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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu75.htm
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加瀬俊一(著) 「あの時『昭和』が変わった」
アメリカは誠実な同盟国「台湾」を切り捨てた。
2004年7月29日 木曜日
◆加瀬俊一(著) あの時「昭和」が変わった―101歳、最後の証言
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9978424075
この百年で、日本から失われてしまった大きな貴重なものは、何といっても、独立国家としての気概である。国家は旺盛な自立精神を備えていなければならない。
アメリカとソ連が世界を二つに分げて対決した冷戦が、「ベルリンの壁」が崩壊することによって終わって、たしかにヨーロッパ大陸においては緊張が大きく緩和した。しかし、日本を取り巻くアジアでは、北朝鮮の核武装から発する危機が進行するようになって、安定が崩れようとしている。
中国が軍拡を進めているのも、きわめて無気味である。今後、処置を誤ると、日本が大きな混乱に捲き込まれて、これまで享受してきた平和と繁栄を失いかねない。自立精神を欠いた人も、国家も立ち行くことができない。
日本は戦後五十八年にわたって、アメリカの一方的た軍事保護に甘んじているうちに、自らの手によって国を守らねぱならないことを忘れてしまった。そのうちに、独立国の国民として、当然持っているべき、自主自立の気概が希薄になってしまった。
日米安保条約は、戦後の日本に平和の恵沢をもたらした。しかし、時とともに、アメリカによる絶対的と思われた軍事保護が両刃の剣のように国民精神を深く蝕んで、傷つげてしまった。日本国民は、日米安保条約を天与のものであるかのように錯覚しえいごうて、未来永劫にわたって続くものと、誤って考えるようになっている。
日本国民は外交が非情なものだということを歴史に学んで、心に刻むべきである。どのような条約であっても、事情が一変すれぱ、存在理由を失う。戦後のアジァをとれぱ、かつてアメリカは中国と復交した時点で、台湾と断交した。台湾は二十数年もの間、アメリカの誠実な同盟国だったのに、切り捨てたのだった。
「条約は破られるために、結ばれる」という皮肉な言葉もあるほどで、日米安保条約だけが例外であるとはいえない。今のところ、アメリカはアジァにおいて日本に優先順位を置いているが、これがいつまで続くものか、わからない。同盟関係はその時々の情況によって消長することを、知らねぱならない。
とくに冷戦が終わってから、東アジアの安定が揺らぎつつある、このような状況のなかで、日本がアメリカを必要とする度合が、アメリカが日本を必要とする度合よりも、いっそう大きくなっている。日本とアメリカのあいだに、顕著で、不健全なアソバランスが増しつつある。これを是正し、アメリカが絶対に日本から遊離せぬように工夫しないと、日米安保体制の前途が危くなろう。
歴史は一瞬たりとも、停まることがない。刻々と変化してゆく。惰性に身を委ねることがあっては、なるまい。このためには、日本が一日も早く独立国家としての意識を回復して、日米関係を二つの独立国のあいだの協力体制に変えてゆく必要がある。先日、ニューヨーク・タイムズ紙のジェームス・ブルック東京特派員が、私の鎌倉の家をたずねてきて、インタピューを受けた。なかなかの好青年だった。
ブルック記者はエール大学の出身だということだったが、タイムズ紙に入杜してすぐに、私がロソドンの大使館に勤務していた時の親友だった、ジェームス・レストン記者のもとで働いたことがあるといったので、すぐに打ち解げることができた。レストンは後にニューヨーク・タイムズ紙の大記者と呼ばれて、盛名を馳せた。しぽらく前に、鬼籍に入ってしまった。
ブルック記者が、私に「大使は百年の生涯のうちに、ロシア、ドイツ、オスマン・トルコ、日本、イギリス、ソ連をはじめとする多くの帝国が滅びるのを御覧になられましたが、その豊かな体験について、これから質問したいと思います」と前置きして、アメリカの留学時代や、『ミズーリ』号艦上におげる降伏調印式の思い出などについて、たずねた。
そして、「今日、世界では日本は力を衰えさせ、興隆の盛りを過ぎた国になったという見方が、定着するようになっていますが、どのようにお考えですか」と、質問した。
私は「あなたの国のペルリ提督が、日本にやってきて、世界に対して門戸を開くことを強いてから、日本は国民が一致団結して、努力することによって、またたく間に世界の一流国となりました。先の大戦では敗戦を喫して、すべてを失いましたが、灰のなかから見事に立ちあがって、経済大国となりました。日本を過小評価してはなりません。日本人はつねに自分たちを新しい時代に適応させて、つくり変えて、蘇生する力を持っています」と、答えた。
「日本未だに亡びざれぱ、正気重ねて発声の時、必ずあるなり」と、吉田松陰が幕末にのこしている。日本人はそのような力を備えていると、願いたい」「アジアでは中国の力が増して、アジアにおいて日本にかわって、影響力を発揮する大国になると、多くの人々が予見するようになっています。どう思われますか」という質問が、続いた。
私は「第二次大戦中にルーズベルト大統領がそのように誤って信じましたが、チャーチルは中国の歴史をよく知っていましたから、そうは考えませんでした。私は今でもチャーチルの燗眼が、正しいと思います」と、答えた。
九月のなかばで、朝からいくらか風があったが、よく晴れた日だった。渡部さんがコーヒーと洋菓子を運んできたので、しほらくインタピューが中断した。応接間のガラス戸の外に、庭の百日紅の老木が花をいっぱいにつけていた。百日紅は七月ごろから花をつけるが、花期が長いことから、秋に入っても、まだ眼を慰めてくれる。
応接間いっぽいに置かれたミニチュァの兎や、絵や写真についてたずねた。とくに派手な赤い奔馬の絵に、関心を持った。イタリアのアソドレオッティ大統領がわが家を訪れた時に、自分でかいた絵をくれたものだった。「今日、アメリカは帝国になりましたが、何かアメリカに対して忠告がおありでしょうか」これが、最後の質問だった。この問は、ちょっと意外だった。
「リーダーも、国民も、もっとゆとりを持つべきです。大英帝国が長く続いたのは、紳士と淑女の生活に、優雅さがあったからでしょう。ビクトリア王朝時代の延長でしたから、社会に品格がありました」
私は百年を生きた。百年と一口にいっても、長い歳月である。ナポレオンの天下をとっても、ヒトラーがドイツを支配した時代をとっても、レオナルド・ダ・ビンチと、ミケラソジェロと並んで、ルネサンス盛期の三大芸術家の一人だった天才画家のラファエロが活躍した時期や、フランツ・シューベルトや、ショバンの創作生活をとっても、せいぜい二十年か、三十年しかなかった。
百年のあいだに、大きな帝国が興っては、減んだ。日本帝国が生まれたのが、日清戦争に勝って、台湾の割譲を受けた明治二十八(一八九五)年だったとすれば、僅か五十年しか続かなかった。歴史はつねに波潤に富んでいる。日本帝国が半世紀で減びたことは、為政者が処置を誤ると、築きあげてきたものをすべて失ってしまう災禍を招くことを教えている。
「国家百年の計が必要である」というのは、まさに心すべき教訓である。
ブルック記者がインタピュー中に、「いったい、日米戦争は避けられなかったのだろうか」と、たずねた。私は昭和十六(一九四一)年春に始まった日米交渉によって両国が積みあげてきた了解事項を、その年十一月にアメリカが日本に青天の霹靂のように突きつけた「ハル・ノート」が、すべて破壊してしまったので、誰もが自存自衛のために立ちあがって、戦わざるをえないと思ったと、答えた。
ハルは、当時のアメリカの国務長官であったコーデル・ハルである。私は外務省の北米課長として、東京からワシソトンにおいて進められていた日米交渉を指揮した。私は東郷外相と一心同体だったから、外相秘書官も兼任していた。
東條首相も、閣僚も、軍の最高指導部も、誰一人として、アメリカと戦うことを望んでいなかった。なかでも、東郷外相は対米戦争を回避することを強く願って、渾身の努力を傾けた。しかし、その東郷すらが「ハル・ノート」を読んだ時に、「目の前が真っ暗になって、一瞬、よろめきそうになった」と、語っている。
もっとも、百年の計を考えれぱ、明治の先人たちが日露戦争に勝った直後に、ロシア、ドイツ、フランスの列強による三国干渉にあってそうしたように、昭和十六年十一月にも、忍び難きを忍んで、臥薪嘗胆するべきだった。
「臥薪嘗胆」は、日露戦争後に日本が三国干渉に屈した時に、日本国民の合い言葉となった。中国の春秋時代に、父親の仇・越王勾銭を打つために、呉王・夫差が薪を積んだうえに伏して、身を苦しめたがら時機を待ったのと、夫差に敗れた勾銭が苦い胆をなめながら、敗戦の屈辱を忘れまいとした故事からきている。
三国干渉は日本にとって、大きな屈辱だった。ここで、三国干渉について説明しまい。三国干渉について知らない若い読者は、調べてほしい。(P216〜P223)
(私のコメント)
アメリカの歴史を見ればアメリカが外交的に信用できる国であるとはとても言えない。アメリカは建国以来テキサス共和国の略奪から始まって、カリフォルニアやニューメキシコもメキシコから分捕った。さらにはカナダの領土も分捕り、返す刀でスペインと戦争してフィリピンを分捕り、ついでにハワイもアメリカ領にしてしまった。
強大な国力にものを言わせて戦争すれば勝つのだからやりたい放題の事をしてきた。アメリカにとって昨日の同盟国は今日の敵であり、日本もアメリカの正体をよく知って外交をするべきだった。おそらく本家のイギリスを始めアメリカに恨みを持たない国は無いだろう。もっとも日本の戦後教育ではアメリカは正義と民主主義の国と教えられてきたが、それは日本がアメリカの植民地だからだ。
アメリカはたとえ脅威ではなくとも、自作自演で理由を作っては戦争を仕掛けては領土と利権を広げてきた。太平洋戦争も日本は陰謀に引っ掛けられて戦争に引きずり込まれた。アメリカから因縁を吹っかけられて戦争から逃れる手段としては戦わずして白旗を掲げるしか方法はない。イラクのサダム・フセインも独裁者だという理由だけで全土を爆撃され瞬く間にアメリカ軍の占領下になってしまった。
世界の何処を見回してもアメリカに歯向かえる国は無いから、アメリカの為すがままにするしか生き延びる方法はないのだから、日本としても「アメリカ万歳」とおべっかを使って大統領の機嫌をとりながら、アメリカ政府の言うがままにするしかないのだ。
外交評論家の加瀬俊一氏は戦前の大日本帝国の華やかな頃の外交官でしたが、アメリカとの交渉でも押し切られて開戦になってしまった。当時のアメリカのルーズベルト大統領は戦争に不介入を公約として大統領に当選した。だからヨーロッパがどんなに戦乱であっても参戦は出来ず、盛んにドイツの潜水艦を挑発したがヒトラーはその手には乗ってこなかった。
やむを得ずアメリカは日本に対して中国から撤退しろと因縁を吹っかけてきた。アメリカから見れば第三国同士の戦争であり、アメリカの利権もそんなにない中国を助けるべき理由もあまり無かった。アメリカの国益からしてもドイツや日本と戦争をしても得られるものはなく、新たなる領土も獲得できる状態ではなかった。むしろソ連や中国を強大化しただけだった。ルーズベルト大統領の狙いはなんだったのか。アメリカの戦略や国益の面から分析してもルーズベルトは馬鹿としか言いようがない。アメリカ国内でも次のように分析する人がいる。
■8.愚行の結果■ 国際派日本人養成講座
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog096.html
スターリンと同盟し、ヒットラーを敵視して、ルーズベルトは 「裏口から」米国を対独戦争に巻き込んだ。その結果はどうであったか。 アメリカは戦争には勝ったが、東ヨーロッパはソ連の鉄のカー テンに閉ざされた。満州とシナから日本軍を駆逐したが、そのかわりに全域が共産中国の支配下となった。すぐに米ソ間の冷たい 戦争が始まった。
かつてヒトラーが征服を夢みた地域よりもはるかに広大な地 域に、全体主義的な専制政治を台頭させる結果となった [2,p28] とウェデマイヤー大将は総括する。これは結果論ではない。当 時、米国世論の大勢を占めていた反戦派は次のような主張をしていた。 それ(アメリカの参戦)は、われわれがスターリンのために ロシアの共産党支配を確立させ、共産主義が世界中にさらに広がる機会を与えてやることになる(フーバー元大統領)[1,p11 2]
スターリンは、ヒットラー同様『血にまみれた手』をしてお り、合衆国は、これら残虐な独裁者たちが勝手に自滅し合うの にまかせておけばいいのだ(ベネット上院議員)[1,p112] もし、ロシアが勝ちそうになったらドイツを援助し、ドイツ が勝ちそうになったら、ロシアを援助すればよい(トルーマン 上院議員、次期大統領)[1,p112]
ルーズベルトがこのような賢明な不介入主義をとっていれば、 米国はもとより、英仏、そして日本も戦争に巻き込まれず、独ソの両全体主義は早期に自滅したはずである。そうなれば、その後 の冷戦も、朝鮮戦争、ベトナム戦争もなく、20世紀後半ははるかに明るい幸福な時代になっていたことであろう。
(私のコメント)
私がアメリカという国を分析するならば、アメリカと言う国は10年毎ぐらいに戦争をしなければもたない国であり、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争と自ら仕掛けるようにして戦争をしている。それが戦略的にどのような意味があるのか分析しても意味がない。強大な軍事力を持っている以上、定期的に戦争しないともたない構造になっているのだ。
イラクの次は北朝鮮か台湾海峡が戦場になるのだろう。そのための極東のアメリカ軍の再編成が進んでいる。在韓米軍の撤退と南への移動は北朝鮮を刺激するもので、金正日はアメリカ軍の挑発に乗ってくるだろうか。あるいは中国を調子付かせて台湾に手を出させるだろうか。日本はこのようなアメリカ軍に何処まで協力するのか。そんなに戦争をしたければアメリカ軍だけで勝手にやってほしいものだ。