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社説:レーガン死去 「強く信頼される米国」目指した
40代米大統領を務めた共和党のロナルド・レーガン氏が5日死去した。「強いアメリカの再生」を掲げて81年に就任したレーガン大統領はサッチャー英、コール西独両首相らと共に、80年代欧米政治の潮流を大きく保守に塗り替える立役者となった。
レーガン氏は就任早々に対ソ連強硬外交を主導し、総額1兆ドルという未曽有の大型軍拡路線に乗り出した。国内経済でも「小さな政府」の下で減税、規制撤廃、民間活力重視など保守本流の政策を打ち出し、ルーズベルト以来の社会・経済政策を巻き返した。
日本の中曽根康弘首相(当時)とは「ロン・ヤス関係」を築き、シーレーン防衛や極東ソ連海軍の封じ込め戦略を進めるなど、日米同盟や日本の安全保障政策にも重要な転機をもたらした。
米国では60〜70年代のベトナム戦争の失敗や、ニクソン大統領のウォーターゲート事件などによって国民は自信を喪失し、価値観も大きく揺れ動いた。
内政・外交の個別政策には批判もあるにせよ、レーガン政権によって米国民がアメリカ的楽観主義と国家への自信を回復したことを評価しない人はいない。
当初はソ連を「悪の帝国」と呼び、グレナダ侵攻、リビア空爆の強行など「力の外交」を誇示し続けた。だが、レーガン外交が強硬一辺倒だったわけではない。2期8年にわたる政権の後半にはゴルバチョフ書記長(当時)との首脳対話を通じて核軍備管理・軍縮を促進した。欧州同盟諸国との政策協調を重視し、その上に立って冷戦終結へ向かう道が開かれたことも指摘されている。
内政・外交両面でレーガン路線に最も近いのがブッシュ現政権だ。イラク、イラン、北朝鮮を「悪の枢軸」と呼んだ02年一般教書演説や、政権内にレーガン主義者の新保守主義派(ネオコン)が少なくないことにも「レーガン路線の正統な継承者」を自任するブッシュ大統領の信条が示されている。
だが、80年代の国際環境と21世紀に入った今とでは少なからぬ違いも生まれつつある。
ブッシュ大統領は「前政権時代に米国の誇りと明確な目標が失われた」と訴えて当選したが、イラク戦争の過程では国連や欧州との深刻な亀裂を招き、国際的イメージを低下させた。
「力と対話」を掲げたレーガン政権は、戦域核ミサイル全廃や米ソ戦略兵器削減条約(START)を実現した。強硬路線を掲げながらも英仏、西独など欧州主要同盟国と協調と協力を絶やさず、北大西洋条約機構(NATO)の結束の下に対ソ交渉を進める基本姿勢を堅持したことが大きかった。
「強く、信頼されるアメリカ」であれば同盟国としても歓迎できる。強さだけでは同盟・友好国の支持を得られず、世界を変えることも難しいことにレーガン氏は気がついたのではあるまいか。
レーガン氏の業績に今日的意義を見いだすならば、強さと国際社会の信頼とを両立させようとしたことである。
毎日新聞 2004年6月7日 0時18分
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20040607k0000m070124000c.html