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(回答先: 米SEC、ナイジェリアLNG事業でハリバートンを調査(朝日新聞)日揮の名も 投稿者 天地 日時 2004 年 6 月 12 日 20:51:51)
最近のナイジェリア情勢と日・ナイジェリア関係
平成15年12月4日
1.ナイジェリア情勢
(1) 内政
オバサンジョ大統領は、約16年間政権を担当した軍部より民政移管を受けて行われた99年2月の大統領選挙により選出され、同年5月に就任。
オバサンジョ大統領は、貧困と汚職の撲滅を最大目標に、軍・警察幹部の大量強制退役、軍政時代の政策(人権侵害を含む)や不透明契約の停止・再審査、アバチャ軍事政権時に略奪された公金の回収、汚職撲滅法案とデルタ地域開発委員会法案の議会提出等、積極的な施策を実施。
一方、民政移管後は、それまで軍事政権に抑圧されていた地域・民族・宗教的な対立(石油産出諸州での少数民族騒乱、北部諸州でのシャリア法導入、各地での民族対立・暴動等)が顕在化する傾向にある。
また2003年4月19日に実施された大統領選挙において、オバサンジョ大統領が再選され、5月29日に就任宣誓を行った。
(2) 外交
西アフリカ地域における指導的国家を自認し、アフリカ連合(AU)、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)等を通じ積極的なアフリカ外交を展開している。民政移管後は、国際社会における同国のイメージ改善に努力するとともに、開発途上国の代表としてグローバルな問題についても積極的に取り組んでおり、国連・国際機関での活動の積極化や、2000年4月には「アフリカ・マラリア・サミット」、2001年4月には「アフリカ・エイズ・サミット」等の国際会議の招致・開催を行っている。
ナイジェリアはこれまでにも、リベリア内戦やシエラ・レオーネ紛争等の解決のため、ECOWAS停戦監視団(ECOMOG)の派遣にイニシアティブを発揮したほか、国連PKOへの派兵やECOWASを通じた対話に尽力する等、地域の安定に積極的な貢献を行っている。最近では、テイラー・リベリア大統領のナイジェリアへの亡命を受け入れ、国連安保理決議1497に基づくECOWAS平和維持軍の第一陣として、ナイジェリア軍が派遣された他、サントメ・プリンシペのクーデターでは、積極的な仲介活動を行った。
アフリカの抱える問題解決にアフリカ自身のイニシアティブを発揮すべきとするアフリカ開発のための新パートナーシップ(NEPAD: New Partnership for Africa’s Development)の推進にも中心的な役割を果たしており、2001年10月にアブジャで開催された首脳会合では、オバサンジョ大統領がNEPAD実行委員会議長に選出された。
また隣国カメルーンとの間で長年の懸案事項であったバカシ半島の領有権問題については、2002年10月のICJ判決を受けて両国混合委員会が設置され、国境画定作業等に関する定期協議を行っている。
(3) 経済
ナイジェリアは、日産201.3万バーレル(2002年、BP統計)を誇るOPEC第6位の産油国である。しかしオイルブームの後、放漫財政の付け等から深刻な慢性的財政赤字、巨額の累積債務に直面。過去の長年にわたる軍事独裁の帰結として、ガバナンスの悪化等により原油収入が適切に利用されておらず、石油製品の一部を輸入に頼らざるを得ない状況にある。
同国の経済環境が一時的に好転したことにより、2000年8月のIMF理事会においてスタンド・バイ・アレンジメント(SBA)が合意された。これを受けて、同年12月、パリクラブにおいて債務繰延が決定し、パリクラブ諸国と二国間交渉を続けていたが、我が国とは2003年9月、債務繰延に関し合意に達した。
欧米諸国とは、民間レベルにおいて活発な経済関係を維持(シェル、モービル、シェブロン等国際石油資本がナイジェリア石油公社と合弁)。最近は、ガスへの注目が高まり、ナイジェリア政府との共同プロジェクト(パイプライン)等が行われている。
ナイジャー・デルタ地域(南東部の石油生産地域)の少数民族騒乱(環境汚染やインフラ・福利厚生面の差別を不満とした国際石油資本の施設占拠・職員誘拐、軍・警察との衝突、民族間の抗争)は、沈静化の兆しを見せておらず、原油収入に頼る同国政府にとって悩みの種となっている。
オバサンジョ第二期政権は新たな国家戦略として「国家経済強化開発戦略(NEEDS)」を策定中であり、経済開発に向けた体制作りを優先するとして、各種改革プログラムに取りかかっているものの、補助金削減等を目的とした石油製品価格の引き上げに対し、2003年6月には全国的ストライキが1週間にわたり発生する等、改革の滑り出しは必ずしもスムーズとはいえない。
2.日・ナイジェリア関係
(1) 基本的考え
ナイジェリアに対する認識:
● アフリカにおける政治・軍事・経済大国
(アフリカ諸国最大の人口、OPEC第6位・世界第13位の産油国)
● NEPAD(アフリカ開発のための新パートナーシップ)推進におけるリーダー国
(我が国の対アフリカ政策を推進する上で重要な国)
● 西アフリカにおける大きな影響力
(紛争解決、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)における貢献等)
基本的政策:
● 調和ある二国間関係の維持・発展
(政治対話の強化(日・ナイジェリア・スペシャル・パートナーシップ・フォーラム等)、文化人・青年交流)
● 経済関係の維持・発展
(経済界交流の強化)
● ナイジェリアの貧困削減努力に対するODAによる支援
(基礎生活分野を中心)
● 地域安定化に向けたナイジェリアのイニシアティブ支援
(アフリカの紛争予防・解決)
● 地球規模の問題解決のための協調・協力
(マラリア、HIV/AIDS等の感染症対策)
ナイジェリアから見た日本:
対日意識は、一般的に高くはない。これは、地理的に遠く隔たっていることと、日本の進出が歴史的に遅かったこと等の要因によるものと思われる。国民レベルでは、日本製の車やオートバイ等の日本製品を通じて日本を認識しているといえる。近年は、留学生やJICA研修生を中心に日本滞在経験者の数が増加し、また、2002年韓国と共同開催されたサッカーのW杯ではナイジェリア代表も出場し、神奈川県平塚市でキャンプを行い、強豪揃いのF組でイングランド、アルゼンティン、スウェーデンと対戦したことや、2003年9月の第3回アフリカ開発会議(TICAD III)の開催を機に、新聞等でも日本関連の記事が多くなってきており、対日関心は次第に高まりつつある。
(2) 要人往来
2001年1月、森総理が現職総理大臣初のサハラ以南アフリカ訪問を実現した際に、ナイジェリアを訪問した。また、99年5月のオバサンジョ大統領就任式には、我が国から橋本外交最高顧問が特派大使として出席した。ナイジェリアからの訪日としては、2000年7月の九州・沖縄サミットの機会にオバサンジョ大統領、ラミド外相が訪日、2001年5月オバサンジョ大統領が公式実務賓客として訪日したのをはじめとして、多数の閣僚が来日している。最近では2003年9月、第3回アフリカ開発会議(TICAD III)に出席するため、オバサンジョ大統領が訪日した。
(3) 経済関係
我が国のナイジェリアからの原油輸入は増加傾向で、2001年には約1.6億ドルの実績があり、輸入の約6割弱を占めている。対ナイジェリア輸出は98年以降増加し、2001年にはアフリカ域内で第4位の相手国となった。しかし我が国の対ナイジェリア投資は低迷している(2002年、ジェトロ資料)。進出企業数は漸減傾向にあり、商業、建設・プラント業、製造業の14社(伊藤忠、丸紅、ホンダ等)である。2002年5月、JETRO投資環境調査ミッションがナイジェリアに派遣された。また我が国は2000年12月のパリクラブ合意に基づき、ナイジェリアと債務繰延に関する二国間交渉を行っていたが、2003年9月合意に達し、書簡の交換を行った