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ジャーナリスト墓碑銘(東京新聞)
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投稿者 彗星 日時 2004 年 5 月 29 日 13:38:08:HZN1pv7x5vK0M
 

特報
2004.05.29

ジャーナリスト墓碑銘

 「私は覚悟していたつもりだし、本人も覚悟していたと思う」−。イラクで銃撃されたジャーナリスト橋田信介氏の妻は報道陣にこう語った。国際ジャーナリスト連盟(本部ブリュッセル)によると、イラクでは昨年三月の開戦後、四十人以上の報道関係者が犠牲となり「世界最悪の取材現場」となっているという。死んでいった記者たちの軌跡を追った。

■アリ・アル・ハティーブ氏(32)

 イラク人でアラブ首長国連邦の衛星テレビ「アルアラビーヤ」記者。小柄で物静かな人柄だった。今年三月十八日夜、バグダッド中心部のホテルが砲撃を受けたとの知らせで現場に急行した際、ホテルそばの駐留米軍の検問所近くで米兵の発砲を受け、翌日息を引き取った。取材用車に同乗していたカメラマンのアリ・アブデルアジズ氏(35)は即死した。

 米軍は当初、二人の砲撃への関与を否定。「イラク人の人命を軽くみている」と怒ったアラブ人ジャーナリストらは同十九日、イラク入りしたパウエル米国務長官の記者会見をボイコットする異例の行動に出た。

 ハティーブ氏らは撮影許可を求めて米兵に歩いて近づいたが、認められず車に戻った。年輩の男性が運転する別の車が検問所に迫り、軍用車のそばの柵に接触、米兵が発砲した。二人が乗った取材車も銃弾を受け、後ろから頭を撃たれた。アブデルアジズ氏の家族は「彼は現場を立ち去ろうとしていたのに」と述べた。

 米軍は三月末になって自らの発砲によると認めたものの、交戦下でのアクシデントだと言い張る。アルアラビーヤは、国連安保理と国際ジャーナリスト連盟に事件を報告し、米国の責任を追及している。(米非営利団体のジャーナリスト保護委員会ホームページなど)

■ポール・モーラン氏(39)

 オーストラリアのフリーカメラマン。昨年三月二十二日、同国のテレビ局と契約し北部イラクの山岳地帯にあるイランとの国境検問所にいたところ、自爆テロに遭い即死。今戦争開戦後、メディア側で初の犠牲者となった。

 同行し自分も負傷した同局のエリック・キャンベル特派員は「彼は基地周辺の撮影のため私の五十メートルほど先を歩いていた。突然、彼の横にあったタクシーが爆発し、背中を吹き飛ばした」と当時の様子を語る。

 当時、妻と生まれたばかりの娘がいたが、悲劇はこれで終わらなかった。モーラン氏が米国のコンサルタント会社で働いていた経歴から、昨年秋、地元紙が「モーラン氏はCIAとつながりがあるスパイで、米国のプロパガンダを担っていた」と掲載。一家はまったく異なる取材攻勢に巻き込まれた。

 母親も「息子がスパイだったなんて信じられない。活動家のはずがない」と絶句。妻も「何の証拠もなくばかげている」とショックを受け二重の苦しみにさらされている。(ラジオ・オーストラリアなど)

■ホセ・コウソ氏(37)

 スペインのテレビ局「テレシンコ」カメラマン。昨年四月八日、バグダッドで各国報道陣が拠点にするパレスチナホテルの十四階で取材中、米軍戦車の砲撃を受け死亡した。
 
 米軍が「バルコニーで狙撃兵とみられる人影を発見。攻撃も確認した」としたが、各国報道陣から「従軍しない記者を狙い撃ちした」と批判が起こった。
 
 スペインでは、前日に同国紙特派員で、反戦派のスペイン共産党幹部の子息もイラク軍のミサイル攻撃で死亡したこともあり「二十四時間もたたないうちに記者二人を失うなんて…」と激しい反戦運動が巻き起こった。
 
 コウソ氏の妻も、マドリードの米国大使館に抗議。街頭では、コウソ氏を砲撃したと思われる米兵の写真が、プラカードに「殺し屋」として掲げられた。
 
 その後、今年三月には、百九十人が犠牲になった同国テロ史上最悪のマドリード列車同時爆破テロが発生。「イラクからのスペイン軍撤退」を公約に掲げた左派系の社会労働党が八年ぶりに政権を奪還する流れにつながった。(テレシンコのホームページなど)
 
■ワルデマル・ミレビッチ氏(48)

 ポーランドのテレビ局TVP記者。今月七日、バグダッド南方約三十キロ、今回の襲撃現場に近いラティフィアで待ち伏せしていた武装勢力の銃撃を受け、同行していたアルジェリア人の映像編集者(36)とともに死亡した。
 
 世界各地の戦争、紛争取材にあたってきた。一九九五年にはチェチェン紛争取材でジョン・ホプキンズ大学のジャーナリズム賞を受賞、二〇〇一年にはポーランドの年間最優秀記者に選ばれた。米国で学ぶ二十三歳の娘がいる。
 
 クワシニエフスキ大統領は「彼の家族と私たち皆にとって大きな悲劇だ」と死をいたんだ。ベルカ首相も「彼はジャーナリズムの象徴」としたうえで「本当に大きな衝撃だ」と話した。
 
 TVPは十五分間の追悼番組を放映した。女性キャスターは「彼は報道すべき紛争現場なら、どこでも行った。彼は命をかけて、今の世界の現実を伝えてくれた」と声をかすれさせた。同局はかつて収録したインタビューも再放送した。この中でミレビッチ氏は、危険をどう払いのけるかについて、こう答えた。「ワルシャワの真ん中にいたって、殺されるときは殺される」
  (AP通信など)
 
 
■カベー・ゴレスタン氏(52)

 英BBC放送テヘラン支局で仕事をしていたフリーランスのカメラマン。昨年四月、イラク北部のスレイマニア近郊で、車から降りたときに地雷を踏み、死亡した。妻と十九歳の息子が残された。
 
 イラン革命やイラク北部のクルド人地区への化学兵器攻撃などの取材でピュリツァー賞を受けた。同局編集者、ジョン・シンプソン氏は「イランでBBCの仕事をするのは、イラン人にとってたやすいことではない。イラク政府は常に疑いの目で見ている」と精神の強靱(きょうじん)さをたたえた。事故の直前「こういう状況にいると、自分が自分だという感じがする」と話し、この仕事に興奮していたという。
 
 ゴレスタン氏の墓には「真実を記録している最中に殺された」と刻まれた。イランの検閲をテーマにした彼のドキュメンタリー「真実を記録する」からとった。(BBCのホームページ)
 

■フリーランス記者の評価を

 元共同通信論説副委員長で、ベトナム戦争当時のサイゴン特派員経験もある藤田博司上智大学教授の話 一般にはジャーナリストは危険を承知で取材に行き、本人がリスクを負っているのだから、その行為は第三者が良い、悪いと言うべきことではない。戦争の実相を自分の目で確かめ、伝えたいという使命感があるからだ。名誉欲やお金のためという側面も入り交じってはいるだろう。ただ、特に日本では、大手メディアの記者が危険な現場から立ち去る中、フリーランスの記者が報道で果たしてきた役割はきちんと評価すべきだ。

http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20040529/mng_____tokuho__000.shtml

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