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紛争解決には『意地でも言葉を』
“戦時下”の今、反戦・護憲に取り組む
今、日本は戦時下にある。そう言ったら、冗談に聞こえるだろうか。
「イラクへの米国の派兵を日本が支持し、今、イラクに自衛隊がいる。そして自衛隊がいるサマワが交戦状態にある。これを戦時下と言わない方がおかしい」。批評家の大塚英志さん(45)はそう言う。取材したのは、東京・吉祥寺。路地を歩く若者の笑い声が喫茶店の中にも響いてくる。
「今、昭和十年代の新聞を読むと、なぜ戦時下なのに、人々はこんなに危機感がないのかと不思議に思うのと同じです。当時の近衛内閣と小泉内閣が似ているだけでなく、ミステリー小説のブームや女の子の小説家がもてはやされるといった事象までそっくり。現在は満州事変が起きた後くらいの状態にある気がする」
一九八〇年代末の著書『少女民俗学』から、最近の『サブカルチャー文学論』『「おたく」の精神史』まで、サブカルチャー的事物の興隆の意味を問い続けてきた。『多重人格探偵サイコ』など人気漫画の原作者でもある。その大塚さんが今、反戦、護憲に取り組むのは、こうした事実認識に基づく。
日本が戦争に向かいつつあるという漠とした不安は、多くの人が共有しているのではないか。だが、反戦、護憲がマスメディアをにぎわすことはまれだ。
「個々に話をすれば、イラク戦争に肯定的な論調のメディアの記者も戦争の危機を感じている。でも、ジャーナリストは個人と組織の意見を使い分け、それを言葉にしない。戦後、誰もが『戦前は反戦と言えるムードではなかった』と言い訳したが、当時も銃を向けられて戦争協力を強制されたわけではなかったはず」
変調に気づいたのが数年前。論壇誌など複数の媒体で特定の人物について、当人から圧力さえないのに執筆対象とすることをタブーとされた。拒否し、その媒体での執筆をやめたが、9・11以降、“自発的な言論統制”は加速した。
こうした現象の要因を、大塚さんは戦後、日本人が「自己の責任を全うせずに、他者の自己責任ばかり問うてきた」ことに見る。「二次大戦で被害を与えたアジアに対する自己責任は問わないのに、北朝鮮の自己責任は熱心に問う。イラク人質事件で、人質の自己責任を追及する政治家は、年金で最低限の自己責任さえ果たしていなかった。戦争をした自分たちが間違っていたという自己責任の表明から始まったのが戦後民主主義だったのに、それを全うせずに来てしまった。小泉首相の国会答弁のように、自己責任をかわすための議論ばかりがなされ、そのかわし方のうまさに拍手を送る。内心、みんなそれを望んでいて、メディアもその要望に応えている」
だから、人々の不安をよそに、危うい現実から目をそらす言い訳の論理や言葉ばかりが街にあふれる。
この虚言地獄をいかに変えるか。「自分の言葉を取り戻すこと。それは自分が他人と共有したい価値意識を表明するための言葉です。自分の立場、利益があり、相反する他人の利益がある。双方を調整するそれぞれの言葉を作ることが求められている」。それこそ国民が国のあり方を定めた憲法だ。「そこで、さまざまな人に独自の憲法前文を書いてもらった」
中高生が書いた前文を収めた『「私」であるための憲法前文』では、平和や平等、幸福が彼らの身の丈の言葉で語られている。一部の大人が「国益」のために、わが子や孫を戦禍に陥れるのもいとわない悲しい世界観であるのと対照的に、子どもたちは現行憲法が目指す世界平和を希求する世界観なのだと分かる。
「改憲論者は憲法を『耐用年数が過ぎた』と言うが、そもそも使ってないじゃないか」。大塚さんも原告となり、名古屋地裁に提訴されたイラク自衛隊派遣差し止め訴訟は「憲法を使う」試みの一つでもある。
一連の活動を「片手間」と評する。だが、中身は濃い。自ら編集する思想誌『新現実』第三号は、美少女フィギュア作家・大嶋優木氏の表紙で、社会学者宮台真司氏や志位和夫・日本共産党委員長のインタビューを収録。「誰が買っても嫌なものが一つは付いてくる」という編集方針は、嫌なものから安易に逃れさせまいとする工夫だ。
大塚さんの熱意を支える源は何なのか。「戦争はしない方がいいよね、だけ。暴力か言葉かと問われた時、意地でも言葉をというのが戦後社会の決意。自分の立場は、物書きとして基本的な選択にすぎません」 (三沢 典丈)
(2004年6月5日
http://www.tokyo-np.co.jp/doyou/text/dtop.html