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Re: 「イタリア人人質解放」その後と、アントニオの葬儀(サウジの犠牲者)
http://www.asyura2.com/0406/war56/msg/490.html
投稿者 縄文人 日時 2004 年 6 月 09 日 10:43:21:bfek92EqWeCqg
 

(回答先: 「イタリア人人質解放」と「最新イタリア事情」…イタリアからのメール 投稿者 縄文人 日時 2004 年 6 月 09 日 00:08:02)

さきほど、またイタリアからのメールが届きました。6月8日に解放されることを、幼い子が知っていた?という逸話も添えられて…。
 このニュースのほか、サウジアラビアでのテロで犠牲者となったイタリア人シェフの葬儀(五日)の新聞記事も翻訳されています。
 二人のジャーナリストが殺されたばかりの日本でありながら、イラク問題は、もうどこか「遠い話」のようにも映っています。しかしイタリアでは、「戦争はもうたくさんだ」という声が高まっています。

http://www.creative.co.jp/top/main2286.html

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【イタリア在住邦人からのメール】
八日は午後二時ごろ、イタリア人人質三人が全員無事解放(救出といったほうが正確かもしれない)され、その話題で夜までもちきりで、ラジオでも特報を組んでこの件に関する情報や各関係者へのインタビューを放送していました。
ベルルスコーニ首相は首脳会談のため合衆国へ飛んでいる最中に解放を知り、電話インタビューを受けていました。
人質三人はいったんクエートに移動した後、イタリアへの帰路につき、今日九日の午前中にはローマに到着するそうです。
国内では皆解放を喜んでいますが、帰国後はたして三人がどのように待遇され(英雄?)、また彼ら自身もどのように振舞い(英雄?)、そしてこの事件についてどんなことを語るのか、注目しています。

この解放について、ひとつ不思議な逸話があります。
それは、人質のひとり、クペルテイーノの幼い姪っ子が、八日、自宅で、部屋にかけてあるカレンダーの六月八日の日付けのところに「解放された」と書き込むので、家族がなぜそのように書いたのか尋ねると、「おじさんはきょう帰ってくる気がする」と答えたのだそうです。
家族はまさか、と思っていたが、何と現実のことになったと驚いていました。
約二ヶ月にわたる悪夢がやっと終わったと安堵し、いまは家族の誰もが早く帰ってきた三人の顔を見たい、抱きしめたいと言っています。

さて、六日に、サウジアラビアでのテロで犠牲者となったイタリア人シェフの葬儀(五日)の新聞記事がありましたので、日本語に訳してみました。

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〔‘il manifesto’、六月六日付け、イラリア・ウルバーニ氏記事〕

『さようなら、アントニオ、「平和の英雄」』

「戦争はもうたくさんだ」
サウジアラビアで殺害されたコックの父親、葬儀でベルルスコーニを攻撃、ジュリアーノ市では首相の護衛隊に対し嫌悪感。

「暴力は暴力を生む。少しでも思慮分別のある者なら、戦争を正当化できるとは思わない。特にその戦争が偽善で、私の息子に起きたように、戦場でもない場所で犠牲者の命を奪うようならば。」
これらはベネデット・アマートのことば、サウジアラビアのアル・コバールで一週間前に殺害されたシェフ、アントニオの父親が、息子の葬儀の数分前に語ったものだ。
「このメッセージは、私の言うことが耳に届かない、世界の別の果てにいる人たちにむけたものではない――コックの父親は続ける――そうではなくて、他の誰かさんにむけたものだ。」

息子の遺体に敬意を表そうとしている各機関の代表者らに対する訓戒のように響くことばだ。
ジュリアーノ市の村落、ヴァルカトウーロ地区にある、人でいっぱいの聖ルカ教会には実際その少し後、首相シルヴィオ・ベルルスコーニと下院議長ピエルフェルデイナンド・カジーニが到着した。
「pace(平和)」と拍子をつけて一斉に叫ぶ人たちの声、非難の口笛を吹きやじる者、または嫌味で拍手を送る者に出迎えられる。
七色の平和の旗と三色旗の間で、シェフに最後の挨拶をしようと集まった何百人という人々の真ん中に、このように書いたひとつのプラカードが際立つ:「アントニオ、平和のひと」。

厳めしい安全措置、教会への出入口となる道の警備強化。若きコックの多くの隣人と知人はこの軍事化を全然喜んではいなかった。彼らのうち幾人かは、ベルルスコーニ、カジーニと同時に着いたのだが、教会の庭には入ることができなかった。アヴェルサ地区の司教、マリオ・ミラノ枢機卿のスピーカーから流れる説教を、中に入れないまま外で聞くことで満足しなければならなかった。

感動的で節度ある儀式だった。アントニオの棺の上には、全国調理師連盟の代表が、コックの白帽を置いた。
参列者のなかで、カンパーニア州評議会首席アントニオ・バッソリーノ、緑の党党首アルフォンソ・ペコラーロ・スカニオとVIPの料理人ジャンフランコ・ヴィッサーニが見えた。アントニオの友人、知人をいらつかせた、迷惑な存在だった。
ベルルスコーニとカジーニの護衛は一度中に入ると、教会への接近を閉鎖した。二人の一挙一動が、無線で伝達されなくてはならなかった。しかしそれなら、なぜ無理強いをしてまで、何としてもそこにいたいのか?

アントニオは、ただ家族に多少の仕送りをするために外国で働かざるをえなかっただけの青年だった。群衆のあいだには、選挙キャンペーン中のベルルスコーニに対する険悪な空気がかなり漂っていた。
「見ろよ、テレビカメラは彼しか追ってないぞ、アントニオの棺じゃない」
教会の出口で、ひとりの青年が涙をこぼしながら言った。首相を追うのにあまりに夢中なテレビオペレーターに引っ張られながら。

ナポリ出身のシェフの棺は拍手のなか、ソッカーヴォ地区の墓地に運ばれた。
三十五歳のコックの、死の寸前の時間は、いずれにしても未だに謎に包まれている。
アル・アラビヤテレビに出したアブドウル・アジズ・アル・ムクリン側の、のどをかき切って殺したという犯行声明は、青年の遺体解剖で否定された。解剖では、死因は拳銃による三発の発砲(ニ発は頭部、一発は肩)だということだった。いくつかのインターネットのサイトでは、処刑の少し前に、イタリアに対して反戦抗議をしたアントニオの声のテープについても言及しているニュースがある。録音テープはクオーター・アル・ジャジラテレビに渡されたはずだが、クオーターはテープの所有を否定している。

一方では、アル・クッズ旅団のリーダー、ファウツ・ビン・ムハマド・アル・ナシミがサウジ警察隊の襲撃から逃れたが、アントニオ・アマートはアル・ジャジーラテレビに電話をした後、殺害されたと告白した。オアシス・リゾートの攻撃の間、ジュリアーノ市出身のコックが三ヶ月前から働いていた集合レジデンスで、「緑の旅団」はアントニオに身分証明書を見せるよう要求した。クオーターテレビに電話した後、グループのリーダーは、テレビ記者が抗議を録音したことを確認したとはっきり言った。
だがテレビ放送局からは否定のみが届く。アントニオの父親は、ローマの検察庁で損害賠償訴訟を起こすつもりで、他にも情報を収集するために数日中にアラビアに出発しなくてはならない。彼は若者がレストランで保険に入っていたかどうかも確かめようと思っている。自分の息子が死に出会った場所を辿る、最後の旅である。

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