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★イタリアから「イタリア人人質救出劇」に関する最新情報が届きました。
メールによれば、どうやら「出来過ぎ・政治利用のタイムリーな救出劇?」といった疑問も出ているようです。
以下に、イタリア在住日本人からのメールと、これに関する新聞記事の翻訳をご紹介します。
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八日には、イタリア人人質が解放されましたが、この救出劇がまさに「劇」に仕立てられたと国内では騒然としました。
私にもどうも出来過ぎという感じに見えたのですが、真相は……?
ヨーロッパでは、今週からEUの各加盟国代表者選出の選挙が行われ、イタリアでも明日十二日から十三日まで投票日となっています。当選するか否かにかかわらず、自分の支持率がどの程度かを知るためのバロメーターとして、どの政治家も参選したり、候補者の応援をしたりします。
その点数かせぎに、ベルルスコーニはこの人質救出作戦を利用したらしいのです。たしかに、妙な点はいろいろあります。
五月中に人質解放に至らなかった政府、その後の人質事件に関する報道停止令、今月四日にブッシュがイタリア訪問、ベルルスコーニや大統領、法皇と面会、その四日後の八日にこの人質救出。
これまでに人質救出に米軍特殊部隊が作戦に踏み切った例はなく、今回が初めて。イタリア人人質は二ヶ月近く拘束されていたのに、なぜいまになってやっと特殊部隊が動くのか。また、この事件解決直後には合衆国でサミットもあった。ベルルスコーニもブッシュも、それぞれ助け合ってお互いの選挙での支持率を高めようとしているとの見方が強いです。もちろん、ベルルスコーニやその一派はそんなことはおもてむき肯定するはずありませんが。
でもそうだとしたら、運命に翻弄されている人質やその家族の感情や人命の尊重をよそに、政治家は彼らをただコマのように利用しているだけという、おそろしい実態が見えてくるようで、ぞっとします。
一方、解放された人質三人は、救出の翌日九日昼頃にクゥエート経由で、軍用機で帰国、すぐにローマの検察庁でいろいろ質問を受け、その後各自の自宅に帰されました。
それぞれの故郷で、ある者は親戚、友人、知人と祝賀会、ある者は少々興奮状態にあり夜も眠らず家族にこれまでの経緯を語り……。昨日は各自で記者会見もして、当たり障りのない対応をしたようです。
拘束は意外にきつく、手錠をはめられ、狭苦しい場所に閉じ込められていた、飲食物はそれほど回数を与えられなかった、犯人グループは六十人くらいいたようで、そのうちの何人かがいつも見張りをしていた、なかにひとり、少しイタリア語の話せる者がいたが、大半とは英語で話した、……など語りました。
救出時の様子は、隠れ家にヘリコプターの音が近づいてきて、入り口のドアが爆破され、部隊が押し入って来て、「心配するな、我々は米軍だ」と言われた……やっと助かったと思ったと。
昨日の夜のニュースでは、事件に関連したアラブ系の報道機関を調べたところ、イタリア人人質はおそらく今月十一日(イタリアでのEU選挙の直前)に殺害される予定だった?ということが発覚したと伝えていました。救出はぎりぎりのところで間に合ったというわけです……?
解放されたことについては、尽力してくれたどのひとにも感謝している、と彼らは言います。でも、特に米軍に深く感謝しているようです。救出にはポーランド軍も当たったはずですが、ポーランド兵のことは触れていないです。
それから、三人は、四人目の人質クアットロオッキが殺害されていたことは、救出されるまで知らされておらず、犯人からは解放されたのだと聞かされていたそうです。
まだまだこれから、いろいろなことが出てくることでしょう。
さて、九日の新聞記事で日本語に訳してみたものがあるので、お送りします。
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〔‘il manifesto’六月九日付け、アンドレア・コロンボ氏記事〕
『私が彼らを救ったのだ』
ベルルスコーニの選挙広告
G8とレーガンの葬儀のため合衆国へ飛行中、首相は皆に電話をかけ、テレビニュースにインタビューを発信し、救出作戦の報告をする。
「嬉しくてたまらない――彼は言う――なぜなら私たちは正しい戦略を選択したからだ。」「不動路線」に多くが称賛。
不定冠詞をつけた選挙広告、ではない。まさにそう呼ぶべき、定冠詞のついた選挙広告、である。与党連合のどの党でも、選挙の四日前に贈り物としてもらうことを空しく夢見る広告だ。そして、もしシルヴィオ・ベルルスコーニが完璧にできることがひとつあるとすれば、それはまさに宣伝のための好機を最大限に利用することである。
人質の解放という朗報を、ロナルド・レーガンの葬儀のために合衆国へ向け飛行中に受ける。なかなかいい。電話にしがみつき上空から報道機関に飛び込む。まるでウイルスのように報道機関を荒し回る。まるで米軍のように占拠する。
二十四時間以内に人質は「私たちの飛行機の一機で」帰国すると宣言する。イラクからのサンチェスの記者会見をひどいやり方で先回りして、血を見ることなく誘拐犯らは捕らえられたと話す。
「いったん取り囲まれると、誘拐犯らは抵抗することはできないと判断し、作戦は流血の事態を避けて終結した。」
ありありと満足な様子をうかがわせて、首相は詳細にまで及ぶ。
三人のイタリア人とポーランド人一人がいた「牢屋」は、月曜の夜に突き止められた。
政府は、――続けて言う――政治家のリーダーたちと現地の宗教的権威者と決断を一致させるために一日待つことにした。そして、「見張りのために残った者の数が少なかったので、流血を避けて急襲することが可能だと見込み、私たちは自ら襲撃開始の合図を出す任務を引き受けた。」
政府と与党の全員が繰り返して何度も反復するライトモチーフのひとつだ。作戦をめでたく終わらせたのが誰であろうと、決断はローマで、首相自身によりなされた。
「首相は自ら作戦実行の許可を出す任務を引き受けた」、数分後、フィニ副首相が確証する。そして中道右派の官吏たちの賛美は、個々の声を聞き分けるには数が多すぎて合唱となる。
二枚目の勝利のカードはより重みをもってテーブルに下ろされた。「私たちが正しかった」大臣たち、次官たち、国会のリーダーたちにその他大勢は繰り返す。飛行中の大親分から始まって。
「嬉しくてたまらない、なぜなら私たちは正しい戦略を選択したからだ――カヴァリエレ(ベルルスコーニが受勲している、イタリアの勲位の称号、騎士)は自画自賛して言う――それは断然沈黙を守ることと、テロリストらと一切取り引きしないことだ。」
ここでもフィニ副首相の第二旋律が直ちにくる:「皆によく考えてもらいたい:不動は値する。」フラッテイーニ大臣は、首相不在のためレッタ次官とキジ宮殿(首相官邸)で緊急記者会見を開く任務を受け、とりわけひとつのことを力説する。
「取り引きは一切しなかった。」無口なレッタ次官まで、いつもの慎重な姿勢をくずして発言した。「諜報機関」に賛辞をおくるためだ。Sismiイタリア諜報局を称賛しながら、数時間後、マルテイーノ大臣も繰り返すように、諜報局が舞台袖にいることは明らかだ。新聞のコラムから毎日のように諜報局員らをいじめるものもいたのだが。
「不動路線」を称賛するのは大臣や政党の代表者ばかりではない。国のナンバーツー、マルチェッロ・ペーラ上院議長が乗り出す。「イスラム教のテロリストに対するイタリアの不動路線がその成果を上げた。」カジーニ下院議長も同調するが、スタジアムからのようには大仰でない。性格と階級の問題だろう。「堅固な精神をもつ政府に称賛をおくる。」時には、少々の平静さがあってもいいだろう。
ところでクイリナーレの丘(大統領官邸の別称)は? コメントがないなどありうるだろうか。しかしながら、例の飛行機からベルルスコーニは間をおかずにクイリナーレ宮殿に電話して、大統領にこの朗報を知らせた。しかしチャンピ大統領はあまり同調せず、イタリア諜報局と連合軍の救出部隊の功績を誠実に評価しただけだった。
しかし、選挙の期間に本当に必要なのは、意味のある票に変わりうるものは、深い感動をよぶ要素だ。つまり、家族だ。ここで正真正銘のらんちき騒ぎが必要である。
ベルルスコーニは皆に電話し、感謝し、抱擁をおくり、祝意を述べる。
「(六月四日の)平和デモに参加しなかったこと」で、親類全員をほめそやす方法を見つける。
フィニは、葬儀に参列する予定がないので、もっと働ける。ステフィオ家に走り、その間にクペルテイーノ家に電話し、あわれなクアットロオッキを思いやって感動し、抱擁をおくる。そしていくらかの泣きが入る:指示通り、ステファニア・プレステイジャコモアナウンサーの涙、彼女は感動が止まらない。
あとは、意志表明の洪水、全く同じと言わなければ、どれも非常に似ている。カステッリ大臣の発言が際立つ。彼のは少なくとも本物の情報を提供している。人質の運命を危険にさらさぬために、全ての捜査は政府により遮断されていたと暴露する。
あまり称賛に値しないという理由で、ガスパッリ大臣の発言も目立つ。彼のはカンヌ映画祭のパルム・デ・オール(金のヤシ賞)でなく、精神錯乱のヤシ賞である:「私たちの同国人を救出したのがポーランド兵だったということは、運命のしるしだ、ローマ法皇と同じ、ポーランド人だったとは。」