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http://www.yorozubp.com/0407/040730.htm
肉体を去った反戦の伝道師テルツァーニ
2004年07月30日(金)
イタリア在住 飯田 亮介
私が訳し、以前にメールニュースでも紹介させて頂いたことのある「反戦の手紙」の原作者・テルツァーニ氏がガンのため、7月29日亡くなりました。
非常に残念です。
まだ語ってもらいたいことが、山とあった気がします。
それと同時に、
「遺された言葉たちから、もっと自分で考えて行かなければ」
とも思います。
かつてミヒャエル・エンデが亡くなった時にも、やはりそう思いました。
悲しいことです。ですが、この三月にテルツァーニ氏本人から送られてきた彼の最後の作品『Un altro giro di giostra・メリーゴーランドのさらなる一周』を読んだ私には、未知の世界へとまた新たな旅に出るような気持ちで彼は穏やかに死を受け入れたにちがいないとの確信があります。
彼の旅の幸運を祈りたいと思います。
Tiziano, buon viaggio! E grazie infinite!!
以下にRaiNews24のホームページからの特集記事の訳を掲載いたします。-----(訳文始まり)----------
■肉体を去ったテルツァーニ(1938-2004)
一九三八年フィレンツエ生まれ。一九七一年からドイツ「デル・シュピーゲル誌」のアジア特派員。シンガポール・香港・北京・東京・バンコクで暮らし、一九九四年から妻のアンジェラ・スタウデ(作家)と二人の子供とともにインドに住んできた。アジア大陸の深い識者であり、国際的に高い評価を受けた高名なイタリア人ジャーナリストの一人であった。
「私にとっては、毎日がメリーゴーランドのさらなる一周なんだ」
ティツィアーノ・テルツァーニはそんな風に言っていた。彼の人生の新たな一日一日を、もう何度目になるか分からない、さらなる経験と知識を得るための機会であると語りながら。七月二十八日がそんな一日の最後となった。この知らせを妻アンジェラは次のような言葉で知らせてくれた「オルシーニャ村の谷でテルツァーニは穏やかに逝きました……もしくは、彼が好んだ言い方をすれば、その肉体を去りました」
この出来事は、まさに彼の最期の作品(『メリーゴーランドのさらなる一周』)のなかで、この上なく穏やかで深い形で予告されていたものだ。彼の人生のなかで最も深く神秘的な旅を語り、最も困難なルポルタージュ、自分自身の内面世界のルポルタージュを記すためのこの本の執筆作業は、まるで終わりを知らぬかのような推敲の繰り返しであった。
作品を未完成で遺してしまうことへの恐れから、テルツァーニは仕事に熱中した。書き記された形での自分の最期の物語が終わってしまうことへの恐れから、彼は際限なく読み返し、書き直しつづけた。最後に、テルツァーニの人生とその旅の多くの伴侶であったアンジェラ・スタウデが彼を説得し、原稿の三分の一以上を省かせた。
ヒマラヤ山中の彼の孤独な隠遁場所であった家から9・11テロ直後に記された『反戦の手紙』もまた、ガンに罹っていることを知った六年前からの(最新作に記された)彼の経験に照らし合わせれば、世界の出来事・人類の争いとその不幸を通常とはまったく異なった視点から見る者の証言として、そして、真の心の平安を得ることを知った者の証言として読むことが出来る。
そうした平安のなかでテルツァーニは、彼の言葉を借りれば、「肉体を去って」いったのだ。 ------(訳文終わり)------
(モントットーネ村から2004年7月29日から転載)
Lettere contro la guerra
Tiziano Terzani
反戦の手紙
ティツィアーノ・テルツァーニ
飯田亮介訳
WAVE出版
2004年1月29日発行
訳者あとがきから
"Salviamoci Nessnun altro puo fare per noi"
「わたしたちを救おう。それができるのは、わたしたちだけなのだから」
本書はイタリア人ジャーナリスト、ティツィアーノ・テツツァーニの2002年3月作品「Lettere contro la guerra」の全訳に、作者が2003年12月に書き下ろした日本人読者にあてたメッセージの役を加えたものである。
『反戦の手紙』は、9・11テロにたいする復讐という非文明的で、もっとも原始的なアメリカの反応と、それを支持した「国際社会」の動きに危機感をいだき、アフガニスタン空爆開始直後に単身現地に向かったテツツァーニの旅の記録である。それは反テロ戦争の現場をゆく旅であると同時に、平和な世界実現のために必死に思索をつづける作者の心のなかの旅でもあった。・・・・・・・
四国新聞1月20日付一面コラム「一日一言」
陸上自衛隊がサマワに入ったころ、夕食会の席で「イラクはどうなるんでしょう。マスコミの見方は?」と尋ねられた。「米国の思惑は外れたようです」と答えたが、不明を恥じている。
第百五十九回通常国会で小泉首相が細身の体をそびやかし、米国に追従して自衛隊をイラクに派遣する「不退転の決意」を語っていたころ、断じて暴力にくみするなという、「もう一つの決意」を迫る本が届いた。
何度か紹介したイタリア人ジャーナリスト、ティツィアーノ・テルツァーニの「反戦の手紙」(WAVE出版)が今月末に出版される。9・11から始まった米国の戦争に反対する「古いヨーロッパ」からの反論集である。
その序文で著者は「人生におこるすべては偶然ではない」と書いた。非暴力主義者として世界の内戦や混乱を取材した証言者の言葉だ。アフガンやイラクで起きた暴力に口を封じればやがて自らが暴力の犠牲になる―。
首相は決意を語るにあたり、「義をなすは毀(そしり)を避け、誉れに就くにあらず」という墨子の言葉を引用した。「正義」の実現において他人の評価を気にしてはいけない―という戒めの言葉。
しかし首相のいう「正義」が、米国一国だけの正義ではもはや意味を失う。「大量破壊兵器を持っているような気がした」程度のことで、何万もの民間人を犠牲にしてよい正義など存在しない。
テルツァーニは言う。原爆を体験した「日本人であればこそ、世界中のどこの市民よりも大きな声でNOと叫ぶ資格がある」。あの席で本当はこう答えるべきだった。「どちらが有利か、正しいかではなく、殺し合うことを避けることが日本人の役割です」。