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記者の目:「国旗・国歌」職務命令 教育現場で不信増幅
「日の丸」に向かって起立し、「君が代」を斉唱せよ。今春の入学式でこうした職務命令に従わなかったとして、東京都教委は5月25日、都立高教員ら40人を処分した。3月の卒業式でも198人を減給、戒告などにした。加えて今回は、懲戒処分以外に、生徒への指導不足などを理由に校長ら67人が厳重注意などを受けた。都教委が「国旗掲揚・国歌斉唱の適正実施」を打ち出した昨年10月以降、多くの関係者から話を聞いたが、処分された教員はもちろん、職務命令を出した校長も苦悩し、生徒や保護者、そして都教委関係者でさえ違和感を覚えていた。都教委の強硬姿勢は、その意図に反し、教育現場での相互不信を増幅させたと思えてならない。
都立校では毎春、校長と教職員の間で「国旗掲揚・国歌斉唱」を巡る衝突が繰り返されてきた。校長の一人は「職員会議で7時間説得しても理解してもらえなかったことがある」という。「不毛な争いに終止符を打つためだ」と横山洋吉教育長は実施指針の理由を説明した。石原慎太郎知事も「みんなで決めたルールには、多少嫌でも従うのが民主主義の根幹だ」と述べていた。だが「国旗を舞台壇上正面に向かって左、都旗を右に掲揚する」といった厳密な指針は「みんなで決めたルール」なのか。「都教委が決めたガイドライン」に過ぎないのではとの疑問をぬぐい切れない。
その指針に基づく職務命令に背いて250人近くが処分された。「立たなければ処分されるのは分かっていたが、保身のため不当な命令にも従う姿を生徒に見せられなかった」と戒告になった教諭は語る。式で独り着席している間、自分にこう言い聞かせていたという。「心ならずも起立し、口を動かすふりをしている同僚を責めてはいけない。彼だって苦しんでいる」
「処分を前提とした強制を教育者としてどう考えるのか」。ある校長は教職員からこうただされ「私もつらかった」と答えたという。別の校長は「教職員との意思疎通を何より大事にしてきたし、人間関係も良好だった。こんな命令はできれば出したくなかった」と私に打ち明けた。教育委員も「本当は出したくないだろう」と認めている。
都教委は不登校や学力低下への対策にも力を入れ、「特色ある学校づくり」を旗印に改革を進めている。新入生の保護者の一人は「私立にはない伸びやかな校風で『分かる授業』をしてほしい。学校に期待しているのは国旗・国歌の指導ではない」と話した。会場で話を聞いた限り、生徒も冷めていた。「何を騒いでるの?」と拍子抜けするほどの無関心派が多く、「無理やり起立させられる先生が気の毒だ」と同情する声がある一方で「先生から『立つな』と言われたら立ちたくなるし、『歌え』と命令されたら歌わない」と言う生徒さえいた。都教委の姿勢は生徒や保護者の思いから相当かけ離れているように感じた。
「教職員組合を中心とした勢力が掲揚・斉唱をかたくなに拒んでいる」という組合悪玉論も実態を映していない。都立高の組合執行部は卒業式を前に「処分者を出さないため、いったん引く」との方針を出していた。組織防衛のために起立しようという指示だ。日教組は4月12日、「処分を背景とした指導のあり方に強い危惧(きぐ)を覚える」との声明を出したが、被処分者を組織的に支援したわけではない。都人事委員会への不服申し立てを引き受けた弁護団は「組合が先頭に立って処分撤回闘争をすべきだ」と異例の注文をつけたが、組合執行部は「教師個人の内面の問題で、取り組み方が難しい」と側面からの支援にとどめた。
都教委を支持する人たちからよく聞かされた指摘は「サッカーの国際試合では若者が自発的に国旗を振っている」だった。だが試合会場には日の丸を振る人も振らない人もいる。振らない人を責め立てる人はまずいない。だからこそ、みんなで気持ちよく応援できる雰囲気になっているのではないか。
都教委は「互いの人格を尊重し、思いやりと規範意識のある人間」「自ら学び考え行動する人間」の育成を教育目標に掲げる。旗や歌のせいで校長と教職員の対立が先鋭化する学校や、主義主張の違う人を排除する社会で、この目標が達成できるとは思えない。
99年の「国旗・国歌法」制定時、当時の小渕恵三首相は「個々人に強制するものではない」と述べていた。同法は尊重義務を定めていない。まさに国のルールである法律に義務規定が盛り込まれなかった意味を今一度かみしめたい。
毎日新聞 2004年6月3日 1時44分
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20040603k0000m070152000c.html