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6月30日付・読売社説(2)
[自衛隊50年]「『集団的自衛権』解釈変更を急げ」
自衛隊が発足して五十年。東西冷戦の終結と、その後の国際情勢の激変を経て、自衛隊は今、国際平和協力活動の面でも、北朝鮮の核・ミサイルなど日本の安全を脅かす問題への対処でも、大きな転機にある。
新たな課題に対処するためには、自衛隊の活動を大きく制約している「壁」を取り払う必要がある。集団的自衛権の問題である。
自衛隊発足時は、国際平和協力活動などのために自衛隊を海外に派遣することなど、まったく想定していなかった。
集団的自衛権について、政府は「保有しているが、憲法上、行使は許されない」と解釈してきた。自衛権の行使は、日本防衛の必要最小限度の範囲にとどめるべきで、集団的自衛権行使は、それを超えるという理由からだ。
一九九〇年代、国際平和協力活動への自衛隊の参加が現実的になると、憲法解釈との整合性が問題となった。そこで政府が打ち出したのが「一体化論」だ。
自衛隊の活動が他国の武力行使と一体化するかどうかで、集団的自衛権の行使になるかどうかを判断する。一体化しない場合にだけ自衛隊の活動は可能、というわけだ。
国連軍への「参加」と「協力」、「戦闘地域」と一線を画す「後方地域」「非戦闘地域」等々の考え方はいずれも、武力行使との一体化論に基づく。自衛隊の多国籍軍参加をめぐる「指揮権」の議論も、一体化論の延長線上にある。
こんな議論は、日本国内でしか通用しない。それが、自衛隊の活動や隊員の安全に深刻な影響を及ぼしている。
武器使用基準一つとっても、国連平和維持活動(PKO)の国際標準では、任務遂行のために武器を使用できる。だが自衛隊は正当防衛や緊急避難の時しか、武器を使えない。
日本の安全確保にも、集団的自衛権の解釈が障害となっている。例えば、日本海で米艦船が北朝鮮の艦船から攻撃を受けた場合、すぐ近くに日本の艦船がいても座視するしかない。これでは、日米同盟関係は決定的に損なわれる。
小泉首相は、憲法改正で集団的自衛権の行使を明確にすると言うが、それには時間がかかる。政治の責任で、直ちに政府解釈を変更すべきである。
自衛隊法を改正し、国際平和協力活動を本来任務の一つに位置付ける必要もある。国の安全という重要な責務を担う防衛庁の「省」昇格も急ぐべきだ。
これまで放置してきた法的不備を一刻も早く改める。それが、自衛隊を日本の平和と安全のために生かす道だろう。
(2004/6/30/01:42 読売新聞 無断転載禁止)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20040629ig91.htm