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(回答先: Re: 評価訂正:国旗国歌法は強制出来ない「君が代」とせよ! 投稿者 さすれば 日時 2004 年 8 月 06 日 12:32:18)
さすればさん どうもです。
> 作家の故胡桃沢耕史は、清水正二郎の名でポルノを書きまくっていたころ、「君が代を聞くと
>戦時中を思い出し、脳天に血が上って、鼻血を出したり吐いたりする」と語っていた。
死んだ親父が清水正二郎訳の『O(オー)嬢の物語』『ファニー・ヒル』とか隠し持っていましたね。
自伝的ポルノ小説(書名失念)もあって、内容はうろ覚えなのですが、清水正二郎はで肉を食べられない
と鼻血が出たりする「特異体質」だったらしい。戦争で食糧事情が悪くなって肉を食えなくなると母親
が不憫に思って魚の振りかけや佃煮とかを代用食にしようとしたのですが、どうにも我慢できずに
「肉が食える」の一点で中国(満州)に渡った様です。現地召集後の顛末は『黒パン俘虜記』に詳しい
のですが、戦後の一時期に司馬遼太郎と同人誌を出していたらしい。
司馬遼太郎も満州で現地招集され戦車部隊に配属されていますが、その時面識があったのか、あるいは
その縁で意気投合したのかもしれません。
司馬遼太郎は「本土決戦要員」として国内に転属されるので捕虜にはなっていませんが、その時の
ことを鶴見俊輔との対談でこう語っています。
司馬「わたしはね、戦後杜会をひじょうにきらびやかなものとして考えるくせがあるんです。こ
れは動かせない。それは自分の体験からくるんですげれども、わたしは兵隊にとられて戦車隊に
おりました。終戦の直前、栃木県の佐野のへんにいたんですけれども、東京湾か相模湾に米軍が
上陸してきた場合に、高崎を経由している街道を南下して迎え撃てというのです。わたしはその
とき、東京から大八車引いて戦争を避難すべく北上してくる人が街道にあふれます、その連中と
南下しようとしている、こっち側の交通整理はちゃんとあるんですか、と連隊にやってきた大本
営参謀に質間したんです。そうしたら、その人は初めて聞いたというようなぎょっとした顔で考
え込んで、すぐ言いました。これがわたしが思想というもの、狂気というものを尊敬しなくなっ
た原点ですけれども、「ひき殺していけ」と言った。
われわれは日本人のために戦っているんじゃないのか。それなのに目本人をひき殺してなんに
なるだろうと思いますでしょう。わたしは二十二歳か二十三歳ぐらいでしたから、もうやめたと
思いました。なんともいえん強烈な印象でした。つまり、わたしたちは、日本民族は参謀肩章を
っっている軍部の人問に占領されていたわけですね。それはやはり思想的な背景が強烈にあるん
で、集団狂気のなかからいえば、高崎街道を北上してくる避難民はひき殺していけという結論が
出るわけです。ぼくは猛烈に幻減した。これはマルクス思想に対しても、カトリック思想に対し
ても、思想の悪魔性という点で同じです。」
(「日本人の狂と死」鶴見俊輔『日本人とは何だろうか』)
これを読むと戦前の法体系では「有事立法」というのは想定していなかったようです。
>敗戦時に君が代を廃止し、誰もが歌える、たとえば「夕焼け小焼けの赤とんぼ」でも暫定的
>国歌とすべきだった。
個人的には「さくら、さくら」でいきたいですね。
さくらさくら
やよいの空は
見わたすかぎり
かすみか、くもか
にほひぞいづる
いざやいざや
見に行かん