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社説
08月27日付
■教科書採択――東京の教育が心配だ
東京都教育委員会は、来春開校する都立の中高一貫校で、「新しい歴史教科書をつくる会」主導で編集された中学用の歴史教科書を使うことを決めた。
採択は1校だけだ。国公立の普通校としては、愛媛県立の中高一貫校に続いて2例目である。それでも、来年には教科書検定と全国での一斉採択があるため、都教委の判断が注目されていた。
公開された委員会の論議は計5分ほどで終わった。「3年前に養護学校で採択したときも一番良いとした」「戦争へ導く教科書ではない」。そんな意見が出ただけである。都内の公立中学では1校も使っていない。8社の教科書の中から、なぜこれを選ぶのか。残念ながら、説得力のある意見は聞けなかった。
石原慎太郎都知事が99年につくった私的懇談会には、「つくる会」の幹部2人が名を連ねていた。この懇談会からメンバーの2人が教育委員になった。こうしたことも影響を与えたのだろうか。
私たちは、この教科書について、バランスを欠いており、教室で使うにはふさわしくないと主張してきた。
たとえば、満州事変から太平洋戦争へ至る歴史をあまりにも日本に都合良く見ようとする偏狭さが目立つ。これでは戦争へ突き進んだ無謀さを知り、歴史を学び、教訓をくみ取るのはむずかしい。
国家への献身が強調されているのも特徴だ。神風特攻隊を詳しく書き、遺書や遺詠を掲げて、戦争中の人々の気持ちを考えてみようと求めている。
この教科書に対しては、さまざまな立場から批判が寄せられてきた。
五百旗頭真(いおきべまこと)・神戸大学教授は、歴史の大胆な語り方に「新しさ」を認めながらも、「その観点たるや国家闘争史観に自滅した戦前の歴史をそのまま地で行こうとするものとしか思えない」と指摘している。「自国を大切にするからこそ、他国の人がその国を大切にする心にも敬意を懐(いだ)くことができる。それが国際的妥当性を持ちうる開かれたナショナリズムである。この教科書はそうではない」とも述べている。(「論座」01年7月号)
教育委員たちはなぜ、こうした意見に耳を傾けなかったのだろうか。
都教委は今春の卒業式で「国旗は舞台壇上の正面に」など12項目も事細かく指示した。監視役を派遣して、従わなかった教員約250人を処分した。
教員を処分で脅し、生徒の内心の自由も認めない。国が決めたのだから、なにがなんでも従わせようとする。そのような考え方と同じ線上で、「つくる会」の教科書を選んだのではないか。
そんな教育方針で、生徒がみずから学び、みずから考える力をつけることができるだろうか。世界の人々と交流し、互いの歴史や伝統を大切にする若者が育っていくとはとても思えない。
都教委は今後6年間でさらに9校の中高一貫校をつくる。東京の教育がますます心配になってきた。
http://www.asahi.com/paper/editorial20040827.html