現在地 HOME > 掲示板 > 戦争58 > 575.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
百人斬り報道で、戦後に国民政府に戦犯として処刑された二人の青年将校の事件は、現在の私達にも警告を与えていると思います。そのことを書こうと思います。
一人の将校の遺書を前・後ともに読みましたが、隠し事があるようには思えませんでした。日本とチャイナがともに頑張るようにと書いてありましたが、これは本音でありましょう。もしも、無抵抗の者とか、捕虜を斬殺していたのであれば、最期にはやはり、国民政府に対して詫びる文章を書いたでありましょう。戦いにすでに負けた軍人であれば、勝者に対し、正直になったと思います。正直な気持ちがあの遺書なのでしょう。
しかし、ここで考えなければならないのは、大げさなでっち上げ報道をした記者だけに問題があったわけではないであろうと私は考えるのです。
確かに悲劇でありましょう。
私は、ここで、若者特有の大言壮語について言いたいのです。
二人は二十台の半ばでした。この年では、勢いが余っていて、落ち着いた発言が未だ出来ない年頃なのです。
二人は、周りの期待も大きかったでしょうし、又、煽てられもしたでしょう。戦時中であったから、なおのことであったでしょう。
そこで、彼等は、周りに大げさな発言をしたのではないだろうか? 大言壮語をしたのであろうと考えるのです。この事が、先に至って大きな不幸を招こうとは考えなかったことでしょう。
私自身のこの年頃の経験でも、恥ずかしい思い出が幾つかあります。しかし、平和な時代の事だから、大事に至らなかったのです。この年頃には私も周りに迷惑を掛けました。
しかし、今後、憲法改悪をされて、自衛隊が侵略枢軸の仲間入りをして行くと、隊員の若者の中から二人の様な悲劇が生じるかもしれません。
さて、国民政府の方では、本当に有罪であると思っていたでありましょうか?
そうであったかも知れませんし、無罪であると思いつつ、復讐したのかもしれません。
又は、政治宣伝効果を狙って利用したのかも知れません。それは解りません。
慎重に行動しなければなりませんね。
平和時には、問題とならないことでも、戦争の時には大きな問題になることがあります。
私は、自衛隊員に軽薄な行いをして貰いたくないのです。
遺書の中でチャイナに対し好意的な表現をしてありますが、これについて書いておきます。日本軍の将校達の中では、親中国の人達がかなりいました。それで、チャイナと戦うことに抵抗感を持つ人がかなりいたとのことであります。そういう人は石原莞爾だけではなかったのです。昔に、本で読んだ話なので、真実ははっきりしませんが、日華事変の時に部隊として、チャイナに行ったのであるが、全く戦わなかった部隊があったそうです。
部隊長が「我々は戦いに来たのではない。日本とチャイナは戦うべきでないから戦わないのだ」と言って、戦わせなかったそうなのです。
戦時中でも、日・中ともに平和を求める人達は大勢いたのです。私は、旧軍人や大陸で活動していた人達からお話を聞いております。
自衛隊員や若者の中から悲劇を出さないようにいたしましょう。
その為には、戦争国家に、侵略枢軸に加担せずに、平和憲法を盾にして、独立を護りましょう。日本人は私たちは、悩まずに明るく平和運動をいたしましょう。
2 81 +−