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反米嫌日戦線 LIVE and LET DIE
茶番ジェンキンス一家、来日。JALとANAよ1円で貸切できるのなら、札幌→東京間は1000円にしろや!!貧乏人よ立ち上がれ!来年の株主総会待ってろよ!!
特攻を美談とする売国奴へ
関大尉 野中大尉の無念
日本軍は、『大東亜戦争』中に、数々の愚行を行ってきたが、その際たるものが『特別攻撃』(特攻)という名の『自殺攻撃』であった。
俺が小学生のころ、少年誌のグラビアは『ゼロ戦』や『戦艦大和』の勇姿で飾られていた。ハリポタのような剣と魔法の世界ではなく、当時の子供たちは『兵器』そのものにあこがれていた。
小4の時だ、当時子供たちは『仮面ライダー』に夢中だったが、俺は違った。裏番組のアニメ 『決断』 を観ていた。これはタツノコプロが製作、スポンサーは「男は黙ってサッポロビール」の30分番組。
「人生で最も貴重な瞬間。それは決断の時である。太平洋戦争は平和の尊さを我々に教えたが、また生きるための教訓を数多く残している」
番組冒頭のナレーションを未だに覚えているぐらい、俺はのめりこんだ。イシバと同じように、プラモデルを作り、日本海軍艦艇を集めたりした。
そして親に買ってもらった本が『神風特攻隊の出撃』という子供向けに書かれた本だった。特攻というものをそれまで知らなかったので衝撃を受けた。死ぬとわかっていながら、体当たり攻撃をさせていた日本。子供心にバカだと思った。竹やりで本土決戦をしようと真剣に考えていた日本。これがバカだと思わない方がバカだ!
その本のあとがきには、こう書かれていた。
「特攻は卑怯な戦い方」だと。
最初の特攻であった、海軍神風特別攻撃隊の隊長である関大尉。戦後出版されてきた、捏造戦記では、特攻を命ぜられて、すぐに「ぜひ、私にやらせてください」と答えたなどと都合よく書かれていたが、実際は違った。「一晩、考えさせてください」と言ったのが真実。今も昔も変わらない。上司からの命令は絶対であった。雪印や三菱のような不祥事が続く悪しき温床は、昔から続いている。
艦爆乗りで腕に自信があった彼としては、戦闘機(零戦)に乗ること自体が納得いかず、特攻は新婚の兵士に命ぜられることはないと聞いていたので、がっかりしたというのが本音であった。
実際、彼は同盟通信特派員につぎのように語っている。
「ぼくのような優秀なパイロットを殺すなんて、日本もおしまいだよ。やらせてくれるなら、ぼくは体当たりしなくとも500キロ爆弾を空母の飛行甲板に命中させて帰ることができる。ぼくは明日、天皇陛下のためとか日本帝国のためとかでいくんじゃなくて、最愛のKA(妻)のためにいくんだ。日本が敗けたら、KAがアメ公に何をされるかわからん。ぼくは彼女を守るために死ぬんだ。」
まったくもって無念であったろう。彼は、戦死するが、みごと軍神となった。残された貧しい母は軍神の母となって、絶望的な戦局の中、国民を欺くプロパガンダに利用された。敗戦となると、あれほど近所から尊敬された『軍神の母』は、周りから罵声を浴びせられ、ひどい仕打ちを受けたそうだ。
実は、特攻隊は神風隊が組織される前に存在していた。人間ロケット『桜花』のために創設された神雷隊がそうである。
2トンもの爆弾を鼻につけたロケット機「桜花」を、燃え易いことで今も昔も有名だった三菱製!一式陸攻(米帝は馬鹿にしてワンショット・ライターとあだ名をつけていた)に搭載し敵艦に体当たりさせる戦法は、最初から成功率は低く、無理だとわかっていた。
神雷隊の隊長であった野中大尉はこう発言している。
「この槍使い難し」
「たとえ国賊とののしられても、桜花作戦は司令部に断念させる」
1945年3月21日、野中大尉が率いる神雷部隊が出撃する事に決まった。神雷部隊司令岡村大佐、五航艦参謀長横井少将は、陸攻18機に対して掩護戦闘機55機では成功の望み無しとして、五航艦長官宇垣中将に計画延期を進言した。しかし無能の上司宇垣中将は「今の状況で桜花を使えないなら、使う時が無い」として自分の面子と自己満足のため計画を強行した。
午前11時20分、神雷部隊は鹿屋基地を発進したが、途中22機の掩護戦闘機が故障で引き返した。多数の敵機の迎撃を受け甚大な被害が発生することは間違いなかったが、アホ宇垣中将は「必死必殺を誓っている若い連中を呼び戻すに忍びない」と攻撃続行を厳命した。
野中大尉は桜花が無事発進した場合の無線報告をしなかった。それが、彼なりの、無謀な作戦で若者に死を命令する人でなし宇垣に対しての無言の抵抗であった。
野中大尉は、出撃前に「湊川だぜ」の一言を残し出撃していった。
この日、宇垣の面子によって殺された若者160名(桜花15名、陸攻135名、戦闘10名)、戦果0であった。
以上、神雷部隊HPを参考とさせていただきました。
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/ooka.htm
野中大尉の『愛児への手紙』は是非読んでいただきたい。
インターネットで特攻関係のHPは多々あるが、どれもが特攻を美談として扱うものが多すぎる。また、その主催者が戦争経験の無い、30代が多いのに驚愕し、危機感をもっている。特攻をすべて、大西の責任として、いけしゃーしゃーと生きた源田のような男を始めとする国賊を告発する活動が必要だ。
特攻は美談ではない、愚行として長く後世に伝えなければならないのだ。
ライトバック
BAKA BOMB
確か戦時中の米帝兵士は「桜花」のことをそう呼んでおりましたな。
漏れは米帝のことは嫌いだが彼等の情報収集能力や分析力は大ポンニチ帝国の比ではなかったという訳だ。
死んで花実が咲くものか。昔の人は良いことを言ったものだ。
追伸 「ワンショット・ライター」については日本兵が自虐的にそう呼んだという説もあり。
投稿者: ゲスト at 2004 年 07 月 19 日 22:17:56
亡霊
大日本帝国は本土決戦をして、天皇もろとも国民も大部分が死んでしまった方が良かったのだ、と学校の教授が言っておりました。
それに賛同するかどうかはともかく、中途半端な形で負けた日本は、未だに大日本帝国の亡霊を引き摺っているようです。
そして亡霊は、今大いに活性化しているのではないでしょうか。
投稿者: ゲスト at 2004 年 07 月 19 日 22:26:16
SP
たとえ9割ぐらいの日本人が死滅して本当に大負けしたとしても、必ず、あの戦争は正しかった、聖戦だった、特攻隊員ありがとう、うんたらかんたら、などととほざく屑がでてくると思うよ。
ドイツのようにネオナチは根絶やしする、集会も許さん、出版も許さん、ナチ賛美は反社会的行為、反政府的行為、全員逮捕じゃ!ぐらいの勢いでも、ま〜だしぶとくネオナチどもは存在するもんね。
完全に野放し状態の日本はお話にならない。
本屋には糞ウヨの捏造本が溢れかえっとる。
戦前の大日本帝国を賛美するような考えは危険思想として徹底的に取り締まらなければ日本に未来はない。
投稿者: ゲスト at 2004 年 07 月 20 日 01:02:53
源田実という男
あの輩はパイロットとしての腕前は確かなものだったようだ。
映画「トラ・トラ・トラ」の中でも日本軍の優秀な指揮官として描かれている。
しかし彼はその腕前を鼻にかけ、自分より技量の劣る部下らを軽蔑し、常に見下していたという。
つまり自分に甘く、他人に厳しい上司の見本だったということだ。
香具師が戦後、どんな手練手管を使って国会議員にまでなったかはここで改めて言う迄もない。
このような輩がいる限りこの国に未来はないぞ。
投稿者: ゲスト at 2004 年 07 月 20 日 08:41:49
割り算で簡単に結論
自軍の損傷率と敵の損傷率の割合で行くと、この戦い方もあったかと。歩兵なんかもともと、将棋の駒以下の扱い。錬度の必要なエリートだけに歴史に語り継がれる。字が読めなくても操縦できる武器作った国には適わなかったってのもある。
投稿者: ゲスト at 2004 年 07 月 20 日 12:59:33
陸軍特別攻撃隊員 上原良司の遺書より
私は明確にいえば自由主義に憧れていました。日本が真に永久に続くためには自由主義が必要であると思ったからです。これは馬鹿なことに見えるかもしれません。それは現在日本が全体主義的な気分に包まれているからです。しかし、真に大きな眼を開き、人間の本性を考えたとき、自由主義こそ合理的になる主義だと思います。
戦争において勝敗をえんとすればその国の主義を見れば事前において判明すると思います。人間の本性に合った自然な主義を持った国の勝ち戦は火を見るより明らかであると思います。
慶応大経済学部学生として、1943年12月1日、学徒出陣によって二十歳で入営。1945年5月11日、陸軍特別攻撃隊第56振武隊員として沖縄嘉手納湾の米帝機動部隊に突入。
「日本は負けるよ。死んでも天国に行って靖国には行かないから」
彼は靖国に祀られることを拒否した特攻隊員であった。
陸軍特別攻撃隊員 上原良司が出撃前夜に残した所感
自由の勝利は明白な事だと思います。人間の本性たる自由を滅す事は絶対に出来なく、例えそれが抑えられているごとく見えても、底においては常に闘いつつ最後には必ず勝つという事は彼のイタリヤのクローチェ(自由主義者としてファシズムへの協力を拒否した哲学者)もいっているごとく真理であると思います。権力主義の国家は一時的に隆盛であろうとも必ずや最後には敗れる事は明白な事実です。我々はその真理を今次世界大戦の枢軸国家において見る事が出来ると思います。ファシズムのイタリヤは如何、ナチズムのドイツまた、すでに敗れ、今や権力主義国家は、土台の壊れた建築物のごとく次から次へと滅亡しつつあります。真理の普遍さは今、現実によって証明されつつ過去において歴史が示したごとく未来永久に自由の偉大さを証明して行くと思われます。
明日は自由主義者が一人この世から去って行きます。
日本の敗北を予感しながらも、堕落しきった祖国の命に従い飛び立った上原。
その一方で、国民に無限の犠牲を強いておきながら、自決しなかった昭和天皇、政府軍部の上澄み、儲かればよい財閥の輩。
死んでも死にきれんとは、このことだ。