現在地 HOME > 掲示板 > 戦争57 > 184.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
社説
06月30日付
■自衛隊50年――「軍隊でない」を誇りに
自衛隊はあす、誕生から50年を迎える。
朝鮮戦争から東西冷戦が本格化するなかで産声を上げた時、海上自衛隊には駆逐艦さえなかった。航空自衛隊は約140機の練習機しかない「戦闘機のない飛行隊」だった。その自衛隊はいま24万人の隊員を擁し、年間の予算は5兆円規模だ。多くの先端兵器を有し、世界有数の戦闘力を持つ軍事組織である。
国民の自衛隊観も大きく変わった。多くの日本人にとって、発足したころの自衛隊は戦前の軍部の記憶と重なっていた。再軍備反対論や自衛隊違憲論が広く支持を得ていた。ところが、今は自衛隊を合憲と考える人が多数派だ。災害救助や外国でのPKOも評価されている。
その自衛隊の活動が、半世紀の歴史を通じて、今ほど大きく変わろうとしている時はない。
かつてのソ連のように、日本に直接侵攻してくるかも知れない仮想敵は見あたらない。代わって、大量破壊兵器の拡散や国際テロリズムという新しい脅威にどう立ち向かうかが、国境を越えた自衛隊の課題とされるようになった。
小泉政権は9・11事件を受けてインド洋に艦艇を派遣し、ブッシュ米政権の期待に応えて占領下のイラクに陸上部隊を送り込んだ。国内では北朝鮮の脅威に対してミサイル防衛の導入が決まった。
集団的自衛権の行使を禁じた憲法を見直し、海外での武力行使を認めようという声高な改憲論も永田町にはある。
こうした転換の根底にあるのは、本土の防衛が差し迫った問題ではなくなったいま、自衛隊に様々な新しい任務を与え、活用しようという意図だ。
人道的な救援活動をはじめ、自衛隊にふさわしい国際貢献は大いに担いたいと思う。だが、イラクの自衛隊がいつの間にか米軍指揮下の多国籍軍の一員となったように、国際貢献を名目に自衛隊を日米同盟の下で普通の軍隊にしようとしている。それが現実ではないか。
問題はまさにここにある。
確かに、自衛隊は姿や能力では他国の軍隊と変わらない。しかし、海外で武力行使はしないという憲法の大原則と、それを支持する国民的な合意が、自衛隊を普通の軍隊とはまったく違う存在たらしめていることを忘れてはならない。
また、そうした自衛隊の独特な性格がアジアの安定にも多大な寄与をしていることも過小評価してはなるまい。
これからの自衛隊を考えるうえで何より重要なことは、文民統制、つまり政治による統制がしっかりとした判断に立って行われるか否かだ。だが、現状はあまりにお粗末で、国民を不安にさせる。
その典型が、イラクをめぐる小泉首相の乱暴な理屈や、国威発揚の威勢の良さが際立つ自民党内の議論だ。日米関係は重視しなければならないが、米国という存在を冷静に見る視点を欠いては、まともな国の安全保障政策とは言えない。
紛争地での国際貢献を言うなら、自衛隊を出すことばかりでなく、現地の情勢を自分で知り、和平に何が役立つかを自分の事として考えることだ。まず米国の顔色をうかがう習性は卒業したい。
国の安全は自衛隊だけでは成り立たない。近隣諸国との多国間外交、テロの根をつぶすための途上国支援、大量破壊兵器の拡散防止のための貢献など、まだまだ足りないことだらけである。
自衛隊は他国で戦争をしない。それが日本にとって国益の源泉であり、誇りでもあることをあらためて刻みたい。
http://www.asahi.com/paper/editorial20040630.html