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(回答先: 連合赤軍内の公安スパイに関しては、当時、いくつかの雑誌や本に載っていた記憶があります 投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2004 年 6 月 14 日 09:08:44)
バルセロナより愛を込めてさん、早速レスいただき、ありがとうございます。
仰ることの一つ一つが、腑に落ちます。
>> 日本人には伝統的に「血の穢れ」「死の穢れ」を嫌う民族性があるでしょうから、こちらと同じようなテレビ報道をすれば「どうしてこんな残酷な場面を茶の間に流すのか」という非難が轟々と沸き起こるかもしれません。
千数百年前に日本に輸入された「仏教」が、「血の穢れ」「死の穢れ」を嫌うように日本人を洗脳し、これが世界にも珍しい内容の部落差別を長年維持してきたと思います。
日本人の中には、平安時代の「安寧」に日本の未来型を夢想する人もいますが、私は奈良・平安から日本が腐り始めたと思います。
>> 私はこの、現実から目をそむけながら平和だの繁栄だのを云々できる多くの日本人の神経を忌み嫌います。はっきり「怠惰だ」と思います。「知的怠惰」です。マスコミが「見せない」だけでなく、「見たくない」という意識に対する「天罰」が、最後には、日本人に「見ざるを得ない現実」となって降りかかるのではないでしょうか。
既に、59年前に原子の火が降りかかっています。
それでも日本人は、この59年前のことを「忘れる」ことにばかり熱中してきました。
日本には、「日本人はバブルの残滓の中で微温的に暮らしているから覚醒しないのだ。徹底的に追い詰められて、もっと堕ちれば日本人は覚醒する。」という意見があります。
「その証拠に、59年前の8月15日には、15年戦争へ突入した政府の施策の間違いに、焼け跡に立つ全国民が気づいていた。」とも、言われます。
しかし、前回の戦争で日本人が「学んでしまった」ことは、「鬼畜米英」はXだから今後は「親米一辺倒」で行こうという、江戸時代以来の「長いものには巻かれろ」の蒸し返しだったとしか思えません。
> 私の考えでは、これは島国の環境と極端な身分制度の歴史の中で、自らの安全を保つための「見ざる、言わざる、聞かざる」という奴隷精神が体質として染み込み、さらに帝国主義時代の政権がそれを利用してその「国民性」を一層堅固なものにしてしまったためではないか、と思います。
仰るように、江戸時代の鎖国と「士農工商+穢多・非人」という身分制度と「儒教」によって培われた奴隷根性は、明治以降の帝国主義時代にいっそう磨きがかかったように思います。
なお、この意見は、もし「キリスト教」弾圧と鎖国がなかったら、400年前に欧米の植民地になっていた、という予測を排除するものではありません。
半島・中国経由の思想である「仏教」と「儒教」が、多くの処世の知恵に満ちているばかりか、優れた文化を形成してきたことを認めた上でなお、それらが日本に導入された後に、巧妙な支配手段として利用されてきたことを挙げたいと思います。
それでも過去の日本は、「キリスト教」に洗脳されて欧米の植民地になるよりマシだったとは言えます。
しかし今や、庶民は「仏教」ライクなソーカに、政治家は「キリスト教」ライクなトーイツに、侵食されて、国民の状況は悪化の一途を辿っているように見受けられます。
> さらにその際に力を発揮した大新聞などのマスコミが、ほぼそのまま戦後も思想統制の役に立っているわけで、その上に岩波書店等の、新たな支配者アメリカさん公認の「左翼」的言論界が、その「国民性」を利用しながら安定した勢力を作っていったのでしょう。
上も下も、右も左も、分断と無力化が成功した後の焼け跡を見る思いですが、日本人は今ここから歩み出すしかないと思っています。
どうも、ありがとうございました。