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(回答先: 本日6月6日、パリに連合軍首脳集結 投稿者 一般人 日時 2004 年 6 月 06 日 00:33:39)
ノルマンディー上陸作戦:
民間人死者2万人、負の過去に検証の光−−6日で60周年
◇6割は空爆犠牲者−−地元大学集計
◇「イラクと同じ」−−米軍の横暴、市民証言
第二次大戦のノルマンディー上陸作戦開始日(Dデー)から6日で60周年を迎えるフランスで、欧米の紐帯(ちゅうたい)として機能してきた「ノルマンディー」を市民の視点からとらえ直す動きが浮上している。米国主導の連合国軍はこれまで、欧州解放軍として英雄的な側面が強調されがちだったが、その空爆に伴う民間人犠牲に検証の光が当てられ、駐留米兵による暴行・略奪の被害も語られ始めた。イラク戦争をめぐる欧米間の確執が尾を引く中での動きだけに、波紋を広げそうだ。【カーン(フランス北部)で福島良典、写真も】
「解放はすぐに幸福をもたらすものではなかった。ノルマンディーの主要都市カーンには4万トンの爆弾が投下されて70%が破壊され、民間人2500人が命を落とした」。ジャン・マリ・ジロー元カーン市長(78)が赤十字隊員として廃虚を駆けずり回った往時を振り返る。フランスでは上陸作戦がナチスドイツからの欧州解放につながったとの歴史的評価は定着しているが、60年を経て、一般市民が戦災体験を次世代に語り継ぐ機運が高まっている。
地元カーン大学の歴史研究所は10年前、民間人犠牲者数の集計調査に着手した。「ノルマンディー全域の民間人死者は米兵戦死者と同等の2万人。60%は空爆犠牲者」という結果が出た。
上陸作戦さなかの1944年6月6、7の両日に一帯の都市の多くが破壊され、市民3000人が死亡した。ジャン・ケリアン・カーン大教授(57)は「住民の間では誤爆説が流れたが、空爆は作戦に組み込まれていた。連合国軍は通信要衝の都市を破壊すれば独軍部隊の沿岸到着を遅らせられると考えていた」と解説する。
カーン平和記念館は60周年に合わせ今年1〜4月、地元ラジオ局と協力し、高齢生存者の証言に耳を傾ける住民対話集会を開いた。25市町村で約350人のお年寄りが空爆による都市破壊の記憶をひもとき、証言は48時間に達した。
「これまでレジスタンス(対ナチスドイツ抵抗運動)参加者、元軍人などの証言は集められてきたが、市民の話は『さまつな逸話』とみなされ、注意を引いてこなかった。だが、市民が証言に積極的になり、歴史家が話を聞くという対話が生まれた」と記念館のステファン・シモネ館員(36)が環境変化を語る。
集会での住民証言を通じて知られるようになった上陸作戦の「負の側面」がある。ノルマンディー駐留米軍による地元住民に対する略奪や暴行などの犯罪行為の実態だ。イラク駐留米軍によるイラク人収容者虐待が表面化したこともあって、60年前の蛮行は米メディアの関心を集めている。
上陸後、米兵と住民との間には友好ムードが高まったが、戦闘が終わると「米兵は征服した国ででもあるかのように、我がもの顔で振る舞い始めた」(ケリアン教授)。兵たん部門担当の米兵らが軍の燃料や食料を横流しして酒を手に入れ、殺人や暴行、略奪が横行。当時は「ドイツの時代の方が良かった」とさえ語る住民もいたという。
5年前からノルマンディー駐留米軍と住民の関係を調査する法律専門家のステファン・ラマシュさん(42)は「暴行・略奪は『ドイツからの解放』のイメージを汚すものだった」と説明、「解放軍でも駐留が長引くと住民感情は悪化する。イラクで起きていることと同じだ」と指摘する。
◇元独兵「すべて破壊、これが解放か」
ノルマンディー上陸作戦を迎え撃った旧枢軸国ドイツでは、シュレーダー首相が独首相として初めて6日の記念式典に招かれる。一般のドイツ人の関心はあまり高くないが、独誌が「欧州を救った上陸作戦」のタイトルで特集を組むなど、首相の式典出席を戦後処理の一区切りとして前向きに受け止める動きもある。一方、生存する元兵士らは、歓迎と戸惑いが入り交じった複雑な反応を見せている。【ベルリン斎藤義彦】
作戦の当日、ユタビーチから数キロ内陸部にいたロルフ・デ・ベーザーさん(79)は、作戦は「侵略だった」と話す。十分な訓練も実戦経験もないまま18歳でノルマンディーの歩兵部隊に配置されたベーザーさんは「美しい自然に魅せられた。独兵は礼儀正しいと評判で、住民との関係も良好だった。米兵を憎む住民もいた」と言う。
上陸作戦開始後、独兵ばかりでなく、じゅうたん爆撃によって多くの仏住民も殺された。「侵略ですべてが壊された」とベーザーさんは涙ぐむ。徒歩に銃だけで戦う部隊は3日目には劣勢になり、敗走に敗走を重ねた。
作戦がナチスからの「解放」と言われていることについてベーザーさんは「何とも言えない」と口を濁す。ベーザーさんはナチ党員ではなく、義務として兵役に就いた。「ユダヤ人虐殺も知らない。私に罪はない」という。「ヒトラーが倒されたのは良いが、ドイツ人だけでなくフランス人も多数殺され、ドイツの都市は徹底的に破壊された。代償は大きい。これが解放なのか」と疑問を投げかける。
ベーザーさんは、兵役に就く前にドイツで、ノルマンディー出身の仏兵捕虜を世話した。72年、元捕虜が訪ねて来て以来、ベーザーさんも何度かノルマンディーに招かれ、地元住民と交流を続けている。「長い時間、独仏住民が友好関係を築いたからこそ首相も招かれる」と話す。
ベーザーさんは今月5日にもノルマンディーに招かれ、作戦で死亡した米兵の家族などが参加する討論会に出席する予定だ。戦勝国の“お祝い”になりがちな記念式典。ベーザーさんは「もしDデーをお祭りのように祝うだけなら、とても受け入れられない」と式典そのものには懐疑的だ。
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■ノルマンディー上陸作戦
第二次世界大戦末期の1944年6月6日、アイゼンハワー総司令官指揮の連合国軍がフランス北部ノルマンディー地方で開始した上陸作戦。連合国軍は英国に近いパ・ド・カレー地方の守りを固めるナチスドイツの裏をかき、ノルマンディーを上陸地点に選んだ。
艦船約6800隻、軍用機約1万5000機、上陸陸軍兵員約16万人が投入され、「史上最大の作戦」として映画化された。ナチスドイツに対する西部戦線の地上戦の戦端が開かれ、欧州解放とドイツ敗戦へとつながる戦局の一大転機となった。上陸後「ノルマンディーの戦い」が44年8月まで繰り広げられ、民間人2万人、連合国軍3万8000人、ドイツ軍6万人の死者を出した。連合国軍上陸を受けて仏国内で抵抗運動が高まり、8月にパリが解放された。
6日の60周年記念式典にはブッシュ米大統領、プーチン露大統領、英国のエリザベス女王とブレア首相、シュレーダー独首相らが出席の予定。独首相の招待は初。式典には関係者計約1万人が参加の見込み。
毎日新聞 2004年6月1日 東京朝刊
http://www.mainichi-msn.co.jp/geinou/cinema/news/20040601ddm007030050000c.html