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朝日新聞[朝刊] 2004.06.02
自衛隊50年 「検証 アフガン・イラク戦争」
同盟揺るがす「有志連合」
01年9月11日、米国で起きた同時多発テロは、その後の世界を大きく変えた。対テロ戦争遂行のために「敵か味方か」の踏み絵を迫る米ブッシュ政権の姿勢によって、日米同盟の危機を感じたのは、日本政府当局者ばかりではなかった。自衛隊の「制服組」も独自に動き始めた。日本は、アフガニスタン、イラク戦争の二つの有志連合に、どのように踏み出したのか──。数多くの日米両政府の高官、当局者、幹部自衛官、米軍幹部の証言をもとに再現する。(肩書はすべて当時。敬称略)
『イラク』
■「衝撃と恐怖」戦略が、米軍パソコンに現れた
02年秋。
ブッシュ政権は、イラクのフセイン大統領に対して武装解除を求める圧力を強め、応じない場合に備えて戦争の準備を着々と進めた。
アフガニスタン戦争の有志連合には、日本も合め当時約40カ国が参加していた。米国はそれとは別に、イラク戦争の有志連合に加わるかどうかを各国に打診した。
10月23日、ワシントンで開かれた日米の外務、防衛当局の安全保障審議官級会合(ミニSSC)も、そうした場の一つだった。協議内容の多くは「秘」扱いとなり公表されなかった。
この場で、ある言葉がローレス国防次官補代理の口から出た。
「ブーツ・オン・ザ・グラウンド(地上部隊の派遣を)」
陸自はアフガニスタンに行かなかったが、今度こそイラクに行ってほしいという意味だった。
さらに、イラクの有志連合に入るならばと、米側の要望するメニューリストも渡された。
@アフガニスタン戦争と同等の支援Aイラク戦後復興での様々な資源提供B戦後の治安維持への要員派遣C在日米軍基地警備の強化D米軍の展開に伴う穴埋め──。
容易に受け入れられる内容ではなかった。
アフガニスタン戦争を遂行し、イラク戦争を準備しつつあった米中央軍は、フロリダ州タンパの司令部横に、有志連合に参加した各国の連絡官が常駐する「有志連合村」をトレーラーハウスで設けた。
自衛隊は02年8月から、アフガニスタン戦「有志連合村」に数人の連絡官を派遣していた。彼らの当初の任務はアフガニスタン復興の調整などだったが、次第にイラクをめぐる情報収集が重要になった。
だが、壁に突き当たった。米軍はイラク戦争の有志連合に参加する「コミット(約束)」をしなければ「情報」を渡さない。だが、「情報」がなければ、日本として「コミット」できるかどうか分からない。
小泉首相は03年2月上旬、「イラク戦争が始まれば支持する」との意向を固め、ごく少数の政府関係者に打ち明けた。だが、国際、国内世論をうかがって表向きは沈黙を守っていた。
3月に入って、米中央軍はコミットを明確にした数カ国に情報提供を始めた。外務省、防衛庁内局、海幕の担当者がそれぞれ、イラク戦後のペルシャ湾での掃海艇派遣の意思を米側に伝えた。現行法で出来る支援はそれぐらいしかなかった。
「日本は他の国と違って重要な同盟国だ。入れてやれ」。アーミテージ国務副長官の圧力が中央軍首脳に効いた。
3月15日。自衛隊が派遣していた連絡官が中央軍司令部の一室に招かれた。イラク戦争の情報端末につながるコンピューターの操作を許された。スイッチを入れる。
画面に「ショック・アンド。オー(衝撃と恐怖)」の文字が浮き上がった。
集中的な爆撃で指揮命令系統を徹底的に破壊する対イラク戦の戦略を示す言葉だ。日本が有志連合に事実上参加した瞬間だった。
3月20日、米軍はイラクに空爆を始めた。小泉首相は「米軍の武力行使を理解し、支持する」と表明した。
同日、閣議決定した首相談話に、措置の検討の一つとして「海上における遺棄機雷の処理」を盛り込んだ。湾岸戦争のときと同様のペルシャ湾への掃海艇派遣を意昧していた。
しかし、この貢献は結局、幻に終わった。
戦争中は派遣出来ないし、4月には統一地方選が予定されていた。世論への影響を考えて、実施を見合わせていたのだ。その間に、英国軍が掃海し、機雷自体が消えてしまった。皮肉なことに掃海艇派遣が実現しなかったことで、日本は何倍も危険な地上部隊派遣を迫られることになる。
■「やる気が見えない」。国防総省高官がなじった
「これは我々にも出番が回ってくるな」
先崎一陸幕長は直感的にそう思った。
03年5月24日朝。テレビニュースは数時間前(現地時間で23日)に米テキサス州クロフォードで行われた小泉首相とブッシュ大統領の会談を伝えていた。
「日米蜜月」を強調する2人の首脳。共同記者会見で、大統領は「(イラク復興への)日本の参加を期待している」ともちかけ、首相は「自衛隊などの派遣について、日本の出来ることをよく検討したい」と応じた。
それまで陸幕長に「陸自派遣検討」の指示が、首相や防衛庁長官からあったわけではない。だが、「指示が出たときに応えられるように、先行的に検討しておく必要がある」と思った」先崎は「ハラ」を固めた。
先崎の指示を受けて6月上旬、宗像久男陸幕防衛部長をトップに、課長・班長級からなるプロジェクトチーム「イラクPJ」が陸幕内に誕生した。
同じころ、外務省や防衛庁・自衛隊を中心メンバーとする調査団がひそかにイラクを訪れていた。その報告をもとに、防衛庁は「バグダッド空港で、米英軍に水を提供する」との案を固めた。陸自の能力と、現地の需要、安全性を考慮した苦心の策だった。
浄水は92年のカンボジアPKO(国連平和維持活動)から実績のある、陸自の得意分野だ。調査団の質問に、現地の米軍将官も「水をくれればりがたい」と答えた。バグダッド空港には池がある。そこは米軍管理下なので比較的安全だ。これが「バグダッド空港給水案」の最大の理由だった。
国会議員らに説明に回ると、「砂漢に水は必要だろう」と理解された。6月13日に自衛隊派遣のためのイラク特措法が閣議決定された。
だが──。防衛庁の目算と米国防総省とのずれは大きかった。
6月30日、外務省、防衛庁、自衛隊の担当者らが、ワシントンの国防総省を訪れた。一行の説明に、ローレス国防次官補代理は声を荒らげて批判した。「やる気が見えない」
「我々の希望は──」。
ローレスらは次のように説明した。
第1に一定地域を制圧できる治安部隊
第2にヘリコプターやトラックなどの輸送部隊
米側は、最低1千人規模の「他国に頼らない自已完結型の部隊」を求めていた。それだけに落胆が著しかった。
「水の需要は軍に聞いてくれ」。国防総省高官の言葉で、翌日、一行はタンパの米中央軍司令部を訪れた。日本側の説明に、米将官は後ろに座っていた部下たちを振り返って言った。
「水?そんなニーズがうちにあるのか」
誰も答えなかった。
「水は必要ない」などと結論づけられてしまえば、審議中のイラク特措法案がつぶれかねない。ようやく引き出した答えが「現地で調べてみよう」だった。
約2週間後、米側から回答が来た。「バグダッドの北方約90キロ、バラド近郊に展開している米軍部隊なら需要がある」
反米勢力による襲撃が頻繁する危険地域で、とても陸自が応じられるような場所ではなかった。
政府はへ水の提供目的を「米軍支援」から、イラク人への「人道支援」に切り替えた。そして、反米武装勢力の少ない比較的安全で、水の需要のある地域を探した。
それが南部の貧しいシーア派の町、サマワだった。
■日米首脳会談を見て、陸幕長は派遣を覚悟した
03年7月26日、イラク特措法が成立した。しかし、この後イラクの治安は一段と悪化した。
「ブーツ・オン・ジ・エアでいいじゃないか」
竹内行夫外務事務次官は、そう周辺に漏らした。いったん派遣したら簡単には撤収できない陸自の派遺は当分控え、空自の輸送機だけにしたらどうか、と考えていた。
陸自の苦悩を見て、守屋武昌防衛事務次官も福田康夫官房長官に提案した。
守屋「当面は、輸送機だけですませたらどうでしょうか」
福田「輸送機だと有志連合軍支援にしかならない。人道支援でいくしかない」
米英軍が戦争の「大義」とした大量破壌兵器は見つからないままだ。福田の頭には、自衛隊派遣の「大義」をどう見いだすかという難問が去らなかった。
一方、米国にとっては、国際世論が逆風になるほど、日本の参加の価値が高まった。
「ホワイトハウスや国務省にとって、ドイツやフランスが軍隊を派遣しない中で、大国・日本が陸自を出すという政治的な意昧が大きかった」(日本外務省担当者)
陸自の苦悩は、国内の準備作業でも続いた。
米国防総省が示した「1千人規模」という意向をもとに、編成作業に着手した。
浄水給水、医療衛生、施設補修の三つの活動を軸に、警備部隊を加え、派遣部隊の規模を「約800人」として内閣官房に報告した。
だが11月、官邸は「派遺規模は500人にする」と突然指示を出した。
計画の中身が一部、メディアに報じられたことへの措置か……。陸幕幹部らはこう受け止めた。
「官邸は軍事の基本を知らない」との不満が陸幕内の一部に噴き出た。
なぜか。
警備要員など300人余りの基幹要員は削れない。しわ寄せは、人道復興業務にあたる要員に行かざるを得ないからだ。
12月の基本計画では600人に修正されたが、見直し作業は難航した。
各約100人の中隊規模だった給水隊、衛生隊、施設隊が、一回り小さくなって数十人規模に縮小された。給水でみると、浄化装置の数が半分近くになり、当初24時間稼働させる予定だったのが日中だけに限定された。全体の浄水能力は4分の1に落ちた。