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特報
2004.08.27
『アルカイダ関係者』で逮捕の外国人
『シロ』でも重い風評被害
ことし五月、「アルカイダ幹部日本潜入」の報道が一斉に流れ、関係者として滞日アジア人たちが逮捕された。捜査の結果、その嫌疑は「シロ」。だが、釈放後も彼らは「風評被害」に苦しんでいる。先の警察庁長官銃撃事件では、公安当局による「見込み捜査」が批判された。しかし、今回の事件では、そんな指摘すら聞こえない。対象が「外国人」「イスラム教徒」ゆえの温度差なのか−。
「(事件で)人生をめちゃくちゃにされた。私はもう死んだ。今は子どものためだけに生きている」
国際電話プリペイドカード販売会社社長イスラム・モハメッド・ヒムさん(33)=埼玉県戸田市=はそう嘆き、目頭を押さえた。
この五月、ヒムさんは事件に巻き込まれた。フランス国籍のイスラム過激派メンバー、リオネル・デュモン容疑者=昨年十二月にドイツで逮捕=が過去、日本に潜伏していたという「デュモン事件」がそれだ。
■テロリスト扱いびっくりし気絶
ヒムさんはデュモン容疑者にカードを売ったり、携帯電話で話をしたことがあったため五月二十六日、神奈川県警に逮捕された。
「逮捕されて三日目、横浜地検の調べを受けた。検事にあなたは(国際テロ組織)アルカイダと関係あるのか、と聞かれた。びっくりして、イスから崩れ落ちてしまった。その翌日、弁護士から大きく記事が出ていると新聞を見せられ、呼吸ができなくなり、気を失って病院に運ばれた」
逮捕容疑は、ヒムさんが出資していた神奈川県横須賀市の会社の役員登記に絡む電磁的公正証書原本不実記録容疑(横浜地検の判断は処分保留)だった。
ただ、これは「別件逮捕」の口実で、アルカイダとの関連を調べられた。横須賀の会社は、社長だったフィリピン人女性がアメリカ軍人の妻で、米軍基地の前に事務所を置いていた。それも「米軍の動向をうかがうため」と疑われた。
その後、不法在留外国人を雇った罪で再逮捕され、拘置は三十万円の罰金を払って釈放された七月七日まで四十三日間に及んだ。
ヒムさんは一九七〇年、バングラデシュ生まれ。九二年から三年間、カナダで働き、そこで日本人の妻と結婚。日本での永住者資格を持つ。自動車工場などで働いたお金を元手に、九八年から国際電話の回線取り次ぎ会社などを設立した。妻との間には現在、長男(6つ)と長女(2つ)がいる。
■仕事上で取引も過激派と知らず
「逮捕の数日前、テレビ局の記者が会社を訪れ、この男を知らないかと写真を見せられた。“サミール”の写真だったから知っていると答えた」(ヒムさん)
サミールことデュモン容疑者と、ヒムさんが最初に会ったのは九九年、群馬県伊勢崎市のイスラム寺院。二〇〇一年十二月、ヒムさんの会社があるマレーシアの路上で偶然、再会した。
デジタルカメラを売りたい、と頼まれ購入したり、仕事上の取引はあった。最後の連絡は昨年五月。国際電話で「バングラデシュからフランスに行きたい労働者を知らないか」と紹介を頼まれたが、断った。
いずれにせよ、ヒムさんにとって、デュモン容疑者は「サミール」であり、過激派など思いも寄らなかった。
結局、疑いは晴れた。だが、拘置中、その後にヒムさんと家族を襲った傷はいまも癒えていない。
二歳の長女は県警がヒムさんを連行していったときのことを覚えており、玄関ドアに近づこうとしなくなった。秋葉原にあった会社事務所のオーナーからは、逮捕後まもなく「すぐに出ていってくれ」と退去を迫られた。数百人に及ぶ客や取引先は「連絡しないでくれ」と連絡を絶った。回収できない売掛金などで、借金は二億円に上るという。
「最近やっと東京三菱銀行で口座取引ができるようになった。それまでは全部断られた。『アルカイダ関係者だと報道されているから』という。コンビニで買い物をしても、店員や客がびっくりした顔で私を見つめる」(ヒムさん)
日本国内だけではない。ヒムさんがアルカイダ関係者だとする報道は全世界に広まったが、釈放され、無関係だということはほとんど報じられていない。
故郷では逮捕の報道を受け、母親が倒れたが、帰国できない。ヒムさんは「私の逮捕でバングラデシュの人たちに迷惑がかかり、よく思わない人がいる。報道で、十億円の収入があるかのように誤解もされた。帰れば、殺されるか、誘拐されかねない」と話す。
マレーシア大使館は今月十三日、ヒムさんからのビザ申請を却下した。大使館職員は「あなたが外国に行けば、日本から脱走したと思われ、どんな目に遭うか分からない」と説明した。
最近、事務所を借りた。ただ、場所は絶対秘密にしてほしいという。追い出されるかもしれないからだ。
こうした経緯や状況はヒムさんに限らない。同様に今回、群馬県内で入管難民法違反(不法残留)容疑で逮捕されたバングラデシュ人ら二人の場合も、前橋地検の次席検事が会見で「アルカイダとの関係を示す証拠は出ていない」と断言。
二人は当初からアルカイダとの関係を否認し、不法残留については先月末、前橋地裁で執行猶予付きの有罪判決を受けたが、公判では「テロリストとして自分の名前が大きく報道されてつらかった」と陳述した。
■公安のリークで報道被害が拡大
日本弁護士連合会にヒムさんの人権救済を申し立てている古川武志弁護士(横浜弁護士会)は「ダメージが大きかったのは報道被害だが、一番問題なのは報道機関にリークし、アルカイダと結びつけて大々的にアナウンスする公安当局のやり方だ」と指摘する。
ジャーナリストの大谷昭宏氏も「ちょっとした情報で身柄を取り、結果、容疑が出てこなくてもそれでいいんじゃないか、というのが公安のやり口。テロを防ぐという名目ならば、何をしてもいいという危険な発想だ」と強く批判する。
「(警察庁長官銃撃事件をめぐる)オウムの件も功を焦るグループと慎重な一群との公安内部の暗闘があったが、手柄をあげないと組織が持たないという組織防衛の考えは強い。こうしたやり方、特に発展途上国の人に高圧的な態度を続けていくと、大変な人権、国際問題に発展する」
一方、今回のような事件を通じ、日本社会にもすでにイスラム教徒を危険視する兆候が表れている。
同志社大学神学部の四戸潤弥教授は「アラビア語を学ぶ日本人の教え子らも、電車の中で(アラビア語の)本を開いただけで、妙な視線にさらされるとこぼしている」と状況を危ぐする。
「日本人の学生に対してですらこうなのだから、滞日外国人のイスラム教徒はさぞつらいだろう。数年前まであったイスラムを知ろうといった友好的な雰囲気が消え、イスラム教徒に対しては聞く耳を持たないという風潮を感じている」
ヒムさんは「自殺しようとも思った。準備もした。だけど、私が死んだら子どもは誰が養うのか」と目を伏せ、こう続けた。
「私は日本が世界で一番好きだ。ずっと日本に住みたいと思う。その国でごみのような扱いを受けた。どうすればいいのか」
デュモン事件 昨年12月、ドイツでフランス国籍のイスラム過激派幹部、リオネル・デュモン容疑者が逮捕された。調べから、同被告が2002年7月から翌年9月まで4回にわたり、日本に入国していたことが判明。警視庁、神奈川、群馬県警などはことし5月、デュモン容疑者と接触があったとされるバングラデシュ、フィリピン人ら滞日外国人8人を入管難民法違反などで逮捕。マスメディアは一斉に「アルカイダ関係者」と報じた。だが、デュモン容疑者自身がアルカイダと関連を持つのかも定かではなく、その後の調べでも、8人とアルカイダとの関係は一切、浮かばず、「見込み捜査」だったことが明白となった。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20040827/mng_____tokuho__000.shtml