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『亜空間通信』848号(2004/08/04)
【反日ブーイング済南事件(1928)の地で発生し敗戦記念日近し中国残留孤児成り損ねA少年の痛憤】
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転送、転載、引用、訳出、大歓迎!
猛暑、酷暑、炎暑、せめて、この亜空間通信の発行回数を減らしたいと毎日願うのに、次々に「問題が発生する。
本日(2004/08/04)も、日経朝刊、8面(国際1)に、かなり大きな、「反日だけではない日本代表へのブーイング」に始まる見出しの記事が載っていた。中国の済南で、サッカーのアジアカップ戦出場の日本チームと、日の丸を掲げたりするド阿呆のサポーターに、先日の重慶に続いて、激しい非難が集中したのである。
日経の記事の構成の仕方には、経済大国とやらの傲慢な中国見下しの論調がある。「反日だけではない」というのは、「内陸部」の貧しい民衆の現地政権への不満の反映があると言う見方である。日経の記事にはないが、日本軍は、重慶を絨毯爆撃した。済南は、もっと古い以下の事件を抱えている。
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http://www.tabiken.com/history/doc/H/H046R200.HTM
●済南事件 さいなんじけん
アジア 日本 AD1928 昭和
1928年(昭和3)5月,第2次山東出兵断行中の日本軍が,中国山東軍の済南(ちーなん)で同地を占領し,北伐途上の中国国民革命軍と衝突した事件。金融恐慌の中で成立した田中義一政友会内閣は,中国の国民革命が日本帝国主義の既得権益を侵すことを阻止しようとして,まず1927年2,000人の軍隊を山東省に派遣した(第1次山東出兵)。これはまもなく撤兵したが,1928年,北伐再開により,日本政府は再び多数の軍隊を派遣し,済南を占領した。そこに,国民革命軍が入城してきたため,衝突,市街戦となり多数の死傷者が出た。この事件で,日本政府は,中国人が日本人在留人を殺したとデマ宣伝し,軍隊を増派し(第3次出兵),中国北部一帯を占領,武力を背景とした交渉を行った。1929年妥協に達したが,このことは,中国民衆のナショナリズム感情をあおり,反日・反帝運動として燃え上る結果を生んだ。
〔参考文献〕白井勝美『日中戦争』中公新書
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私自身は、戦争中、北京にいた。1960年の夏、23歳の学生時代に、クラスの同人雑誌に書いた以下の習作、私小説に、「侵略者の子供」としての自覚を記していた。それを昨年の夏、わが電網宝庫で公開し始めた。原爆忌、敗戦記念日、毎年、「夏のお化け」の平和売人の商売が、薄味で続くのを、批判する意味でもあった。
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http://www.jca.apc.org/~altmedka/profile-boya00.html
1946年、北京から引揚げ船で送還された“少年A”の物語
03.08.19 (0) 時代の始まり
03.09.02 (1) 僕等は侵略者の子供達だった
[後略]
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本日から数えると、5日前には、阿修羅戦争57掲示板に、以下の投稿をした。
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絨毯爆撃で何万人も殺した重慶で「君が代」演奏する無神経
http://www.asyura2.com/0406/war57/msg/1174.html
投稿者 木村愛二 日時 2004 年 7 月 29 日 21:30:21:CjMHiEP28ibKM
(回答先: 重慶でサッカー日本にブーイング 背景に反日感情か (asahi.com) 投稿者 彗星 日時 2004 年 7 月 29 日 17:31:09)
絨毯爆撃で何万人も殺した重慶で「君が代」演奏する無神経な東洋鬼には呆れる。「君が代」は、天皇制フィクションの信奉者、半気違いクラブの歌にしするかない。しかも、もともとは、九州王朝の歌じゃよ。伊勢湾の海賊上がりの一族の歌ではない。
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これには、以下のように多数の「フォローアップ」があった。賛同者が圧倒的に多かった。
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同類? ×× 2004/8/03 23:23:10 (0)
Re: 絨毯爆撃で何万人も殺した重慶で「君が代」演奏する無神経 happyblue 2004/7/31 01:21:11 (0)
中国紙、アジア杯の反日ファンを異例の批判 usam 2004/7/29 23:21:52 (3)
日本のセキュリティー懸念(SBSオーストラリア)7/25 usam 2004/7/29 23:36:32 (2)
日の丸も廃止せよ:戦争中北京にいた日本人の実感なり 木村愛二 2004/7/30 08:29:48 (1)
まあまあ木村さん、薩長政権は先の大戦で天罰受けて、倒れたではないですか。 新世紀人 2004/7/30 12:40:38 (0)
激しく同意。 R0M 2004/7/29 23:00:06 (0)
以下は、個別の「フォローアップ」を、つなげたものである。
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同類?
http://www.asyura2.com/0406/war57/msg/1335.html
投稿者 ×× 日時 2004 年 8 月 03 日 23:23:10:QVkkDEqqKcOUw
(回答先: 絨毯爆撃で何万人も殺した重慶で「君が代」演奏する無神経 投稿者 木村愛二 日時 2004 年 7 月 29 日 21:30:21)
このページも木村さんご本人またはお仲間のページなんですか?全く同じ意見ですね。
http://revolt.cocolog-nifty.com/love/2004/08/post.html
日本人は「水に流す」ということをする。一見美徳のようだが、こんなことが全世界に通用するはずがない。
太平洋戦争中、空襲で大勢の国民を黒こげにされたことや、人類が人類に対して原子爆弾を使用したという差別的で野蛮な行為をも水に流し、米国の戦争に現在の日本政府は国をあげて協力しようとしている。そんな姿を見られていては、国際社会で馬鹿にされても仕方があるまい。
重慶でやっているサッカーアジアカップの試合前に「君が代」を流す無神経ぶりも日本ならではだ。ブーイングが起こるのは当たり前である。「君が代」は大日本帝国を象徴する歌である。60年以上も経ったので、大日本帝国の蛮行を中国人が水に流してくれるなどと考えるのは愚かしいにも程がある。いつまで経ってもこの程度の認識しか持てないのであれば、外国に多額の援助を行っても国際社会で名誉ある地位を日本が占めることなどあり得ない。
まさかとは思うが、重慶でのブーイングをナショナリズムの高揚に利用しようと政府は考えてないだろうな。しかし、コイズミをはじめとし、大日本帝国の流れを汲む反動思想家が多く集まっている自民党員達はそのように考えていても不思議ではないよな。こんな恥ずかしい奴らの口車に乗ってはならない。
2004.08.01 in 経済・政治・国際 | 固定リンク
Re: 絨毯爆撃で何万人も殺した重慶で「君が代」演奏する無神経
http://www.asyura2.com/0406/war57/msg/1216.html
投稿者 happyblue 日時 2004 年 7 月 31 日 01:21:11:BaRfZQX6fAfSk
(回答先: 絨毯爆撃で何万人も殺した重慶で「君が代」演奏する無神経 投稿者 木村愛二 日時 2004 年 7 月 29 日 21:30:21)
木村様
僕は木村さんの主張にはたくさん違和感を持って読ませていただいていますが、今回の貴殿の投稿には、大変共感しました。とりあえず満州生まれの母を持つ私としては、木村さんのご意見をみて単なる愛国主義者ではないと知って、少しほっとしました。
物事には主体性と、客観性の区別と連関のバランスが必要かなと思います。自分がすごいかどうかということから乗り越える勇気が必要かと思います。東京のとある集会で、直接チラシを受け取りましたが、健闘をお祈りしています。
中国紙、アジア杯の反日ファンを異例の批判
http://www.asyura2.com/0406/war57/msg/1187.html
投稿者 usam 日時 2004 年 7 月 29 日 23:21:52:QRnIivAbSTskw
(回答先: 絨毯爆撃で何万人も殺した重慶で「君が代」演奏する無神経 投稿者 木村愛二 日時 2004 年 7 月 29 日 21:30:21)
中国紙、アジア杯の反日ファンを異例の批判
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20040729i212.htm
【重慶(中国)=伊藤彰浩】中国で開催中のサッカー・アジアカップに関し、中国共産主義青年団(共青団)機関紙「中国青年報」は29日、反日的ファンの礼儀を失した行動を戒める異例の記事を掲載し、ホスト国の危機感を示した。
記事は日本対タイ戦(24日)について、日本人ファン罵倒(ばとう)やブーイングなど「中国人ファンが過激な行為を見せた」ことを詳報。署名記事では、「日本が選手の安全を理由にアジアカップに出ないようなことになれば、アジアサッカー史上最大の醜聞」「2008年には北京五輪が待っていることを忘れるな」とファンを厳しく批判した。
(2004/7/29/22:51 読売新聞 無断転載禁止)
日本のセキュリティー懸念(SBSオーストラリア)7/25
http://www.asyura2.com/0406/war57/msg/1188.html
投稿者 usam 日時 2004 年 7 月 29 日 23:36:32:QRnIivAbSTskw
(回答先: 中国紙、アジア杯の反日ファンを異例の批判 投稿者 usam 日時 2004 年 7 月 29 日 23:21:52)
日本のセキュリティー懸念
http://www3.sbs.com.au/wview/index.php3?id=48464
2004年7月25日 08:19 SBS(オーストラリア)
アジアカップのディフェンディングチャンピオンである日本は、チームのバスが乱暴な中国人ファンに襲撃され、もっとましなセキュリティーをするようにトーナメント主催者に要求した。
日本は、土曜日のグループCタイ戦を4-1で勝利した後、2人の選手を取り残したまま重慶オリンピックスタジアムから大急ぎで退場させられたと、オフィシャルは語った。
「昨夜、チームがバスに乗り込んでいる最中に、何人かのファンがバスを襲撃し始めた為、警備担当者はバスに出発するように命じた。2人の選手がスタジアムに取り残されたままだった。」とチーム・スポークスマンの福士一郎太は日曜日にAFPに伝た。
「我々は、中国警察がファンを統制できるように希望するし、彼らはファンを統制しなければならない。日本のプレーヤーや多くの日本のファンは、これが危険な状況であると考えている。」
土曜日の試合の間じゅう、日本の国歌やチームがタッチする度に、グランドに詰め掛けた約4万人もの大勢の中国人ファンに大声でブーイングされ、シューシューと言われた。
小さな日本の旗を振る何人かのファンも、ゲーム中に中国人ファンにずうずうしく近寄って言葉を掛けられて囲まれ、警察に護衛されてスタジアムを後にした。
中国では依然として反日感情は高いままで、中国人はかつて日本が第二次大戦で本土に侵略した事に腹を立てており、その事実は政府も含めた多くの中国人が許しがたい事だと感じている。
(訳注参考:重慶爆撃来日訴訟のまとめ)
中国の大都市のうちの1つである重慶は、その人々が反抗的と知られて久しい。
セキュリティは、地方局が報道したように、スタジアムのグラウンドには対暴徒鎮圧用フル装備の者を含め2千人もの警官によって警戒厳重だった。
驚異的な環境にもかかわらず、日本のジーコ監督は、野次られ、喧嘩を売るような中国人ファンに挑戦するかのように、7月30日のチャンピオン最終グループ戦であるイラン戦へと進む彼のチームを誇りに思うと語った。
「ブーイングが我々に4ゴールくれたのなら、毎試合同じ様な歓迎を受けたいものだ。我々はこの試合に勝っちゃった。次の試合も是非ファンのブーイングと共に勝利したいよ。」と伝説のブラジル人は記者に伝えた。
日本のオフィシャルは、ジーコが支那-日本関係(Sino-Japanese relations)の脈略を十分に理解しているとは思わないとして、彼のコメントをもみ消そうと迅速に動き出した。
「私は、ジーコ監督が日中関係がどんなに敏感か理解していないとつくづく思う。あなた達は彼が言った事で彼を非難することは出来ない。しかし私達はチームとファンの安全性について関心を持っている。」と福士は言った。
日の丸も廃止せよ:戦争中北京にいた日本人の実感なり
http://www.asyura2.com/0406/war57/msg/1195.html
投稿者 木村愛二 日時 2004 年 7 月 30 日 08:29:48:CjMHiEP28ibKM
(回答先: 日本のセキュリティー懸念(SBSオーストラリア)7/25 投稿者 usam 日時 2004 年 7 月 29 日 23:36:32)
日の丸も廃止せよ:戦争中北京にいた日本人の実感なり
私は当時、子供だったが、しょちゅう、中国人の子供が動員されて、紙の日の丸の旗を振らされているのを見た。
中国人は、日の丸の旗を見るのも、不愉快なのだ。
それでも、中国人は「大人」(たいじん)だった。
帰国して、実に野蛮な日本人の子供から「いじめ」を受けた。断固、戦った。簡単に、やっつけた。一匹どっこいでは、実に弱い、下品な奴らだった。
今も、そんな連中と戦っておる。
私は、断固たる本物の「反日」である。
しかも、わが家は、明治維新では幕府側だったから、薩長は、先祖伝来の敵である。
明治以後の天皇は、薩長の傀儡である。
日の丸は、薩摩の運搬船の旗だった。こげな薄汚い旗を、ひらひら振るのは、ド阿呆だ!
文句あっか!
この不潔な東洋鬼奴!
二度と、わが第2の故郷で、薄汚い歌を歌ったり、お粗末な旗を振るな!
まあまあ木村さん、薩長政権は先の大戦で天罰受けて、倒れたではないですか。
http://www.asyura2.com/0406/war57/msg/1202.html
投稿者 新世紀人 日時 2004 年 7 月 30 日 12:40:38:uj2zhYZWUUp16
(回答先: 日の丸も廃止せよ:戦争中北京にいた日本人の実感なり 投稿者 木村愛二 日時 2004 年 7 月 30 日 08:29:48)
無理な政権造りをしたから、耐えられなかったんですね。慶喜公の顔が目に浮かびますよ。寂しげで、達観されたようなお顔がね。孝明天皇もおまもり下さっていると思いますよ。ドラマ新撰組は登場人物に好い台詞を言わせていますね。
私も木村さんと出自が似ているかな? 詳しくは言いませんが。
海舟は西郷に「竜馬を殺したのはお前達か?」と問いただしていますね。
西郷は答えて「私達ではありません」と言っていますね。
激しく同意。
http://www.asyura2.com/0406/war57/msg/1185.html
投稿者 R0M 日時 2004 年 7 月 29 日 23:00:06:xTO0cO.ECQ0oE
(回答先: 絨毯爆撃で何万人も殺した重慶で「君が代」演奏する無神経 投稿者 木村愛二 日時 2004 年 7 月 29 日 21:30:21)
木村先生に激しく同意です。
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重慶の絨毯爆撃に関しては、以下の電網記事の議論がある。
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http://www.warbirds.jp/ansq/6/F2000089.html
旧日本軍が行なった重慶爆撃は無差別爆撃なのですか?そしてこれが無差別爆撃の先鞭をつけたとは本当ですか?
[中略]
一九三九年の重慶爆撃は無差別爆撃ではありませんが、一九四〇年の重慶爆撃は無差別爆撃です。
海軍航空隊の指揮官として、重慶爆撃に参加した巌谷二三男氏の証言
「 [一九四〇年]六月上旬頃までの爆撃は、もっぱら飛行場と軍事施設に向けられていたが、重慶市街にも相当数の対空砲台があり、そのため味方の被害も増大する状況となったので、作戦指導部は遂に市街地域の徹底した爆撃を決意した。すなわち市街東端から順次A、B、C、D、E地区に区分して、地区別に絨毯爆撃をかけることになった。」
「 建物が石材や土などでできている中国の街は、一般に火災は起こしにくかったのであったが、重慶の場合はよく火災の起こるのが機上から見えた。これは市街中央部の高いところは、水利の便が悪かったのであろう。また使用爆弾も、戦艦主砲弾(四〇センチ砲弾)を爆弾に改造した八〇〇キロ爆弾から、二五〇キロ、六〇キロの陸用爆弾、焼夷弾などをこのごも使用した。」
「六月中旬以降の陸攻隊は連日、稼働全兵力をあげて重慶に攻撃を集中した。その都度偵察写真が描き出す重慶市街の様子は、次第に変わり、悲惨な廃墟と化していくように見えた。何しろ殆ど毎日、五十数トンから百余トンの爆弾が、家屋の密集した地域を潰していったのだから、市街はおそらく瓦れきと砂塵の堆積となっていったことだろう。」
「 ことに[八月]二十日の空襲は陸攻九〇機、陸軍九七重爆十八機、合わせて百八機という大編隊の同時攻撃で、これまた一連空が漢口からする最後の重慶攻撃となった。
この日、爆撃後の重慶市街は各所から火災が起こり、黒煙はもうもうと天に沖し、数十海里の遠方からもこの火煙が認められた。」
(巌谷二三男 「海軍陸上攻撃機」朝日ソノラマ)
陸軍航空隊独立第一八中隊(司令部偵察飛行隊)の一員として重慶爆撃に参加した、河内山譲氏の証言
「五月末迄2連空は夜間爆撃を主としていたが、途中で1連空と共に昼間に切換え、目標も重慶の軍事施設だけを選別していたのを改め、市街地をA・B・C・D・E地区に区分した徹底的な絨毯爆撃に変更した。」
(河内山 譲 「司令部偵察飛行隊 空から見た日中戦史」叢文社 P一六五)
「[一九四〇年]七月下旬漢口に進出した零戦隊の飛行隊長横山大尉は十月頃のある日(期日は明らかでないが十月中と思われる)命により重慶爆撃の効果確認のため、単機重慶の低空偵察を結構したがその時の重慶市街は文字通り廃墟と化し、惨憺たる光景を呈していた。」
(「日本海軍航空史 4戦史篇」日本海軍航空史編纂委員会編 時事通信社 P五六九)
絨毯爆撃=無差別爆撃ととる限り、一九四〇年の重慶爆撃は無差別爆撃であったと言わざるを得ません。
しかしながら、重慶への無差別爆撃は、ドイツ、イギリスの無差別爆撃と殆ど同時期なので、無差別爆撃の先鞭を付けたとはいえないと思われます。
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ドイツ、イギリスよりも先か後かは問題ではない。当時の世界の5大国の一つで、工業先進国の日本が、民間人を大量殺戮することが明らかな重慶の市街地への無差別爆撃をしたのである。
これが1940年の出来事である。私が生まれたのは、その3年前の1937年1月だが、この1937年の7月7日に、日中戦争とも呼ばれる当時の支那事変が始まり、秋には、南京攻略戦で、「百人斬り」武勇伝のでっち上げ、南京事件として軍当局も認める中国人の大量殺戮があった。
ところが、日本の右翼、といっても実は、軍人恩給を貪る不逞の輩は、同じ1937年の以下のような通州事件の方を、誇大に宣伝する。
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E4%BB%B6
通州事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia) 』
通州事件(つうしゅうじけん)とは、1937年(昭和12年)年7月29日に冀東政府保安隊(中国人部隊)が起こした虐殺事件。日本の世論は深層心理にあった中華文化への憧れから対中強硬世論へ変わったとされる。
事件の概要
1937(昭和12)年7月29日、冀東防共自治政府(中国)の首都通州など華北各地の都市で約3000人の冀東政府保安隊(中国人部隊)が日本軍留守部隊約110名と蘆溝橋事件の余波で避難していた婦女子を含む日本人・朝鮮人居留民約420名を襲撃し、通州特務機関は全滅、約230名が虐殺された。事件の原因は、日本軍機が華北の各所を爆撃した際に、通州の保安隊兵舎などにも誤って爆弾を投下したことの報復であるが、この時に日本軍は公式に謝罪をし、保安隊側も了承していた事実などから中国共産党が日本と中国国民党との和平を妨害する目的で行ったという共産党陰謀説も唱えられている。
「通州虐殺事件」、「第二の尼港事件」とも言われる。その後日本に対し賠償が行われたが、殺され方が極めて残虐であったとされ、日本は対中感情を大きく悪化させた。日本政府は日中戦争(支那事変)を遂行するにあたり、この事件を心理的に利用した。
参考文献
中村粲 『大東亜戦争への道』 ISBN 4886560628
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しかし私は、通州事件を、日本の軍部、特務機関の「やらせ」と睨む。なぜなら、私は、この時期の日本の軍部の腐敗堕落、傲慢無礼、阿片謀略など、今のアメリカ、イスラエルに優るとも劣らぬ暴虐振りを、かねてから知っているからである。
以下は、やはり夏、今から3年前の敗戦記念日の周辺で記した旧稿の一部と参考資料である。
1)------------------------------------------------------------
http://www.jca.apc.org/~altmedka/d-1-8-12.html
[中略]
『昭和陸軍『阿片謀略』の大罪/天保銭組はいかに企画・実行したか』(藤瀬一哉、山手書新社、1992.2.20)には、次のように書いてあります。
「1931年8月、柳条湖の満鉄線路爆破工作の謀略資金の調達を関東軍高級参謀・板垣大佐より頼まれた参謀本部支那課長・重藤大佐と欧米課ロシア班長・橋本中佐は、藤田に事情を明かし資金の提供を要請、藤田は応諾して資金を出した」
藤田勇は元報知新聞(今の報知は題号のみ継承)記者で、仕掛人から阿片密売の豪商となり、数々の謀略の陰で暗躍しました。橋本中佐はその「手記」で、藤田との関係だけでなく、「重藤金策できたる旨を関東軍板垣に通ずるため」使者を送ったと書き残しています。
以上、簡略に記したような歴史の真相は、現在の「中国の首脳」の政治的処理では、抹殺される可能性があります。というのは、これをさらに追及すると、中国側の阿片工作も明らかにしなければならないからです。なぜなら、板垣や東条らの阿片謀略には、一応の「錦の御旗」があったのです。彼らは、蒋介石の資金源になっている阿片の生産地を押さえなければ「東洋平和」は実現しないと主張していたのです。
国家やアカデミー業者、マスコミ業者の間の談合の手打ちで、「歴史」を決定されてはなりません。あくまで個人が責任を持って調べ尽くし、書き残すべきです。
2)------------------------------------------------------------
http://www.jca.apc.org/~altmedka/d-1-8-27-1.html
電子手紙の送信日付け順・注釈付き一般公開文書館
8.27.(月)民衆のメディア連絡会電子手紙広場の暴言に答え蒋介石を相手にせずで
大戦争の切っ掛けは阿片
2001.8.30. 追記:
[中略]
「国民政府を相手にせず」は俗に「蒋介石を相手にせず」の大失敗として知られているのですが、先に紹介した『昭和陸軍『阿片謀略』の大罪/天保銭組はいかに 企画・実行したか』(藤瀬一哉、山手書新社、1992.2.20)によると、この声明の深層にも阿片謀略が潜んでいたということになるのです。
要約すると、中支那派遣の現地方面軍が同盟国のドイツの大使を仲介役にして和平工作を練っていた最中に、中支那に転任してきた塩沢大佐(東条英機の手下)が上官の和平工作を覆すために上京し、近衛内閣の主戦派を煽ったという筋書きです。なぜかというと、和平が実現してしまうと、それまでに占領していた阿片栽培地帯から撤退することになるので、阿片密売の利益で謀略資金を得ていた関東軍や北支那派遣軍の主戦派は、勝手なことができなるなるからなのです。
本当だとすると驚くべきことですが、これまでは根拠薄弱だった声明の深層が割れることになります。犯罪には常に動機があるものなのです。
3)------------------------------------------------------------
http://www.aa.cyberhome.ne.jp/~museum/19440909singapole/singapole.htm
新嘉坡丸(昭南丸)
シンガポール丸
写真
大福丸型・同型船
山高五郎/日の丸船隊史話
参考:
国民新聞/昭和11年1月29日/神戸新聞/昭和11年3月12日/神戸大学経済経営研究所・神戸大学附属図書館/デジタル新聞記事文庫
参考:
藤瀬一哉/昭和陸軍"阿片謀略"の大罪/山手書房新社/1992年
●イランとセメント
大阪商船三井船舶創業百年史には,昭和「10年10月,三井物産大阪支店がイラン政府納入のセメントの大量入札に成功したことを契機に,11月新嘉坡丸を第1船としてイラン湾航路を開設した」と記述されています.このさりげない記事の裏には新嘉坡丸を巡って行なわれた巨大な闇の物語が隠されているのです.
大正から昭和のはじめ,インドおよび中東方面の海運市場を巡って三菱・郵船と三井・商船の熾烈な闘いが繰り広げられていました.三菱商事が中心となって結成された孟買ポンペイ同盟で海運の国際価格協定が成立していたところに,三井物産が自社船舶の運航をもってダンピング攻勢をかけます.三菱の絶対勢力下にあったイランでは,三井物産は政府から2万5千トンのセメントを法外の安値で落札し,そ勅令「阿片謀略」
("大風呂敷"こと侵略の鼓吹者、後藤新平の阿片商売)
初出:昭和が終って 『噂の真相』(89.5)
戦後秘史/伏せられ続けた日本帝国軍の
中国「阿片戦略」の詳報
の損失をカバーするために綿布も積載した「新嘉坡丸」「赤城山丸」をペルシャに向けて出航させます.これに孟買同盟は猛反発します.昭和11年1月29日の国民新聞には「ペルシャ航路へ三井が進出/割込みに非難囂々」という見出しの記事が掲載されております.
●イランと阿片
新嘉坡丸は,神戸の川崎造船所が第一次大戦後の需要を見越して大量に建造した「大福丸」型75隻のなかの一隻でした.このありふれた貨物船はイラン航路に就航したことによって昭和陸軍の謀略の渦に巻き込まれていくのです.
この件を調査された藤瀬一哉氏ご自身が「まだ多くの未解明部分が残されていることを筆者は承知している」と断っておられる書物にもとづいて記述します.1938年4月7日,テヘランの全権公使から外務大臣当て外交電報が打電されました.内容は「三菱よりの情報によれば,三井は新嘉坡丸にて"ブシール"より阿片978箱(後略)」を積み出したというものでした.積み荷を受取ったのは「上海維新政府阿片局」という架空の組織であり,実際に荷揚げをしたのは帝国陸軍の中支派遣軍特務部と三井物産でした.この後も継続した阿片取引きを通じて,現在の価格で数百億円規模の資金が関係者へと流れます.三井物産の当時の役員は,戦後GHQによる調査に対し,軍の要請で「人道改善」の見地からやむなく協力したと陳述しています.阿片中毒患者を救うためには一定量の阿片を使用し徐々にその量を減らしていくという治療の考え方があり,それが「人道改善」の論拠になっていたそうです.
藤瀬一哉氏はこの過程を考究されたうえで「中支軍特務部は,このイラン阿片の密売による闇収入のほとんどを前近代的な謀略費に湯水のごとく使った.中国政府に対する洞察力もなく,その動向も読めぬ彼らは,いたずらにマイナス効果しかない謀略工作に浪費したのであった」と述べておられます.
昭和17年,シンガポールが日本の領土となり昭南と改名したことにともなって新嘉坡丸も昭南丸と名を改めます.陸軍に徴傭され,昭和19年9月9日,オホーツク海で雷撃されて沈没,阿片輸送の謎を秘めながら生涯を閉じていったのです.(この項おわり)
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わが電網宝庫では、以下のわが『噂の真相』記事を、無料で公開している。
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http://www.jca.apc.org/~altmedka/ahen.html
勅令「阿片謀略」
("大風呂敷"こと侵略の鼓吹者、後藤新平の阿片商売)
初出:昭和が終って 『噂の真相』(89.5)
戦後秘史/伏せられ続けた日本帝国軍の
中国「阿片戦略」の詳報
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以上。
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電網速報『亜空間通信』(2001.09.01.創刊 2004.08.04.現在、848号発行済)
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