そうした声すらマスメディアにはほとんど無いのは、憲法をそもそも無視している政府と見事に対応しています。
執拗に挑発を繰り返して、相手の反応を引き起こし、それを口実に使って侵略や虐殺を進めるというパターンもこれまで各所で繰り返されて来ました。たとえば、パナマの例。1989年12月米国がパナマを侵略する前、ジョージ・ブッシュ一世大統領とディック・チェイニー国務長官は、12月16日から17日に非武装の米軍兵士4人がパナマ国防軍(PDF)に手荒な扱いを受け、一人が撃ち殺された事件を、パナマ侵攻の理由としてあげています。
けれども、1年後、ロサンゼルス・タイムズ紙は、この事件の真相を次のように報じています。「実際には、この事件に関わった米国人は道に迷ったのではなく、また、武装していた。この一団は非常に重要な道路封鎖に車で近づき、PDFが車で立ち去るように命じたとき、全員がPDFに向けて中指をたて、卑猥な言葉を叫び、車で走り去ったのである。パナマ側が発砲したのは、その後であった」。
侵略のために都合の良い口実を引き起こすこと。「大量破壊兵器」やら「テロリストとの関係」やら「イラクに民主主義と自由をもたらす」やら、出たらめの情報を捏造し侵略の口実を強弁していたことと、共通しています。遡れば、侵略者は随所で、似通った卑劣な手段を使ってきました。トンキン湾事件。さらに日本軍の行為としては、たとえば柳条湖事件。
アラウィについては、こちらをぜひご覧下さい。イラクの人々のアラウィに対する評価の一端が伺えます。
「男女の性差までも否定する過激な男女平等教育の背景になっているとして、東京都教育委員会は十二日、「ジェンダーフリー」という用語を教育現場から排除することを決めた。学校での「ジェンダーフリー思想に基づいた男女混合名簿」の作成も、禁止する方針。月内にも各都立学校に通知し、二学期からの実施を目指す」という記事がありました(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040813-00000000-san-pol)。
イラクについて、「女性が解放された」とか「イラクが解放された」とか、「米軍の攻撃はイラクを解放するため」とか、全く何もイラクの状況について知らずに繰り返す日本政府の立場とぴったり重なっています。「女性は女性らしく(もちろんそういう人間の視点に沿ったかたちで)振舞うのが女性の自由と真の男女平等」といったことさえ言いそうです。
現在イラクの女性たちが生きなくてはならない状況については、来日したハナ・イブラヒームさんが8月12日の講演で紹介していました。その集会での質疑応答もご覧下さい。「男女の性差までも否定する過激な男女平等教育」を攻撃する人々と同じあるいは近いタイプの/立場の人々にとって、女性の「解放」とは、こんなことを意味するのでしょうか。
益岡賢 2004年8月14日
http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/places/iraq0408c.html