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(回答先: 折木9師団長(左)から3次隊看板を手渡される群長の松村五郎1佐(7月28日、青森駐屯地で)【朝雲新聞】 投稿者 hou 日時 2004 年 8 月 08 日 21:35:24)
劣化ウラン汚染隊員を増やしつつ、検証無きまま続く追加派遣。その目的は『軍隊でも文化交流』のパフォーマンスなのか。
かつてこの国は戦略的敗北の決定したレイテ島に兵士を送り続け、7万の英霊(現地人除く)を作り出した。
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http://www2.asahi.com/special/jieitai/TKY200408010190.html
仕上げの色塗りをする木村さん。「ねぶた師は100年勉強。休日は図書館などで文献を読んでいます」=青森市で
青森市に司令部のある陸上自衛隊第9師団の木村富美男准尉(53)は、ねぶた作りの職人(ねぶた師)だ。来春で定年退官するため、2日から始まる青森ねぶた祭での作品が現役最後になる。7日に祭りが終わると、8日に仲間たち約500人が3波に分かれて、第3次派遣部隊としてイラクへ向かう。勇壮なねぶたで送り出すつもりだ。
「持ち上げるぞ。せーの」。7月22日、青森港に面したねぶた小屋で木村さんが声を張り上げた。迷彩服姿の隊員約30人が、高さ3.2メートル、幅9メートル、奥行き7メートルのねぶたを担ぎ上げた。
「もっと前だ」「力を入れすぎて壊すな」。Tシャツ姿で首にタオルを巻き、身ぶり手ぶりで隊員を操る。10分ほどで、無事に台車に乗せた。
「ねぶた師には仲間を指揮する能力も求められる。そこは自衛隊だから、きちっとやるよ」
青森市出身。中学を卒業後、看板やネオンを作る会社に勤めたが、73年の石油ショックで仕事が激減し辞めた。74年、生活に困って入隊した。
自衛隊が海外に出ることなど考えられなかった時代だ。「大型トラックの免許を取れば次の仕事に生かせる」とすぐ辞めるつもりだった。
翌年、看板作りの経験を買われ、ねぶた制作に駆り出され、その後も手伝うようになった。ねぶた師になって今年で19年目になる。現在は、青森駐屯地の第5普通科連隊広報班に所属する。
19作目は「津軽統一 大浦為信」。津軽藩の基礎を築いた大浦為信の雄姿を表現した。仲間たちが派遣に向けて訓練を続ける中、毎日9〜12時間、制作小屋にこもった。
「地域にとけ込んで自衛隊を理解してもらうには、ねぶた作りも重要な任務。イラクでもねぶたを思い出して、元気に任務を果たしてほしい」
同師団は、2年前に余った材料で作った2メートル四方のねぶたをイラクに持ち込み、市民との交流事業などに使うという。
(08/02 06:04)