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原文ママはつらいね
高成田 享
夫婦の共働きが当たり前の社会になっているが、子育ても家事も、母親への負担が多いと想像される。企業のなかではまだまだ目に見えない昇進への壁(グラスシーリング)があるし、社会的な圧力も、何かというと母親の責任に言及されることが多く、女性に強く向けられている。
現代ママには、受難の時代といえそうだが、私が書きたいのは、そんな高尚な話ではなく、原文ママについての話だ。
論文などで、ある文献を引用するときに、引用した部分に誤りなどがあると、引用句のあとに、「原文ママ」と表示して、引用者が誤ったわけではないことを示すのが通例になっている。それだけのことだが、「原文ママ」を付けることが大きな意味をもってくる場合もある。
「それにしても、誘拐したグループと同じように、3人の行動を理解していない日本人がたくさんいることを知って、こころが寒い思いをした。『2チャンネル』(原文ママ)に『狂言』などと書き込みをしている人たちだ。人は自分という物差しでしか他人を測ることができないといわれるから、高遠さんらの行動を見ると、そんな立派なことをやれるはずがない、だから自作自演の狂言に違いないということになるのだろう」
イラクでの日本人の人質事件に関連した文章で、ここで使われている「原文ママ」は文中の「2チャンネル」が「2ちゃんねる」の誤りであることを示している。この固有名詞を誤記したことは、いまや利用者数からみても、話題になる情報が掲載される事例の多さにおいても、現代メディアのひとつとして無視できないインターネット掲示板について、筆者の無理解を示している。「原文ママ」を挿入するだけで、読者には、そのことが伝わるわけで、「原文ママ」が効果的に使われている事例のひとつだろう。
そう解説したくなるのだが、不幸なことに、この文章は、私の当欄コラム(4月12日付「撤退すべきは米軍」)の1節。あちこちに、この文章が引用されるたびに、「原文ママ」が必ず付記され、私の「2ちゃんねる」に対する無理解ぶりを強調する効力を発揮しているように思う。
なぜ、あちこちに引用されているかというと、私の上記の文章が「2ちゃんねる」への挑戦と受け取られたようで、「2ちゃんねる」の議論の題材となり、それがきっかけになったのか、「2ちゃんねる」以外のメディアにも、この文章が取り上げられるようになったからだ。
このコラムを始めたころ、AIC元締めの穴吹史士さんと話したのは、ネットは途中で誤りがあった場合、それを修正することができるから便利だということだった。新聞だと、いったん刷り上がってしまったものは直しようがないから、翌日の新聞で「訂正」を出すことになる。記者にとって、「訂正」ほど情けないものはなく、私などはその数も多い上に、そうなると、数週間は落ち込んでしまうものだから、ネットというメディアは、ありがたいと思った。
ところが、このコラムで、そういう「微調整」をしていたら、「誤りの隠蔽工作」だと読者から批判されたことがあった。なるほどその通りで、ネットでも途中で修正するのはまずいのかと納得して、それからは、誤りがわかった場合、翌週で訂正するか、あるいは放置するか、ということにした。この「2チャンネル」の誤りもすぐに気づいたのだが、「2チャンネル」は「2ちゃんねる」と訂正しなくても、読者はわかるだろうと思い、放置することにした。
読者にはわかるという意味で、その判断は間違えていなかった思うが、たびたび引用されることになり、「原文ママ」のつらさを味わうことになった。
つい最近も、「正論」8月号で、ジャーナリストの西村幸祐氏が「『2ちゃんねる』を目の敵にし始めた朝日、岩波の焦燥」という論文で、私の記事を引用していて、しっかりと「原文ママ」を付けていた。
ついでに言うと、この論文の筆者である西村幸祐氏が私の記事のあとに付けたコメントは次のようであった。
「ここで高成田氏は『2ちゃんねる』批判に人質家族と支援者に対する国民の感じた違和感と嫌悪感を置き換えることで、正面から自らの世論誘導が失敗した〈自己責任〉を回避し、失敗の分析を怠った」
私が失敗した「世論誘導」とは何か。西村氏の論文では、「ヒステリックに執拗に社説や報道で何回も自己責任論を否定したのは、人質を“人質”に取り、政府批判、自衛隊派遣批判に世論誘導しようと画策していた朝日新聞を中心とする一部メディアであった」とあるから、人質事件を利用して、自衛隊の派遣批判に世論を誘導しようとしたことだろう。
少し反論しておくと、まず、「2ちゃんねる」というメディアについて、無知とはいえ、私なりに批判も評価もある。しかし、上記のコラムは、「2ちゃんねる」というメディアを批判したわけでもなく、「2ちゃんねる」に投稿している人々を批判したわけでもなく、そこで、「狂言」などと書き込みをしている人々を批判しただけだ。
西村氏は、私が「2ちゃんねる」批判をしたと理解して、そういうメディアに対して、朝日新聞というメディアに属する私が焦燥感を持っていると解釈しているのだろうが、それはまったくの曲解である。「2ちゃんねる」のなかで、狂言説を否定したり、その根拠を調べたりしていた人たちもいたが、私はそういう人たちの意見に賛同するし、そういう調査を評価する。
また、人質を“人質”に取り、自衛隊派遣批判に世論を誘導したというのも間違っている。米国が主導したイラク戦争に朝日の社説は反対し、自衛隊の派遣にも反対したが、人質事件に対しては、「脅迫では撤退できぬ/イラク人質事件」(4月10日)という社説で、反抗グループの脅しに屈するべきではないという主張をした。同僚の福田宏樹論説委員の「『脅迫では撤退できぬ』の重い選択」(『論座』6月号)を読んでいただければわかるが、この社説に対して、自衛隊の撤退を求めていた人々からは、共感よりも批判の手紙やメールをたくさん受け取った。
何か主張することが「世論誘導」だと言うのなら、あのコラムで私が「誘導」したかったのは、事件が自作自演の狂言という見方がおかしい、ということにあった。というのも、「2ちゃんねる」を中心に、今井紀明さんが高遠菜穂子さんのホームページに書いたという「事件予告」が流され、それが「2ちゃんねる」以外のメディアに転載されたり、その情報が口コミでまことしやかに広まったりしていたからだ。
「2ちゃんねる」にこの情報が流れてすぐに、高遠さんのホームページはアクセスが困難になったが、たまたま友人がアクセスに成功して、そこの連絡掲示板をコピーした。それには、今井さんのものだという書き込みはなく、前後を見ても、その通信だけを削除したとは思えなかった。
そんなことで、今井さんの書き込みというのはニセ情報だと確信したわけだが、なぜ、私がニセ情報にこだわったかというと、かなり広い範囲で流れた狂言説が人質になった人たちや、その家族へのバッシングに影響したように思ったからだ。だから、上記の引用部分の次のパラグラフでは、以下のように、ニセ情報を創った人に対して厳しく批判したつもりだ。
「他人に向けた刃は自分に戻ってくることにいつか気づくだろう。『狂言だ』とわめいている人たちには、かわいそうな人たちだと思うが、許せないと思うのは、高遠さんのホームページに今井紀明さんがこんな書き込みをしていたといって、狂言をにおわせる偽のメッセージを2チャンネルなどに書き込んでいる人間だ。『愉快犯』というのだろうが、しょせんは権力者のディスインフォメーション(情報操作)の願望を自ら買ってでただけのお調子者でしかないことに、なぜ気づかないのだろうかと思う」
狂言説は、事件が解決したころから立ち消えになり、当初の人質に対する批判は薄れ、家族の対応が悪いという話になった。西村氏も「人質家族と支援者に対する国民の感じた違和感と嫌悪感」と記述している。たしかに、「人質家族の対応は感じが悪かった」という話になれば、「そうだったね」で終わるのかもしれないが、忘れてならないのは、事件の当初、批判の矛先は、まず人質本人に向けられていたということだ。
その論拠になったのが「自己責任論」で、政府が十数回にわたり、イラクからの退避とイラクへの渡航延期を勧告しているのに対して、それを承知で入ったのだから、事件の責任は当事者が取るべきだという論理だった。
ところが、政府の勧告を無視したのは、人質になった日本人だけでなく、バグダッドに記者を駐在させているメディアも同じことだった。人質になった人たちを政府の勧告無視だと批判する一方、自分たちも勧告を無視している矛盾に気づいたのが読売新聞で、人質事件を受けて、バグダッドから記者を待避させた。ところが、産経新聞や朝日新聞などのように、政府の勧告に反する形で、バグダッドでの取材を続けるメディアが多いせいか、読売新聞もいつのまにかバグダッドに記者を戻した。バグダッドから出るときには、政府の勧告を受けてとその理由を表明したのに、私が読んだかぎりでは、記者を戻した理由については何も説明していないように思う。
世論調査をしたわけではないから、断定はしないが、あの人質事件についていえば、少なくとも本人たちについて、判断が甘かったという批判は残るものの、ジャーナリズムであれ、人道活動であれ、イラクに入るという行動を全面否定する意見は少なくなったのではないかと思う。
「2ちゃんねる」を中心に流れた「狂言説」の周辺で、人質になった人たちへの攻撃が強かったことを思い起こせば、私たちが主張したことに少しは意味があったと思う。「失敗の分析を怠っている」とすれば、「狂言説」に振り回されたり、「自己責任」を声高に叫んだりした人々にも、あてはまるのではないだろうか。
あの事件のメディアの対応については、じっくりと調べたいのだが、「原文ママ」が出てくるのは、つらいところだ。
http://www.asahi.com/column/aic/Mon/d_drag/20040719.html