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核心
2004.08.26
ロシア機墜落強まるテロ説
プーチン強硬路線に反発
ロシア旅客機二機の同時墜落から一夜明けた二十五日、モスクワ南方の墜落現場には機体の残がいや遺体が散らばり、せい惨な様子を見せつけた。墜落までの状況は、同国南部チェチェン共和国の独立派武装勢力による同時テロの可能性を強める。大打撃のプーチン政権がチェチェン政策の見直しを迫られるのは必至だ。 (モスクワ・中島健二、モスクワ南方ブチャルキ村で、滝沢学)
二機のうちボルガ航空機が墜落したモスクワ南方約二百五十キロのトゥーラ州ブチャルキ村では、墜落直前、機体は巨大な破裂音や断続的なうなり音を上げていたと、住民たちが証言した。「二回ドーンと音がしたので雷かと思って外に出ると飛行機が家の上を飛んで行った」と、農業のグリゴリエフさん(26)。中学生のブラヤン君(13)は「機体後部から炎が出ていた」と語った。
現場では二十五日未明からロシア非常事態省や内務省などによる救助、検証作業が始まった。非常事態省の係官は「機体の残がいの中に複数の遺体が確認され収容中」と興奮気味。一帯には壊れた客席や、乗客のものと思われるかばんなどが散乱し、一部は激しく焼け焦げていた。村の住民は同日午前、自宅果樹園でシートに着座した状態の遺体を発見したという。
内務省の捜査官は「上空約八千メートルを飛行中に何らかの問題が起きたようだ」と指摘。空中の爆発などで、機体破片や遺体が広範囲に散乱したとみられる状況から、テロの可能性を示唆した。
■チェチェン大統領選直前
墜落を取り巻くさまざまな様相から浮上してきたチェチェン独立派武装勢力の犯行説。今年五月に二期目入りしたプーチン政権にとって今や最大の弱点でもあるチェチェン問題は一気に緊迫の度を増してきた。
プーチン氏のチェチェン政策は、一九九九年夏、エリツィン前政権下で無名のまま首相に就任した同氏を一躍、有名にした。連邦軍をチェチェンに再侵攻させるなど強硬さを貫く手法が、強力な指導者を待望していた国民に大受けしたからだ。その後の高支持率も独立派への強い姿勢によるところが大きかった。
だが、強引に安定化を押しつける政策は、その後、モスクワ劇場占拠事件など、ことごとくテロの激化を招き、共和国内も混乱を極めている。
特に最近の政権は、現地に「かいらい政権」を発足させることで紛争をチェチェン人同士が対決する構図に仕向け、問題を中央からそらせる政策を進めてきた。昨年十月の共和国大統領選で現地実力者の故カディロフ大統領を圧倒的支持で当選させたのは一つの帰着点だった。
これに対し武装勢力は今年二月にモスクワで地下鉄爆破テロを敢行。五月には同大統領を爆弾テロで暗殺するなど猛烈に反攻した。それでも従来の政策にこだわる政権は今月二十九日の共和国大統領選に政権寄りのアルハノフ共和国内相を擁立。対立候補を排除する露骨な介入で「親モスクワ政権」樹立を目指しているが、六月に隣のイングーシ共和国、今月二十一日にはチェチェンの首都グロズヌイが武装勢力の襲撃にさらされた。
■力の政策泥沼に
「共和国の秩序維持に全力を挙げよ」。首都襲撃の直後、チェチェンを電撃訪問したプーチン大統領は現地当局にあらためて警備強化による「力の押さえつけ」を指示した。
その直後に起きた今回の旅客機墜落。独立派武装勢力による同時テロだとすれば、政権にとって最大級の衝撃となるのは確実。大統領選を目前に控え、武装勢力による何らかの行動が十分に予想される状況下でもあっただけに、政権のテロ対応が非難を浴びるのも必至とみられる。テロが巧妙化、過激化する中、政権のチェチェン政策はいよいよ行き詰まってきた。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/kakushin/20040826/mng_____kakushin000.shtml