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イラク:
駐留米軍女性兵士の手記 砲撃におびえ
【ワシントン中島哲夫】毎日新聞は24日、激しいテロが起きたモスルを含むイラク北部で活動している駐留米軍女性兵士の手記を入手した。陸軍予備役に志願した大学院生のこの女性は、全く予想もしなかったイラクに長期派遣され、民政部門の任務を担当している。しかし反米武装勢力が多い地域での民政活動は必ずしも住民の理解を得られず、その苦悩がにじむ手記となっている。
手記は、女性が滞在している前線基地が反米武装勢力の迫撃砲攻撃を受ける場面から始まる。
「迫撃砲で1月には中隊長が死んだ。何発も着弾し土砂が跳ね上がった。顔に血を流した兵士たちが歩いていた。ショックだった」。いつも死傷者が出るわけではないが、こうした迫撃砲攻撃が「3日に1回」はあるといい、治安状況の厳しさを実感させる。
父親によると、女性は予備役兵士になれば米政府から大学時代の授業料相当額を得られる制度を利用するため家族に相談なく志願。昨年3月のイラク開戦から間もなく招集され初めて両親に知らせた。最近は6カ月以上、最も危険なイラク北部で活動している。これまで予備役が前線に招集されることはほとんどなかった。しかしイラク戦争で動員されることが多くなり、この女性のケースは、本人が思いがけない形でイラクに投入される現在の予備役兵士の典型と言える。
女性兵士は手記で、歩兵が作戦行動中に破損した民家の修理費を払って歩いたり、病院や学校を訪問して状況改善を支援する自分の役割を説明。「爆弾を仕掛ける方法が巧妙になって、道路わきの岩やごみの下に隠したり、縁石の下に埋めたりする」など、仕掛け爆弾の恐怖の中で活動している状況も描かれている。
手記は、学校訪問の直後にロケット弾攻撃を受ける場面で結んでいる。住民の信頼を本当に獲得できるのかという疑念、結局は思考停止して任務を遂行するしかないという決意を記している。こうした苦悩は主権移譲後も続く性質のものだ。
手記は24日、父親の元に届いた。女性が訪問先の幼稚園で子供や教員とともに撮影した写真2枚も送ってきた。母親似の女性は自動小銃などで武装したまま写っている。毎日新聞はこの写真と女性兵士の経歴も確認したが、本人や家族に不利益が及ぶ可能性を考慮して公表しないことにした。
◇手記の抄録
毎日新聞が入手したイラク北部で活動中の駐留米軍女性兵士の手記(抄録)は次の通り。部隊名や地名は除外した。【ワシントン中島哲夫】
3日に1回くらい迫撃砲の攻撃を受ける。きょうもあった。この前線基地は建物1棟と、残りは安物の小さなトレーラーの集まりだ。攻撃が始まった時、私は建物の中にいた。
着弾の衝撃が伝わり、近づいてくる。その音に取り巻かれ、次の一発かその次が私を直撃するように思える。建物の反対側の端にあるヘルメットと防弾ベストを目指して全力疾走した。
迫撃砲で、1月には中隊長が死んだ。あの時、私はトレーラーの上のコンテナの部屋にいた。近くに何発も着弾してトレーラーは揺れ動き、外では土砂が跳ね上がった。攻撃の後は、顔に血を流した兵士たちが歩いていた。ショックだった。
今も私たちは敏感だ。どんな音にも跳び上がりヘルメットをかぶる。
私は米陸軍民政チームの一員だ。4人一組で歩兵大隊を支援している。戦火で破壊された社会基盤を再建し、助けることで信頼を獲得し「勝利を固める」のが民政部門の任務で、私たちはその一部を担当している。
ここに来る前、私は治安の悪い町で10日ほど、別の大隊の取り締まり作戦とパトロールに随行した。こういう場合、任務の主体は少額の現金を支払うことだ。もしも歩兵が目標と違う家のドアをけ破ってしまったら、私のチームは家の主人に修理代を渡す。
ここでは毎日のようにキャンプの外に出て、医院や学校の状況を評価するようになった。一番危険なのは目的地への行き帰りだ。敵(武装勢力)が爆弾を仕掛ける方法がどんどん巧妙になって、道路わきの岩やごみの下に隠したり、縁石の下に埋めたりする。
私はドライバーを担当し、疲れた。道路はずたずたで沿道はガラクタだらけ、爆弾の隠し場所には事欠かない。おまけにイラク人はしょっちゅう反対側の車線を走り、対向車とぶつかる寸前に自分の車線に戻るのだ。
幸い、私が運転するのは5トン近い装甲車なので、ずぶとく走ることは出来る。
今いるキャンプは(フセイン政権残存勢力が多い)スンニ・トライアングルにある。生活条件はさほど悪くない。もっと治安の悪い所にいた時は11日間もシャワーなし、食事はほとんど携帯食ばかりだったが、ここは2日に1度とはいえ、シャワーを使えるし温かい食事も食べられる。
ただ、このキャンプには女性が私一人しかいない。最初は男性兵士たちが意図的に私を避けているように思えて、少し寂しかった。自分が異邦人のように感じた。
イラクに来る前は、女性であることが任務遂行の妨げになりそうな気がしていた。イラク人男性は、いくら私が拳銃や自動小銃を持っていても、まともに相手をしないのではないか、と。そうではなかったが、混乱と驚きを引き起こした。
ある日、ガソリンスタンドで自分の装甲車に座っていると、イラク市民防衛隊の隊員2人が近づいてきた。私を見た後、ぎょっとして見直し、一人がひどく驚いた様子で「おまえ、女の子か?」と尋ねた。
「そうよ、女の子」と答えると、もう一人が笑いながら「違うぞ。女の子じゃない。女性だ」と言った。私も笑った。
ある医院を訪問調査した時、案内してくれた歯科医は、別れ際に少尉、軍曹(どちらも男性)とは握手をしたが、私が手を差し出すと両手を挙げて「出来ない。すみません」と謝った。
通訳に聞くと、祈りの準備のため手を洗った後だったのだろうと言う。その場合、女性には触れられないのだそうだ。
女性であることよりも敵(武装勢力)の攻撃が私たちの仕事をますます難しくしている。
先週、ある学校を訪問し、修理事業の対象として状況評価をした。私はビデオカメラで子供たちを楽しませ、彼らは慣らしたハトを連れてきた。素晴らしかった。
帰りがけ、学校近くの警察署で停車した時、10メートルと離れていない壁にロケット弾が当たって爆発した。
すぐに歩兵部隊が犯人捜索を始めたので私は車から飛び出すのをやめたが、自動小銃を右手でつかみ、左手をドアにかけながら、怒りに包まれていた。この近所に住む子供たちを助けようと学校に行ってきたばかりなのに、どうして私たちを殺そうとするの?
こんな日々は私を失意に陥らせ、「信頼」を獲得できるのかという疑念を起こさせる。そして私は、こんなふうに考えるのをやめねばならないと気づく。考え続ければ、悪いやつらを勝たせてしまうから。
毎日新聞 2004年6月26日 1時30分
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/afro-ocea/news/20040626k0000m030141000c.html