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国境なき医師団へのテロ、怒りと哀しみ タリバンはなぜ
http://www.asyura2.com/0406/war56/msg/566.html
投稿者 木田貴常 日時 2004 年 6 月 11 日 13:51:52:RlhpPT16qKgB2
 


(1)
5人のMSFスタッフ、アフガニスタンの事件で殺害される
[ アフガニスタン ] 情報発信日:2004年06月03日
http://www.msf.or.jp/news/news.php?id=20040603&key=afgan

6月2日午後、アフガニスタン・バドギス(Badghis)州で生じた事件で、5人のMSFスタッフが殺害された。殺害されたのは、3人の外国人派遣ボランティアと、2人のアフガニスタン人スタッフである。

犠牲になったボランティアは、プログラム責任者のベルギー人女性、ロジスティシャンのオランダ人男性、医師のノルウェー人男性である。

アフガニスタン人スタッフは、2人とも男性で、運転手と通訳として働いていた。

事件発生に関する詳細は不明である。犠牲者は、Khair khanaにあるもっとも近いMSFの宿舎に運ばれた。これまでのところ、さらに詳しい情報はない。

(2)
衝撃的なMSFスタッフ5名の殺害
[ アフガニスタン ] 情報発信日:2004年06月04日
http://www.msf.or.jp/news/news.php?id=2004060402&key=afgan

国境なき医師団(MSF)は、昨晩アフガニスタンのバドギス州で、Khair-KhanaとQala-I-Nawを結ぶ道路を移動していたMSFのスタッフ5人が殺害された事実の確認を受け、ここに深い悲しみを表明する。

殺害されたスタッフの氏名、国籍、役職は下記の通りである。
 Helene de Beir、ベルギー、プログラム責任者
 Willem Kwint、オランダ、ロジスティシャン
 Egil Tynaes、ノルウェー、医師
 Fasil Ahmad、アフガニスタン、通訳
 Besmillah、アフガニスタン、運転手

この5人はトヨタのランドクルーザーに乗り、午後3時にKhair-Khanaを出発した。午後3時45分に無線による安全確認を取る予定であったが、その確認が取れなかった。状況確認のために2台の車が送り出された。1台はKhair-Khanaから、もう1台はQala-I-Nawから出発した。午後5時20分頃、Khair-KhanaからQala-I-Naw方向に約25分間走った場所でランドクルーザーは見つかった。地元の老人たちの話から、惨事が起こったことが明らかになった。車は地元住民の助けによってMSFの宿舎に戻された。午後7時45分に宿舎に到着し、待っていた4人の外国人派遣ボランティアとアフガニスタン人スタッフ1人によって、5人の同僚が射殺されたことが確認された。

車はフロントガラス、前座席の窓、そして後ろの窓からも撃たれていた。さらに車の横には榴散弾が仕掛けられ、爆発した跡があった。

これ以上の情報は現在のところ分かっていない。また誰がなぜ彼らを殺害したのかについても確認が取れていない。

Helene、Pim、Egil、FasilそしてBesmillahを失ったことは私たちにとって大きな悲しみであり、彼らの家族、友人に対し深い哀悼の念を表する。MSFは、犠牲者の家族と深い悲しみを分かち合うと同時に、アフガニスタンの人々が医療だけでなくその他の人道援助からもますます遠ざけられている状況を強く懸念する。

これからの数週間、MSFは事件の詳細な分析をすすめていくが、今はこの悲劇にもっとも影響を受けた人々のケアをすることを最優先に考えている。当面のあいだ、救命治療以外のアフガニスタンにおける活動は中断される。オランダ支部から派遣されている外国人ボランティアは、現在カブールに向かっており、Khair-Khanaのアフガニスタン人スタッフも安全な場所に移動している。差し当たり、彼らはそれぞれの移動先にとどまる予定である。

MSFのバドギス州での活動は1999年から続けられてきた。Khair-Khanaでは2001年に活動を開始し、外来診療を行ってきた。今年1月からの4ヵ月間で6,500件の診療が行われた。最近開始された結核治療プログラムでは、45人の患者を治療し、患者数の拡大を検討していた。2週間前には、母子保健施設の開設を地元の人とともに祝ったところだった。

アフガニスタンの12州で展開されているMSFのプログラムは、約80人の外国人派遣ボランティアと約1,400人のアフガニスタン人スタッフによって運営されている。その内容は、プライマリー・ヘルスケアの提供から州立病院、地方病院の支援まで多岐にわたる。また、結核治療やメンタル・ヘルスケアなどの専門的な医療も提供してきた。MSFは1979年からアフガニスタンで活動している。

(3)
MSFは人道援助従事者の殺害を強く非難する
[ アフガニスタン ] 情報発信日:2004年06月04日
http://www.msf.or.jp/news/news.php?id=2004060403&key=afgan

国境なき医師団(MSF)は、残忍な攻撃によって一昨日アフガニスタンで殺害された5人の死を深く悼む。5人は苦境におかれたアフガニスタンの人々に人道的な支援を届ける仕事に携わっていた。

MSFは、この卑劣な攻撃を強く非難する。国際法上、人道援助従事者の殺害は戦争犯罪にあたる。

彼らは6月2日(水)午後、アフガニスタン北西部のバドギス州で殺害された。チームはトヨタのランドクルーザーでの移動中に待ち伏せされ、前、横、後ろから銃撃された。手投げ弾が車に仕掛けられていたことも判明している。車から何かが盗まれた形跡はなく、強盗目的でなかったことは明らかである。

タリバンが犯行を表明したと伝えられているが、MSFはその事実をまだ確認してしない。

MSFは、1980年にアフガニスタンの人々への医療援助を開始し、同国で長い活動経験を持っている。この間、激しい紛争や政治体制の変遷にもかかわらず同国にとどまり、長期にわたる戦争で苦しむ人々を手助けするという明白な目的のために、活動を続けてきた。活動地の人々は常に、私たちを独立した人道援助団体として迎え入れてくれてきた。

今回の残忍な攻撃は、独立した人道援助の活動を危険にさらすのみならず、助けを必要としているアフガニスタンの人々に届くべき支援が滞るという結果を生む。

深く求められている医療援助をこのような情勢下でいかに継続していくか、その手段を検討する間、MSFのすべての支部はアフガニスタンでの活動を休止する。


(4)
犠牲となった5人の死を悼む
[ アフガニスタン ] 情報発信日:2004年06月04日
http://www.msf.or.jp/news/news.php?id=2004060404&key=afgan

Helene de Beir (29才)は、世界中の人々の権利のために情熱的に闘ってきた。国際関係学・国際法をワシントン、ボローニャ、ブリュッセルで学び、人道問題の専門家になった。MSFオランダ支部から人道問題担当者としてコートジボワール、イラクに派遣された後、アフガニスタン・バドギス州にはプログラム責任者として2004年5月に着任した。意欲に燃え、行動への強い意思を持っていた彼女は、この困難なプログラムの推進力となっていた。同僚たちは、積極的で明るい彼女が大好きだった。若さにあふれた外見のうちに、自分がしたいことは何かをはっきり知っている強さを秘めた女性だった。Heleneは、6月16日に30才の誕生日を祝うはずだった。彼女の死に私たちは大きな打撃を受けている。彼女の家族と恋人に慎んで哀悼の意を表する。

Egil Tynaes (62才)は、ノルウェーのベルゲン(Bergen)の公立病院で医師として働いていた。彼はしばしば、特別休暇を使い、その経験を活かして外国で医療を必要としている人々を救う活動に従事してきた。2002年にMSFスイス支部からアフガニスタンのバハラク(Baharak)に派遣され、バドギスには2004年3月にMSFオランダ支部から派遣されて活動していた。バドギスでは結核治療プログラムと地元の医療従事者のトレーニングに取り組んでいた。Egilは、アフガニスタン人の患者とのかかわりにおいて、他のだれよりも優れていた。人々と親交を結び、彼らの信頼を勝ち得ていた。活動の質をあげるための彼の建設的な解決法、独創的なアイデアを失ったことは大きな損失である。しかしそれ以上に、彼のあたたかな心、繊細な人柄が惜しまれる。彼のあとには、妻、5人の子ども、そして5人の孫が残される。

Pim Kwint(39才)は助けを必要としている人々のために常に役立とうと努めた人だった。彼はMSFオランダの活動に参加するために、自分が持つIT会社の運営を一時中断し、多くの専門技術とIT分野での経験を活動に役立てた。Pimは2003年6月以来、多分野にわたる知識を持つロジスティシャンとしてアフガニスタンのバドギス州で活動していた。人々のために役立つことを強く望んでいた彼は、この地で天職を見つけたように思われた。困難な状況での活動に理想的な人物であり、他人のために自分の専門分野以外の仕事もすすんで引き受け、苦労を厭わず働いた。尽きることのないエネルギーと強い責任感を持っていた。また、再三にわたりアフガニスタン人スタッフのやる気を高め、派遣ボランティアの同僚たちも力づけるなど、チームになくてはならない人物となっていた。彼の家族、友人、恋人が2週間後の彼の帰国を心待ちにしていた。我々は彼の死に打ちひしがれている。

Besmillahは2003年10月以来、バドギス州でMSFオランダが運営するプログラムの運転手として働いていた。有能な運転手兼整備士として、重要な現地スタッフだった。彼は情報やアドバイスを提供してくれただけでなく、その物静かで熱心な性格からも外国人派遣ボランティアを大いに支えた。MSFが彼の国でしている活動をとても大切と考えていた。彼はアフガニスタンの人々が基礎的な医療を受けられるようになることが重要と考え、そのために遠く離れた場所で行われている様々なプログラムを毎日精力的に回った。この活動に参加していた間にBesmillahは一女の父親となった。

Fasil Ahmadは数週間前に通訳としてMSFで働き始めたばかりだった。バドギスのチームが幅広い地域でスタッフを探し、ようやく見つけた有能なアフガニスタン人通訳だった。しかし、この活動に彼自身の命を捧げるという悲しい結果となった。我々は彼の家族、友人に心から哀悼の意を表する。


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