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6月8日付・読売社説(2)
[レーガン死去]「歴史に刻まれる冷戦勝利の意義」
「力」を背景にした強硬姿勢を貫き、共産主義陣営との冷戦で、自由主義陣営を勝利に導いた。それが、ロナルド・レーガン元米大統領が世界史に残した意味だろう。
一九八一年から二期八年、世界最強国の権力者の座にあったレーガン氏が、死去した。九十三歳だった。
大統領に就任当時の米国は、ベトナム戦争やウォーターゲート事件、イラン米大使館人質事件などの後遺症を引きずり自信喪失気味にあった。そんな米国を、持ち前のウイットに富んだ独特の楽観主義で「強いアメリカ」へと変えた。
米大統領としての氏の業績の中で特筆すべきは、対外政策とりわけ対ソ連外交にあった。
ソ連を「悪の帝国」と呼び対決姿勢を鮮明にした。ミサイル防衛(MD)構想につながる戦略防衛構想(SDI)に象徴されるように国防力の増強に努め、ソ連指導部に圧力をかけ続けた。
当時のソ連は、すでに統制経済体制が破綻(はたん)しつつあり、国力の弱体化がささやかれていた。新思考外交を唱えるゴルバチョフ体制が登場したこともあるが、旧ソ連が結局、対西側姿勢を軟化せざるを得なかったのは、レーガン元大統領の力の外交が奏功した結果だろう。
ベルリンの壁崩壊、冷戦終結、ソ連消滅といった、戦後の国際政治史を画した出来事は、レーガン氏が表舞台を去った後に起きた。しかし、氏の対外政策がこれら世界史的事件の引き金になったという点は、再確認しておいてよい。
その意味で、レーガン氏が日本にもたらした果実も大きかった。
冷戦の終結で、自民党と社会党の対立を基軸とする保革対決の政治構造が、音を立てて崩れ始めた。共産党でさえ、旧ソ連体制を「歴史的巨悪」と言わざるを得なかった。社会党は九四年、日米安保体制堅持、自衛隊合憲を公式に表明、やがて歴史の舞台からその名を消した。
一部になお五五年体制の残滓(ざんし)を引きずってはいるが、親ソ反米運動は過去の遺物になった。
レーガン氏は、「小さな政府」の重要性を主張し、大型減税や規制緩和を柱とする新機軸の経済政策(レーガノミックス)を打ち出した。中央政府の役割を減らし、民間活力を刺激して経済全体の活性化を図ることを狙いとした。
財政・経常赤字という双子の赤字を拡大させはしたが、九〇年代以降の米経済の好調の基礎を築いたとされる。
晩年はアルツハイマー病に悩んだが、大統領経験者の中では最高齢で息を引き取った。穏やかな最期だったという。
(2004/6/8/01:20 読売新聞 無断転載禁止)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20040607ig91.htm